細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

精神科医療と医療者の臨床的位置取り、あるいは患者の位置取りについてのわたくし的考察

 カウンセリングに行ってきました。かれこれ9年。ひとが聞いたら呆れるような年月かもしれないです。そして自分自身もずっとこの「心理療法」というものと自分との関係が意味あるものなのか考えてきました。
 かかりつけの精神科の医師は、もちろん診察や面接のやり方についてきちんとオーソドックスなやり方はもっているし、丁寧なので信頼を置いています。けれども、症候というんでしょうか、そういうのは薬でコントロールできているし、日常生活を大過なく送るためのアドバイスを後はしていくだけという感じです。
 したがってやっと自分にカウンセリングが活用できている感じが出てきたのです。

 さて最近id:ueyamakzkさんが「概念分析の社会学」合評会に出席して、id:contractioさんとつながりができたのをきっかけに、おふたりがはてな日記上で、やりとりをしておられる。そのやりとりを注視していたのです。自分も奈良女子大学での「エスノメソドロジーのフロンティア」に参加したので、その意味でも気になっていました。もちろんおふたりのブログをかねてより、読んでいたということもあります。ツイッターのほうで、contractioさんと「臨床」ってなんだろうってお話をしたことがあり、僕はその点にしぼって、考えてみたいことがあります。おふたりのお話し合いに寄与するものがあればよいと思うのですけども…複数の領域がクロスしている議論なだけに僕は自分の関わる領域で実感したことをお話してしまう形になると思います。でも上山さんの問いに似た形の問いを僕ももっている部分があり気になる。たぶん、自分自身が精神科医療とどうつきあってそこから何を感じて、自分が苦痛の機序に向き合う中で、精神科というか医療についてどう感じたかみたいな話になるんだと思うのです。ですから個人的な関心が出すぎてお二人の議論にうまくかみ合えてないと思いますが、ご容赦ください。

 自分がいかなる精神病にカテゴライズされるかというのはそんなに重要ではなく、むしろ医師なら医師にきちんと誠実に向き合って欲しいねがいがあったんです。何病かはしらないが、自分は大変苦しい。そこで、精神科医は精神科医の「方法」で状態像を把握し、治療をする。これはわたしがその時かれこれ5年位前に今の先生に変わった時わかったことなのですが、ここで行なわれていることは「医療からみた私」に対して「医療者」として行っていることなんだということです。
 ですから自分がもっとプライベートの親密な人間関係(恋愛など)について相談すると医師は「これは自分の専門ではないけれども」とたぶん冗談ですけど、前置きをおいて話すわけです。

 医師になんでも托せればいいという意見もあるかもしれませんが、僕は医師はまず医師の観点から、その人の状態や存在をみるということが経験的には非常に大切なんではないかと思いました。というのは、その先生に代わる前の医師は、なんというか昔風の赤ひげ先生みたいな、人情派で人生相談に応じてくれるんですけども、自分には合わなかった。一昔前の精神科で、例えば入院治療などをしますと、たぶん治癒率も今より悪かったし入院期間も長いわけで、ある意味患者を「丸抱え」にせざるをえないところがあったと思うのです。その先生は入院型の精神科病院を長年やって、開業されたので、そういう感じがしたのです。患者さんも長く入退院して年を取っている人も多かった。
 なぜなら、精神疾患者の多くが生活不能になって身内からも排除されてくる人も多かった。
 今もこういう例は多数あると思います。けれども、サクサク退院させるとかそういうのとは別問題として、医師はまず医師の仕事をきちんとする。それによって、医療的な「介入」は行なうけれども、それ以上はしない、できないというのは全否定される態度だとは思わないです。それは正しい「分業」としての側面があるのだと思います。

 医師は神田橋條治氏も書いておられますがかつては祈祷とかで治したりしていた呪術師だったそうです。あるいはヨーロッパの中世の外科医は針と糸で縫う役割。だから職人だったんですね。理髪店の前にたっている青と赤と白のポール、あれはもとは外科医を指すものでした。
それは麻酔も感染症も発見されていないのだから、うまく縫ってあとは神のみぞ知るです。
 そういう呪術的な、存在構造全体に働きかける部分がかつてあって、職人的な位置も経て、しかし近代医学は科学的なアプローチを前提としますから、その科学性を前提に仕事が細分化されてきた。これはこれで様々議論はあろうはずですし、上山さんの議論でも臨床の問題や精神医学に近接したりかぶったりする領域が出てきます。ただここは今は置きます。(臨床心理療法としての精神分析シャルコーやジャネといった催眠の方法から出てきたので、それはかつて呪術師や宗教者があつかった領域なので、フロイトはあれだけ物議をかもしたところもあるのだと思います)

