細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

宮武外骨『面白半分』より

明治から太平洋戦争後まで活躍したジャーナリスト宮武外骨
政治批判もマメ知識も、いたずら書きもある。
こないだそんな本をいつも本を売りに行く古本屋で買ってきた。
いつも世話になってるというのもあるし。

(問)
俗に泣く児は育つと言うのは本当ですか
(答え)
俗諺はアテにならぬものもありますがこれは確かに一面の真理です。母親が乳房を離すと泣いたり、背負い癖がついた児を横に寝かすと泣いたりするのは、毒にならないことですから泣くままにまかせておいてもよろしい。それは泣く時には呼吸が深くなって消化も良くなり、血液の循環も活発になるものです。これはあたかも大人が散歩運動しれ得る結果と同じことです。したがって嬰児の泣くのは強壮に発育成長する基と言ってもよいのです。ただし病気で泣くのは例外です。

  

へ〜そうかも。というか実際そうじゃないのって思う。自分は泣きそうで意外と泣かない子供だったらしく、だから心の頑なな、息苦しい人間になったのではないかとか思ったりした。
そういや精神病がひどいときオイオイ泣いた時期があった。ホントかもしれない。


こんなのもある。米騒動の頃の話か。

昨年八月各地に起こった米価騒動の群衆は、生活問題に接触した殺気満々たるものであったが、そのうちでも色気の方面に活劇を演じたことが多々あったらしい。それを類聚してみると、芸妓を揚げて遊んでいる待合茶屋の座敷へ群衆が闖入して客や芸妓を袋叩きにしたのもあり。また遊蕩児が芸妓と合い乗りしている自動車に石を投げたり


無茶苦茶である。恥ずかしい。。外骨はこれをこう分析する。

その近因は、諸物価暴騰のために、食事生活すら充分ならぬ身では、性欲発展の余裕が生じないので、他の成金輩が淫蕩に耽るのを視て嫉妬の情が熾ん(さかん)になってい、それが群集心理の作用によって破道徳的に勃発したのである。そしてこの破道徳的の暴挙は社会学で証明する婦人掠奪の遺習と見ねばならぬ


引用終わり。そこから部族間での女性の掠奪があったという記述に至るのだが、かつてのナチス女性嫌悪ミソジニー)的な集団だったことが思い出される。それと貧乏はやはりまずい。教科書にも載せてほしい。

だからって僕は自分はあんまり女性に優しくするのは苦手なように思うが、集団で誰かを襲うというのはイジメが自分もやられて嫌だったので、したくないことだ。
人間は個人でも悪魔をもってるし、自分もけっこうデタラメな人間だから、逆に優しい人でありたいと願っている。集団も一つの人格を持つ。さらに厄介なのは良くも悪くも個人の暴力より集団の暴力は被害が甚大だということだ。(男でも女でも)やはり大事なのはひとりひとりの良心だな。それと欲望は歪ませたらどんだけでも歪むから気をつけよう(俺はもう遅いか)


最後にもういっこ。

人類に尾があってみよ。お互いに表情を明瞭にすることができる。たとえば好いた男とか、好いた女子が来た折りには、犬のごとく尾をピラピラ振ってその情を表示し得られ、あるいはまたここにおいては一身の不利益であると思うような場合には、尾を垂れてそこそこに逃げ帰ることも


おいおいホントに便利なのかそれは??



面白半分 (河出文庫)

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