細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ワーカー

1月6日は誕生日だったが、日記が7日になってしまった。昨日は自殺のことについて書いた。
今日は、デイケアに出初?して、久々にワーカーに今後のことを相談した。年末に医師にバイトが出来るといわれて、それがうれしかったりしかし負担だったりしたり、そういうドタバタした感じを話せた気がする。
ワーカーは、もし失敗してもそこから必ず学習するし局面は変化する。だからそこで、うまくいったこととうまくいかなかったことを自分自身適切に評価できたらいいと思いますといっていた。賃金労働がすべてでないけれども、石川さんが念頭に置く福祉職でなくとも、まずは難しくない作業労働から初めてみたらそれが福祉を見る眼をも養うのではないかともいっていた。別の仕事をいくつか経由することも無駄ではないと。
また、充分準備が出来ても、やってみなければそこで試行錯誤しなければ学べないことがあるとも。
こう書くとなんかワーカーさんがいったこととちがうような気もする。しかしもう少し続ける。なぜなら記録しておく必要があるから。

ワーカーさんはバブル期に福祉職が奉仕活動に毛の生えたような差別的な扱いを受けていた頃から、この世界に入ったのは知っていたが、自分がそれをしたかったのだが、いざそれが専従の仕事になると思うようにいかないことや、ジレンマに陥ることがいっぱいあると率直にいっていた。それは自分がかつて拙いながらも感じたことであり、リアリティとともにある感銘を受けた。
ワーカーさんというより一人の大人の個人が、僕という個人と話しているような、そういう感覚だった。

もちろんここには様々な対人援助の技術や臨床的な知恵が働いていたはずだが、それは教科書で読むようなものとやはりちがっていて、そこに一人の人間同士の魂の交流がなければ成立しないもんだとも思う。なんとなく大げさかと思うが、既存の社会資源をなんとか作動させて、それをよりうまく作動させることはできるし、そのためにもっと何が必要なのか、どういう道を開けばいいのかなと思った。

けれども、そうだ。これを活かして鵜呑みにはせずに様々な意見に接触しながら自分の方向を決めていく作業があるのだと思い出した。