 近代からさらに20世紀も後半に入って、医師というのは、存在全体を見るというか左右できる力をもったのですけども、それは間違えれば、相手をどこまでも破壊できるということでもある。人情派の先生もいいけども、そこではパターナリズム(温情主義)が残る。様々な意味で浸襲の度合がでかくなる。ですから分業して役割を限定しているのではないかと思います。もちろん事実上「全責任は負えない」というのもあります。
 それは臨床上の基本としてヒポクラテスの原則が生きているからだと思います。治そうとして、患者の身体をダメにするのは本末転倒である。今ある以上の害を患者に与えるな(Do not harm)ということです。

 相手に対して全責任が負えると請け負うのは「宗教者」の段階です。あるいは家族が近代ではその機能を残しています。だから家族の問題も大変ややこしい。それより以前の存在なのに、イエスは親と縁を切っても「ついてこい」といった。そうしないと救われないとイエスは思ったからそうしたのですが、そうなるとイエスは全責任を負って磔になる。
 ここへ切り込んだ数少ない思想家がニーチェとかヘーゲルなんだと思います。

 ニーチェは「僧侶階級」というふうに「生を否定して」「彼岸の価値を設定する」階級がこの世界にあるとしています。つまり、これは上山和樹さんのことばを使えば「メタ・ポジション」です。
 ニーチェは、メタ・ポジションに立って、支配権を伸ばそうとする人をとりあえず「僧侶階級」と呼びましたが、これにはもうひとつ意味があるんじゃないか。つまり病気も治らない、苦痛がある、そこでこれを信じたらいいことがあるよと囁くことで生計を成り立たせる人々です。ニーチェは文字通り当時のキリスト教のことを指したんでしょうけども、ニーチェ自身この「救済代行既得権益」(なぜなら救済自体は「イエス」的なものが担っておられる。その名において、様々な自分の立場を確立するひと=いわば神や神の子の名を語る(これに類する例は宗教だけに限らないでしょう。ある固定化されたものを設定してそれ以外のものの序列を定めてしまう司祭です)の集団です)の命は長くないだろうと思っていた。しかしキリスト教はそうなっても他のそういう道徳やさまざまなものの名を「我こそは真実」と語るものは消えないだろうと。それをなんとかできないか。(その際、ニーチェが補助線にもってきたのが仏教です。ショーペンハウアーに影響を受けたからですが、実在を措定しない、つまり偶像崇拝や対象化といった働きに与しない知性の方向としての仏教)

 それは一人一人が、神なんていう曖昧なものに何かを託すほど素朴でもなくなって神の威力が本格的に効かなくなったからです。ある意味みんな賢くなってきたという事実を捉えて、ニーチェはそれを批判しながら、しかし自分自身がなんで生きるかということを自分自身で考える方法を編み出そうとしつづけた。つまりある意味夢や幻想から醒めた状態で生きるというイエスと同じ課題が各人にふりかかったとニーチェは思った。(イエス自身被差別者で、そこの位置で生きざるを得ないわけですので。ニーチェはある意味でイエスの苦労を想像しながら書いていた部分もあると思う。ニーチェ自身社会不適応者でした。30代で事実上病気引退でしたから)
 これはデカルトと近いと思う。(そういうとニーチェは不本意だと思いますが)臨床というか現場に近い領域からとてつもなく離れてスコラ哲学が行なわれていた。スコラ哲学はその意味でメタの位置から出れなくなっていた。だからデカルトは「世間という書物」に学ぶのだといったのだと思います。

