細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

お通夜

昨日は、伯父の通夜に参列した。7時半からだったので、ご飯を食べずに電車、バスをのりついでいった。昼からずっと曇りで雨が降りそうだった。最寄駅に着くとバスの運転手たちが集まって、合羽を着るかどうかとか似合うかどうかみたいな話をしていた。発車まで時間があり、駅前のバス停は暗く人も少なかった。
バスが発車すると、伯父が入院していたと思われる病院の前を通っていた。7時すぎ。会場近くのバス停に着く。幹線道路のあたりは排気ガスがすごい。一瞬会場の位置がわからないでいたら、道の反対側で弟が手を振っていた。マクドナルドでお茶していた模様。

非常に大きな会館。たくさんのひとが集まってくる。伯父は町工場経営の傍ら詩吟をやっていたどこか風雅なところのある飄々とした人物だった。町工場は儲からないし、なんとかやっていけるので工場の機械を手放そうかと話していた矢先だという。伯母も非常にアクティブな人。近所の人や仕事の関係、それから様々な活動の関係の人でたくさんの弔問客があった。いつまでも焼香の列がとぎれない。伯父の顔を見たが、生きていたときからどこか飄々とした雰囲気をたたえていたが、さらに生きているときよりもアクが抜けて、すっきりとした顔になっていた。それを親戚の人に言うと、みなうなづいていた。

ご飯が出たのでビールを飲みながら、久しぶりに会う甥や叔母さんや叔父さん、そのご家族の子どもたちと話していた。しばらくあっていなかったので新鮮だった。僕が構えて話さなければ、向こうも構えないのだなって思った。それと自分もオジサンになってきたのかなあとビールを飲みながら思った。
帰る頃になると雨が強くなってきたので、父の車で最寄り駅まで送ってもらって帰った。

疲れなどで葬儀は出席できなかったのだが雨はさらに強くなり、夕方頃にはすっかり止んでいた。嵐のようだったと母方の伯母さんがくれた電話でわかった。

伯父が亡くなってしかしそこにはやはり不思議なぽっかりした空白があるのだった。伯父の詩吟をもっとたくさん聞いておけばよかったと思った。伯父は倒れた後、すぐ呼吸、心停止をしてまた息を吹き返したり、10日間くらい生死の境をさまよいながら、旅立たれた。伯父はきっと自分の家族や様々な人と少し話したかったから、ひょっこり引き返し、何度か息を吹き返していたのではなかったのかと思った。そう思わせる飄逸な、しかし思いの深い人だという印象があるから。