細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

精神の構造化、組織化としての文書化

自分の気持ち、心、それを組織、構造化させる方法として

①これにはドキュメント=文書として保存するという方法がある。

文書(ぶんしょ、もんじょ)は、参照されることを前提として記録される情報である。一般にはぶんしょという。もんじょという場合、特に古文書学(こもんじょがく)では、差出人が相手方に意思、用件を伝えるために書いたものをいう。

伝統的には紙に文字で記録されたものをいう。典型的には法律や契約が文書に記録される。これは文書の改変が困難であることと、参照が容易であることによる。この場合、文書に対比される概念は口頭である。

今日では、紙以外のメディアに電子的・磁気的に記録され、コンピュータによって操作される情報も文書の一つである。この場合、英語のままドキュメント(document) と呼ばれることも多い。コンピュータの文書はファイル単位で扱われる。

文書はしばしば裁判の証拠として利用される。

文書は将来に向けて変更がありえる情報、記録は文書の一種であり過去の事実に関する情報、と言う概念もある。
文書 - Wikipedia

新聞記者がテープに保存したり、古くは古文書であったり。これは考えるための基体、素材、土台になるものだと思う。メモはもっと断片的だが非常に近い。

②もう一つテキスト化するやり方もある。

テキストは英単語の text が日本語に取り込まれた語である。主に文章のことで、そこから転じて教科書、文字データなどの意味を持つ。言葉によって編まれたもの、という含みを持つ語で、織物(Textile テクスタイル)と同じくラテン語の「織る」が語源である。
テキスト - Wikipedia

織るということは複数の言葉、行をあみあげて、構成体をつくるということだと思う。ここには幾ばくか「編集」「推敲」「構築」(集めたものを編んでいく)というニュアンスがあるように思う。

③落書落書き - Wikipedia

この行為・またはそれによって書かれた物は、多くの場合において第三者にしてみれば意味の無いものであるが、古いものでは民俗学などに於いて当時の風俗・文化を知る上で大きな手掛かりとなるケースも見られる。ノートの隅や本の端などに書き散らされる物では半ば無意識に書かれる場合もあるが、他人に見せようとして書かれる物では意識的に書き記される。

ただ客観的に価値が無いと見なされた著作物もこのように形容されるなど、この概念が指す対象は広範囲に及び、商業価値の重視されない同人活動では、自嘲を含めて自らの著作物を落書きと称する場合も見られる。とはいえ、それら同人活動の成果物も金を払って購入する者もある以上、無価値であるとは一概に言えない。中には、その記述内容が様々な意味で価値をもちうる落書きも存在する。

この落書がメモであるかもしれず、ドキュメントの一部かも知れず、またテクストの端っこのカキコミかもしれない。みなさんも子供の頃よくやったのではないだろうか。あるいはただ書かれているということもある。ただ「鳥獣戯画」は落書の範疇を大きく超えて「作品」と見なされた例である。また、二条河原の「落書」というものもある。

二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)とは、室町幕府問注所執事の町野氏に伝わる『建武年間記(建武記)』に収録されている文である。88節に渡り、建武の新政当時の混乱する政治・社会を批判、風刺した七五調の文書。専門家の間でも最高傑作と評価される落書の一つである。

鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により開始された建武の新政が開始されてから程なく、1334年(建武元年)8月に建武政権の政庁である二条富小路近くの二条河原(鴨川流域のうち、現在の京都市中京区二条大橋付近)に掲げられたとされる落書(政治や社会などを批判した文)で、写本として現代にも伝わる。
二条河原の落書 - Wikipediaより


これは建武の新政を批判する「政治文書」であった。この二条河原の落書は「88節」あったのだが、詩人の谷川俊太郎は「落書99」という作品集を残している。これは「88節」の二条河原の落書を意識したものと思われる。
作品を引いてみよう。

*シロウト

<シロウトなんです
科学のほうは>
クロウトです
政治のことなら
シロウトなんです
日本の未来については
クロウトです
永田町の現在についてなら
シロウトなんです
大臣の仕事に関しては
クロウトです
大臣になる方法としてなら
谷川俊太郎「続 谷川俊太郎思潮社1979 P.194より)

括弧書きされ、最後はクロウトかシロウトかわからない。そのことで、シロウトとクロウトのクラス、というか位階がごちゃごちゃになる作品である。
最初の<シロウトなんです>をどこに続けるかで違ってくる。もちろん順番から読めば、<科学のほうは>なのだが。しかし大臣になる方法ならの続きはなんだろうか。

