細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

こういう作業が大切かと

わからないように目印をつけておくこと。そう、しるしが大事。しるし=記、徴、験、標。それはプロセスの発生する場所?

僕らが生きるとき、言葉を使うのはそれが目印だからだ。僕らは無辺際の、つまり無限の世界の中で、ただひとり小さな生のともしびを担っている。燃え尽きるまでは、死は例外事ではなく、ありふれ世界の果て、別れである。

あの人は小さな指輪をはめていると覚えるとする。その人そのものの全体を一挙に言語化することはできないので、小さな徴をつけておく。
徴を脳の中に刻んでも、すぐに忘れてしまうことがありうる。しかしどこかにひっかかりを感じるならば、そのことの感触をしっかり確かめてみる。

少しずつその人が様々な風景と記憶の中に立ち上がってくる。出会うのはもっとさきである。しかし出会いはすでに起こっている。

日々生きる中にこういう事件がたくさんある。ある人は自分にとって出来事として表れ、他はそうではない。これは謎である。しかしどこかに、この「私」を解き明かすヒントを僕は誰かに求めつづけざるをえないのである。

出会いということに様々な色彩があり、友達や他人といった少ない属性でなざすしかないが、自分が誰かにとって何者かというまとまりを形成したり、誰かが自分にとって何者かになることが愉楽である。また苦である。