 少し話しが脱線しましたけども、メタ・ポジションに立とうというのは実は医者として、実際そういう風にする場合もあるけれども、それは相手から逃げているというふうに自分なら感じると思います。同時に、人間が一定程度メタ(つまり具体的な事象を置いておいて、形式化した領域から全てをいうような)な位置からしか他人に関わることはできないのだというあきらめに似た思いも自分は持ちます。ここに切り込んだのがメタフィジクスについて深く考察したハイデガーレヴィナスになると思います。彼らはメタ・ポジションが具体的な目の前の現実を捨てて考えてしまうことに反対したと思います。(おそらくその発想は、フッサールから出てきたものでしょう。)
 ハイデガーはそこで沈黙に大きな意義を与えたし、レヴィナスはそれに抗して、なんとかする責務を負っていることを表明しようとしたんだと思う。なぜなら黙って自分を無にして存在のレベルでの感受を取りもどす発想は重要ですが、どこかで全面服従の色合いがあるし、レヴィナスもそういう部分がある。でもひとの傍にいるということの根本的な場面ではそういうふうに静かに待つことしかできないからです。上山さんのいう臨床にもそういう響きがあるようにも感じます。臨床(clinical)の原義をcontractioさんと確認した時にそれがベッドの傍だということに気づいたのです。
 つまりベッドで寝ている、病む人だとか、つまりこちらが働きかけるのが難しい相手にどう関われるか。医学も当然ここを考えざるを得なかった。なぜなら死んでいく人にどうにもできないことが必ず臨床の、あるいは人の業の中に入っている。
 具体的にはしかし死者だけでなく、生きていて、しかもどうしていいかわからない相手があるわけです。しかしどうしていいかわからないところからしか、臨床は始まらないわけです。本人では治せないものを本人と(ここが大事です)、あるいはなるべく本人の力で良くして欲しいからです。自己治癒力を引き出す方向で医者は、その助力をするというのがヒポクラテスの誓いのみならず、医学のあるテーマとしてある。これは他領域も同じです。本人の作動を助力する形。(もちろん20世紀の科学技術の進展で、その生命そのものの働きにかなり手がいれられるようになってきている趨勢も無視できません)これは自分が診察を受けていて、しかし自分をしゃんとさせるのは結局自分があって、その助けに先生や周りの人がいるという、他者と存在する「自己中心性」(矛盾した表現ですが)が自分の健康に大事だと気づいたためです。
 だから医師や援助者はそのまさしく「他人事」に対して、しかしその現実に相対し、向き合う、どう関わるか、あるいは自分の役割を自覚したり限定したり拡張したりするか。そこでどう丁寧に誠実に関われるか問われているはずです。これは医師のみならず対人援助に関わるすべてのひとがそうなのではないでしょうか。
 なぜなら優れた専門家は自分に出来ること、出来ないことの分別を出来る限り自覚して、その境界を常に問うように意識していると思うからです。自分の経験で感じるのは治療というのは、治療とはいいますけども、もちろんそこに医学的「権力」は作動しているでしょうけども、それはとにかくかんじゃ本人がしたいことをできるように、日常の苦痛を緩和して次のステップにすすめるためにあるわけです。
 僕の医師がすべてそうできているわけではないと思いますが、一応「治療関係」あるいは「治療契約」の中で、それを診察の中で確認しているのです。その先生がいやならば変わればいいし、病院にかからなくてもいい。
 もちろんそれじゃ困るわけでカウンセラーやソーシャルワーカーもいて、役所もあり、民間の組織もありますが、そのリソースと有効な活用の仕方がうまくいっているかは不明です。
 しかしリソースの有効性のために変わっていただかねばならないし、病気の当事者は、患者自身であるわけです。もちろん神田橋條治氏がいうように「診断や診察」を行う時、医師がそうしているのと同様、患者も医師を診察しているといいます。自分は「制度を使った精神療法」を学んでいませんからそこは追いきれていないのですが、神田橋氏のような臨床家、臨床研究家は「診断、面接」という場面に限定しているけども、そこで生じる相互性を引き受けているからそう書けるわけですし、そう書けるのは自らの行なっている行為に対し可能な限り、反省と客観性を持とうとしているためだと思います。

 私も上山さんと同じで、きちんと向き合わない、卑怯な感じや、どこか自分の安全地帯に居直って話す人は苦手です。怒りを感じる時もあります。けれどもそれはそういう風にしかできない相手がまずい場合が多かったりするわけです。(あるいは僕の場合はあまりにも無意識レベルの怒りが激しく歯止めがきかない場合も多かった)