シロウトなんです
日本の未来については

と読むか

日本の未来については
クロウトです

と読むかによって意味合いが変わってくる。よく考えれば、日本もそうだし、周囲の共同体に関しては本来は誰もが「シロウト」の部分と「クロウト」の部分を持つはずなのである。

まずそこで、個々人が自分の構想をメモしたり、あるいはテープに入れたりしてドキュメント化しうる。そのことをテキストとして公開したりすることがブログなどでは技術的には可能である。
またそうではなくて自分たちが約束したことを文書化したりする方法も古くから人類はもっている。

ブログやインターネットのコンテンツを寄せ集めたもののみが集合知なわけではない。個々人の書くもの、話したこと、考えていること、これらはある集合知である。とはいえ、ただそれだけではまとまりを欠いてしまう。であるからある人はそれを「作品化」し、あるいはしないのである。作品は「集合」ではある。しかしある意味で完結しない集合であり、それは時間的、空間的にそうである。共同体も似た側面をもつはずだ。そして必ず破れ目、局外者、反対者を含んで共同体は成り立つ必要がある。民主政体は歴史上、奴隷制や軍隊など様々な犠牲や暴力のシステムを随伴してきた。今も建前上は自由平等であっても、大変な参加格差、障壁が存在し、そのことがそれぞれの人の存在を毀損し続けている。その毀損は大変根深いため、単なる人格の全面肯定では追いつかない。
それぞれがそのようにあるということの意味を互いに考え続ける作業がなくては成り立たない。

そうして、自分の、自分たちの精神を汲み上げ、組み立て、自分なりの痕跡を残そうとする作業があるのだ。ある危機意識から作品創作は始まる。それは多く無意識的なものである。現代思想でテキストやアルシーブ、それから痕跡という言葉もある。しかしこれらの概念は自分たちの創作に引き寄せれば極めて具体的な様相をもってくる。単なる西洋思想の概念ではないのだ。
それは日本や東洋に限らず様々な国に、物語の形成や、精神の具象化の方法があるからだ。呼び名や形はずい分ちがうけれども。それを学問化したのが例えば、人類学や言語学である。人類学、言語学、日本では民俗学というがこれは訪ね歩いて聞いたり見たり参加したりして集めた記録が元になっている。
宮本常一は各地を歩き、その土地土地にほぼ旅人として、国家の記録に反映されない人々の記録を起こして本を書いていた。宮本常一は自分は聞いて回って集めて地味な仕事をしていたのだが、それが改めて注目されたのは年少の民俗学者谷川健一のお陰だとのべたという。*1


作品自体が複数の声である。が、それはあるまとまりを読むもの、みるもの、聞くものに感じさせる。それがまた複数の人や文脈の中にさらされ、接続する。精神とはそういう働きのはずである。おまえが反省すればいいという声や、みんな考えようという空疎な、つまりは暴力的な声が幅を利かせすぎている。危険である。
精神の破壊が進むのはある意味で不自然ではない。それは現代の文明のアポリアそのものでもあるからだ。

さて。
僕は詩を書いていて、「作品合評」といって、各人がそれぞれ作品を持ち寄り、互いに相互批評しあう場がある。これは大変運営に難しさがあるが、うまくいけば、相互創発的な力をもつともいえる。
しかし下手を打つと、お互いのたたき合いで収拾がつかない怖れがある。

しかしそもそも私が自分の作品を書こうといきなり思ったわけではなく、もやもやした塊を次々ノートにぶつけていて、(それは多くは自分がこの世界に存在しないも同然な感覚があり、しかしそういう自分がみた風景や記憶があることを書き留めておきたかったからだが)それがたくさんたまっていって、誰かとつながらなければ、自分がなにがなんだかわからなくなるというところまでいったからである。それでいくつかのプロセスを経て「大阪文学学校」という創作教室のようなものにいったのである。それからもいろいろあったものの、そこで覚えた「作品合評」というやり方には非常にまだ可能性を感じている。美術や、音楽ではもう少しライブとか、審査という色合いが強いのだろうか。わからない。

写真や映像はドキュメントとしての決定的な意味を持ったはずで、思想家ではW・ベンヤミンロランバルトが私の思い出に残る論者である。しかし証言するだけでなくそれを様々な形で編纂する、構造をもった論拠として使用することが、必要である。そうでなければただ「戦争の悲惨さ」が観念として訴えられるだけだ。前のエントリで扱ったサルガドはそれを免れているようにも思うのである。