細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

パロディ

パロディというのがあるけど、あれは皮肉や冷笑みたいなものだけではつくれない気がするぞ。むかし清水義範が「猿蟹合戦」のパロディを書いたり太宰が昔話をいじって小説にしていた。
パロディはその基になる作品をどこかでつきぬけてないとつくれないんじゃないかと思う。きっちりパロディしたくなる作品や素材を愛をもって観察し、痛烈につきはなさないといけない。そういう意味で怒りや知性といったものも、笑いに増して必要だ。

最近ユニコーンの「半世紀少年」を聴いたからだ。こんなこというのは。たぶん。

やっぱり音楽をもう楽しんでやっている。楽しむといったって、それは真剣な「楽しい」である。最初ブックオフで流れてくるラジオから聴いていた分にはまたなんちゃってな感じのラッパーが曲を出したのかと思った。しかし50歳になるドラマーの西川さんがこんなに軽快にライムを刻んでいるのを見たら、これはすごいと思った。いつこんなテクニックを身につけたのか。。50.50とでてくるのは年齢だし、歌詞もよく聴くと中年なのがわかるのだ。
もうひとつ、このたび急逝した加藤和彦がいたフォーククルセダーズの「水虫の唄」当時の歌謡曲、加○雄三とか、グループサウンズへの挑戦である。しかもクラシックを流用する辺りも、「半世紀少年」の先祖のように思える。まさしくこういう戦い方が「ポップ」なのかなと思う。

加藤和彦ウィキペディアの記述を読むとこの辺りで大変な戦いをしていたことがわかる。以下http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%92%8C%E5%BD%A6より引用。

シングル2作目に予定していた「イムジン河」が、南北朝鮮分断問題による政治的配慮から発売中止にされた。これに憤慨し、イムジン河のコード進行を反対にして作った曲が「悲しくてやりきれない」であるとする説もある[5]。
「水虫の唄」(作詞・作曲:山田進一、補作詞:足柄金太、補作曲:河田藤作) ザ・フォーク・クルセダーズが1968年7月1日にアルバム『紀元弐阡年』の先行シングルとして発売した。彼らは曲に合わせていろいろな名前を使い分け、このシングルは「ザ・ズートルビー」という名前で発表した。

この註5を見てみよう。

これについて端田宣彦は「加藤は逆回転させようと言った。確かに逆で聴いても良い曲だった」と1994年放送のABCテレビ『驚きももの木20世紀』で証言している。加藤本人は「ホテルの一室に三時間ばかり閉じ込められ、残り一時間になった時、イムジン河の音符を逆さからたどっていったメロディ-をもとに曲を書いた。実質、十五分くらいでかけた」といっている。実際のところ楽理上から言うと、単純に旋律を逆にたどる、あるいはコードを逆にするだけで「イムジン河」から「悲しくてやりきれない」を生み出すのは不可能であり、相当以上のイマジネーションが必要だったはずであるとする意見もある。

様々な曲を聴く限り彼の音楽は極めて、美しい。下卑たところのないものである。このパロディもまた「悲しくてやりきれない」も非常にきれいなのだ。「家をつくるなら」もとてもいい曲だ。

たたかうということが、単に暴力や何かを指すなら戦うなんて、そんなに難しいものではない。どういうふうにそれを提示するかということ、それとどういう文脈や関係性の中で、たたかっているのかが理解されていなければならない。そういう意味で高度に知的な作業だ。


なぜなら誰かに伝わらなければ、いや直に伝わらなくても、しかし伝えることの中身を空っぽにしない。そういう努力がいるのだ。だって批判したって、批判がどこか人の心を打たないと、伝わらないのだから。
最近よくそういうことを考える。つまり表現のことだよ。いやそれは詩を書くことでもあり、身近な人や知らない人とどうやって必要なことを伝えられるかってことでもあるよ。