長年医学的治療を受けてしまった立場からすれば、もちろんひきこもり業界はよくわかっていなくて、失礼な物言いになってしまうかもしれません。ただ恐らく最大の問題はそれが「社会適応」に関わってくるからだろうと思うんですけど、(だって、適応すべき社会がおかしかったらどうにもならないわけですから。そしてそれは援助がある段階で必要になる精神疾患者も似ています)同時にその適応していきていく社会そのものが機能不全になっているわけで、同時に社会も直していかないといけない。そこで上山さんのような方が、様々な矛盾をいっぺんに見て凄く苦しいお立場におかれているということはあるかもしれないです。そういつも感じています。
 けれども、自分の場合は自分の身体に様々な荷物や負荷をかけるといっぺんにパンクしてしまうことがこの何年間かでわかったので、人間はそんなにいっぺんに苦しみを背負うと大変なことになるという体感がある。自分は全力で自分が生きていくことに目的をしぼって、それ以外の様々なものをかつぐのをやめたり、ふりきってきたという思いがあります。
だから上山さん自身まず元気でいてほしいというのがブログを読んで思う気持ちです。

 現在、社会自体の基礎体力が落ちたのと同時に、変革も同時に迫られています。それと併行してたくさんのひとが現在の生活に苦しみや、不遇の感じをもっている。それは社会の各部門で様々な時差を持ちながら進行しつづけていると思うんです。今は無き筑紫哲也は、本人のがん体験からそれを「日本社会はがんにかかっている」といいました。その直観は意外と正しいと思っています。
 けれども、社会は共同の身体のようではありますが、各個人が「細胞」というふうにはアナロジー的にはなりますが、じつはそうではなく、けっこう点でバラバラに自分の方向に行っている面があると思うのです。(まさしくこれが「スキゾ」という言葉に託されていると思いますが。つまり共同の社会に住まいながらその一部分に還元されない存在=力としてひとりひとりがあるということ?それに気がつくということ)
 背負うべき共同の部分は背負う。しかし無理なものは容赦なく他人にもってもらう。もちろん社会の病弊を多く背負う人と少なく背負う人もいると思いますが、総和で見ますと誰もがなにかを背負っているはずなんです。医師はそういう意味で共同の部分と個人の部分の区分けが一番難しいと思うんですけども、自分の分限の中でしかし、そのとき、懸命にあたる。それ以外は遊んでいるかもしれないですけど、そういう人は必ずいると思います。いい意味でのプロというのはたくさんいて、上山さんが酒井さんにみた姿勢もそのようなものかもしれません)

 (追記)つまり仮の結語があるとするならばこうなるでしょうか。上山さんがEM(エスノメソドロジー)に可能性を見いだしてられる。それは現場で機能している、動いているあるいは必要だとされていることをまず虚心に記述するということにあるのではないでしょうか。なるべくそこの現場の問題点、いい点として評価される前の出来事をひろう。作動の様子を描く。そこに潜在している、あるいはこれまでの制度では拾いきれていない、拾えないたくさんのニードがあるということ。それについて叩き台を出す。だから、もちろんこれまでの方法で対処できていない部分については、誠実に既存の専門家を問い直していくことも必要になります(これが上山さん自身一番、どう道筋をつけていくかくろうされているように思うし私もそうです)し、適宜、その批判対象の専門家とも交渉しながら、上山さんの事業や取り組みを立ち上げていく。これはソーシャルワークにもいえることなんです。よく協力と連繋といいますが、ソーシャルワークは日本でも、あるいはどこでもそこに問題をたまさか発見してしまった人がするものなのです。しかしひとの営為の中にすでに今までの部分を整理して、新たな局面に行くということっがある。例えばこどもが親の手を離れること、死別しても行き続けること、恋人と別れること。これらのことの中に「喪と再生」という部分があると思う。

 今日カウンセリングで話したことも書こうと思ったけどまたの機会に。しかしこういうことも話したのです。部分的には。
※参照した本

追補 精神科診断面接のコツ

追補 精神科診断面接のコツ

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)