細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

熊木徹夫「君も精神科医にならないか」よりいくつか

君も精神科医にならないか (ちくまプリマー新書)

君も精神科医にならないか (ちくまプリマー新書)

より引用

私自身が医者になった時、統合失調症の方の内にはらまれた苦しさに対しては、彼が悪いからこうなったわけではないとの思いが強かった。ところがアディクションの方の苦しみは、それ自体わからなくないけれど、どうせ自分の撒いた種だろうという冷淡な見方をしていました。アルコール依存にしても買い物依存にしても、要するにあなたが自分を制御できないから、自我が弱いからそういうことをやるのだろうと突き放した見方をしていたのですね。統合失調症の方の苦しさとアディクションの方の苦しさを、同じ土俵に上げて見るのはおかしいのではないかと。
しかし臨床を行い数年が経過した頃から、アディクションというのは人間の根源的弱さの一種だと思うようになったのです。たくさんいろいろな方とあっているうちに、嗜癖的なものを全く有していない強い人間なんて存在しないのではないか、と考え、治療の対象として容認していくようになりました。
結局どこまで容認できるかというのは精神科医それぞれちがうものだろうと思います。統合失調症は誰もが「あたりまえだ。苦しいだろう」と容認するものだけど、アディクションの苦しさについては、治療の対象とするかどうか、どうしてもわかれてしまうのではないでしょうか。私の現在のスタンスとしては、アディクションもやむなしという考えです。

上の引用部分を読んでみなさんどう感じられただろうか。

熊木徹夫は精神科医で、中公新書の「精神科医になる」*1という本を読んだとき、この人は臨床論について新たな風を吹き込んだという感じがしていた。

ただ、熊木氏と見解のちがう点もある。この文章でいわれている統合失調症の苦しみですら、社会的に共有されていないと私は思う。それは精神科に長く通院し、デイケアにも通っている私でもなんとなく感じるところである。就労の際、病気をオープンにして就労するか、「クローズ(内密にして)」就労するかという現状があることからもそれがわかるだろう。社会的な共通の参加基盤が、精神病者でも成立していない。これは一般社会側の「差別」だけを問題にしてもそこでは終わらない。

私が見聞きするのは、大抵、家族や周囲との葛藤状況である。つまりそのひとが育つ家庭で、困難は生じている。そしてそれは家族内にも様々な事情がある。力動的構造がある。周囲の家族の社会とのつながり、それと本人との関わり、本人の社会との関わりの困難ということ大きく病気に影響を与えている。

またかつて笠原嘉という精神科医が統合失調症(当時は精神分裂症)を「出立の病」と呼んだのは*2
、家族や生まれ育った環境から、社会関係(企業や学校あるいは恋愛・結婚などへ)に出て行く間際に発症するケースが多いことを行っていたからだ。つまり本人が周囲とどのような関係性を作るか、作れなかったか、そういう自発性や主体性形成そのものの困難だからだ。

しかし同時に統合失調症が実際の病態として非常に深刻な病であることも知られている場合と知られていない場合がある。

まず熊木氏の文章を読んで、精神科通院患者という私自身の立場からいくつか注釈を入れた上で、しかしこの臨床に関する姿勢については学ぶものがある。それは臨床の現場で、「人間を知る」「試行錯誤する」ということが起こっているからだ。

そもそも「人間」とは何なのか?同じ人間というときのその「人間」とは?社会が共通の合意や理念をもつとき、「普通」からはじき出される、自らそこから離脱することはままみられるからだ。病気という現象だけではないが。

フーコーが「人間の死」を語った時、彼はどういう意味でいったのか正確には覚えていない。しかしフーコー自身が人間について散々学んだ末にしかそれの「死」(しかもこれは往々にして語られているように、彼が人類や人間という概念を破壊しようとしたのではない。また殺人を企てたのでもない。)を語った。ある限定された近代というシステムの中で捉えられた「人間」という枠組みはもうなくならざるを得ないだろうということだ。つまりそれ以降も、我々と似た形の生命は生き続ける。その新たな事態に対応する必要を説いたのだと思う。そこでも我々は生きていかざるを得ないから。

何をもって「病気」とするか、何を以て「人間」と見なすか、ここで熊木氏は揺れている。むしろ、熊木氏は、かつて「依存症者」は「自己責任」ではないかと疑っていた。人間は自分の問題を自分で解決するべきだと。それが「自立」だから。そうできないのは本人の「問題」ではないか?しかしその疑いがどこかで崩された。本人が解決が難しく苦しんでいるから、そこに「病」として発露する。そしてそれは、それも自分に連なる人間という「生き物」の脆弱性だと熊木氏が判断したためだ。

どこかで自分と連なる病気だということを拒否していたが、様々な関わりを続ける中で、それを「容認」した。この一見差別的にもみえる、しかし率直な言葉に私は心動かされる。それは自分の中の、自分に連なる場所にある「病気」「人間」を問い続けることだからだ。

