細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

まとまり一切無し

 ちょっと好き勝手な口上だけど、気に入ったら読んでください。そうでなければ、途中で読むのをやめてくださってもかまいません。
 最近は自分は「○○な奴でダメなんです。すいません」とあまり思うことがなくなった。その理由は、たぶん面の皮が分厚くなったからだと思う。次に、そういえるほど比べられることが少なくなったからだ。学校や会社にいる場合そうはいかないだろう。なぜなら自分は「○○な奴」というのは相対的な比較なのだから、成績や仕事の出来具合や、いろいろなものを比較する尺度の中で否応なく、自分は「ダメ」ということを思い知らされる。あるいはちょっとした「できる」とかね。
 そういう相対的な比較尺度がまったくなかったら困るんだけどね。
 こういう今の自分の状態は「自信のある」状態というのとちがう。どちらかというと、昔よりは価値の軸や様々な事情があることにいかで世間知らずな俺でも気づいたからだ。そうすると相も変わらずこの社会は、よくわからない「共通性」や「物差し」が幅を利かせていることは感じているものの、それに合わせている暇が自分にはないのだ。これは自分が熱中できる何かに気づいたのではなくて、そういう物差しに自分を引き寄せる力が自分には圧倒的に足りないと感じているからだ。

 比べるということで、一番古い記憶は、縄跳びである。幼稚園で、縄跳びの練習をする。一重飛びが5回できたら黄色のシール。二重飛びができたら赤のシール、二重飛びが○○回できたら緑のシールという具合に。そして俺は、確か一重飛びが出来る。でも5回以下みたいな一番低いレベルの茶色のシールしかいつまでたっても無く、それをずっと握りしめたまま、幼稚園生活を終えたという記憶がある。

 このほかにも運動音痴伝説はいくらでもある。あるが、悔しかったことは確かである。そしてこれで比べていくことでオチこぼれていく俺を自覚した初めての事件だった。

 俺は茶色のシールだ。とまでは思わなかったが。しかしあたふたしている間に足にすぐ縄がひっかかるわけで、どうしてなのかわからない。しかもそういう遊びがなぜか乗れない。それは酸っぱいブドウのお話と同じで、きつねが自分が取れない高さにあるブドウを「酸っぱいブドウ」だとして、負け惜しみをいう話だが、ああいう精神状態だったのか。
 いやそれもあるがその前の年に、自分の兄弟をうまれてすぐに亡くした俺としては現世的な何やかやに乗れない自分になってしまっていたのかもしれないとも思ったりする。なんだか元気が出ず自分が呪われているような変な夢の中にいるような気がした?みたいな?

 そういう世間とズレていく姿勢は、というかなんだか距離がある感覚を俺はどうしたらいいかわからなかったので、負け惜しみしたり、一人で雨の中砂遊びしたり、プラモをつくったりテレビを見たりして過ごしていた。

 そういう俺が様々な関係性の中で比較されたり、うげってなりながら生きてきたわけだから、なぜか高校になってもいじめられていたわけだから、そこで読書によるさらなる浮世離れ、妄想現実化を果たしていくまで、しがらみは離れられなかった。でも、離れたら離れたで、自分の心の牢獄に閉じ込められて、対人恐怖症や内的な病理は増すわけだ。

 そうすると、どこにいても地獄なわけだから20で、死ぬと思ったのだが、卒業後2年たって半年くらいバイトが続いて、それは俺にとっては奇跡で。派遣の工員だから、一応ひととおりの仕事の段取りを覚えて、しかし気力体力はつきてやめて。でもはじめてそこで重いものを持ち上げられる筋肉質な俺を体験し。そういうごくわずかな喜びを味わい。次に数年のニート期間の後嫌々ながら介護のバイトについたら彼女が出来、少しは幸せをあじわったものの、また俺もしかして介護すきなんじゃねえのと思ったのも束の間ウツで辞めて退職して地獄のような別れ方をしてしまったので、実家に帰らざるをえなかったが。それから7年たつけども。

 で、これを話すとキリがないので、これくらいにしておくけれども、そんなだから内的にも外的にも内憂外患つまり安息の場所等ないのであって、しかし休まないと生きていけないわけで、その内と外の界面の薄いところで、ふれながら暮らしていくしかないと思うのだ。

 この界面で生きるということが「普通」ということなのかもしれない。けれども、かなり時間をかけて、しかもぎりぎりでここを保守しているわけであるから、これ以上なにか周りの事情や尺度におつきあいしたり、できるかなと思うのだが。いや申し訳ないけど、俺どれくらい何がやれるかわかんないけど、でも、まあ生きているわ、それ大したことのようではないけど、けっこうがんばった気もするが、そんな自慢もできないわ。けど介護のときとかは「必要とされた」感がありすぎて、でもあの状態で必要とされていても、おれ壊れるから勘弁とか。

 つまり全然ダメな俺もしんどいが、そこにはそんなダメな俺でもいつか的な希望というか妄想はあるわけだが、全然ダメというわけでもない俺を介護という職務を通して感じたらアレはアレで地獄であり、戦うものが多すぎてそら皆やりたがらんわと思うわけであった。

 だから、やる前からやりがいを失うことも、やりがいみたいな夢をみさせられても、どちらもある種何かが実は全然自分の手には入っていない状態なのはかわりない。だから必要・ケースに応じて、ある程度是々非々で好きなことも少しはやらせてもらう感じの、そういうのがまあおっさんの感覚ではなかろうか。俺はもっと浮世離れしいじけているので、ケースバイケースはわかるが、もう少し夢みたいなものを見てしまうというか、ちょっとそっとしておいてほしいくせに、人には口を出すようなそんな「扱いにくい」おっさんではなかろうかと思う。
 いや、たぶんそれは自意識の線上の問題であって、会う人によってかなりそれはちがってくるんだけど。俺のことを苦手なひともたくさんいると思うし。
この文章、まとまり一切無し。