彼は多くの臨床場面で、様々な医師が不得手とされる「境界例人格障害」について、むしろ彼らと出会うと彼らは我々を動揺させようとするが、そのことは医師にとって「独立した安全な個」でいられない、関係性に「巻き込まれる」と述べる。しかしそうやって、「境界例人格障害者」が様々な医師に対する攻撃的な言動をしたとして、それはむしろ自分自身と患者を含めた治療関係を「鳥の目で」(第三者的に、俯瞰して)見る訓練になるという。
ここで注意したいのは、いつでも「超然とした」態度を取れるようになることが医師の大事な点ではないということだ。逆に熊木氏は「鳥の目」が「治療の軸」になってはいけないとさえいう。それは「目の前の」人間への無関心になってしまう。これでは治療マシーンになってしまう。厄介な患者を前にして、普通なら怒ってしまう。そこでしかし、ただ引いていたり、ただ怒っていたりすることではやっていけない。熊木氏は「鳥の目」を「治療関係が煮詰まった時に」出てきたとか「泥縄式」に学んだというが、人間に巻き込まれてはじめて深く学ぶことがある。

それは関係の中での位置取りみたいなことではないかと思う。往々にして愉快な他者ばかりでなく、むしろ互いに迷惑を掛け合うことや、害をなしあうことが多い。この「人間の条件」について局外者はいない。(もちろん死ぬとか、生きながらなるたけそれから遠ざかることは一応出来る。)
熊木氏自身がおそらく、うまく関われないでいた依存症。それは多かれ少なかれ、人間が生きる上でついて回る何かであることを知ったのだ。

何かにハマって身動きがとれない。そういうことが深まる。そうすると苦しい。生活が壊れる。からだも壊す。それ以外の出口のない生活の中に入り込んでしまう。そういう依存症のメカニズムがあるとすると、多かれ少なかれ、この世界に「苦」がある限り、この病気は逃れられない。しかし、これが極大化し、依存症としてあらわれると、その人の生存が危うくなるからこそ、あるいは人間仲間との切断が起こってしまうからここでは「治療」というが人間生活への「連れ戻し」が必要なのだ。
しかし戻ってくるのは本人なのだから、医師は補助的にしか手を貸せない。人格障害者に対しても同様である。熊木氏は人格障害者の攻撃的言動は「投影的同一視」で一部説明することが出来るのではないかと述べる。

例えば境界性人格障害のAさんが、人に対して冷淡な感情を持っているとします。それを自分の自我の中に見出すのではなく、目の前に対面している治療者の中にその冷ややかさを見いだして激しく罵倒するとします。
これに巻き込まれると、治療者はひどい困惑とやり場のない怒りを経験することがあります。ただ、境界性人格障害の患者さんにかかわると、治療者のほうはとても鍛えられるといわれています。精神科医は、投影性同一視をめぐって、患者さんから独立した個でいられないですからね。

私も一度、ある医師と大喧嘩して、境界性人格障害の疑いありとなったことがあり、しかしその先生とはどうも相性が悪いと思い、転院した先で、人格障害とはことなるある精神病と診断されたのだがそれは置こう。
ただ、私はおもうのだが、「境界性人格障害」であるかどうかは別として、自分の許せない部分を他者に投影するということはありがちではないかと個人的には思う。しかしその度合が激しいなら、それに関わるひとは大変疲れるわけである。しかし、ここで相手を憎んだとて、優しくしたとてそれはなんら問題の出口にはならないのだという「諦め」に近いものが、熊木氏の中で生じたのではないだろうか。

関わりの中で、ある意味ずっと怒り続けていることもできないという実際的な理由から、ある認識に到達する。自分と他者の間で激しい葛藤が医師であろうと起こる。しかし逃げられない。しかし押し返されることもできない。だとしたら、ある柔軟さをもって対処するしかない。そういう他者とのせめぎあいを私は熊木氏の中に見るのだ。これは懐柔でもなんでもない。人がだれかと関係してしまう以上、ある境界線を様々に引きながら生きざるを得ない。しかし自分も相手も毎日変化する以上、(我々は生き物だから)それは日々変わっていく。変わっていく中でしかし、あるパターンを見いだして対応する。この場合そのフレームが「投影性同一視」である。この言葉それ自体というよりもこの言葉を見いだしてかろうじて、葛藤を言語化した熊木氏の「経験」から深く学べることがあるように思う。

ある場合やある局面では人間から逃れられないからこそ、人間と、つまり私自身とうまくやっていくこと。逃げることもあるが大幅に逃げすぎないこと。ただ、熊木氏も注意しているように、統合失調症の場合にはその社会参加の困難が極大化するリスクを負った病気だということだ。これは私も差別的にいうのではない。それは統合失調症になっても、様々な生き方をしている人がいるし、現にたくさんお会いしたことがあるからだ。が、しかしそれでも、社会参加といおうか人間の条件からはじき出されてしまう「苦しみ」を精神病圏の人々は大きく背負っているようにも思う。これは私の偏った見方かもしれないが、しかし自分も無関係ではない問いであるため、またいつか何かの形に出来たらと思う。

つまり参加には「主体化」が必要だが、それがどのように果たされなかったのか、うまくいかなかったのか、どうしたら、そこから再び歩き出せるのか。これはとりもなおさず自分自身の問いであるから。(熊木氏は本の中で主観的身体像や、薬物はその人の「存在構造」に働きかけるといっている。ガタリが晩年「主観性」のエコロジーといったように思う*3が、人が自分の生を最低限以上に認めうる、受けいれうる状況が必要であり、それは地球環境だけでなく人の「精神的」環境もそうだといっていたように思う。そういう意味での「主体」)

*1:

精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)

精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)

*2:

青年期―精神病理学から (中公新書 (463))

青年期―精神病理学から (中公新書 (463))

*3:

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)