細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

社会工作

2009-09-02 - Freezing Point
いつも追いかけている上山和樹氏(id:ueyamakzkさん)のページだが、今回は久しぶりの更新だった。
上山氏のこのエントリの「青春リアル」は見逃してしまったが、どこかでアップされているか探してみたがなかった。残念である。本来はそれをみて議論したいところだが今回はできなかった。
上山氏のこのエントリにはデイケアソーシャルワークと自分に関わるいくつかの言葉が出てくる。自分は社会福祉士の免許を持つが体調が不安定でデイケアかよいの精神病患者でもある。
それについて思いついたことを書き留める。取り止めがないかもしれないが上山氏や様々な方の参考に少しでもなればと思う。

僕は最近デイケアの職員さんに「就労」支援講座の話など聞いていたので非常に興味深く読んだ。「就労」という単語にも上山氏のおっしゃる「硬直」したニュアンスがある。

まあそれは置いておいて、自分はデイケアを利用しているわけだが、その使い勝手からいえば個人差があると思うけど、人によって利用のお金がちがってくるとかも大きい。昨今つぶれそうな障害者自立支援法の精神科通院では、一応利用料の1割負担ということで応益負担になっている。ただ所得によって応能的な仕組みがあって、自分の場合月額5000円までしか払わなくてよい。(1万円2万円などいくつか仕切りがあるはずだ)その上、大阪府国民健康保険加入者なので、自己負担は府がカバーしている。なぜなら、長期の精神病患者の所得などほとんど0に等しい。自分もそうである。ないところからお金は湧いてこない。福祉がどうとかではなく、実際にないのだからどうしようもない。事実上障害年金と、生活保護しかない。就労が可能な場合はこれに限らない。しかし事実上フルで働く人は長い精神病患者では多くないのではないかという気もしている。
また親の社会保険に入っている場合、三割窓口負担になることもある。

上山氏は自分や「周りを楽にする」という作業が大事で「受け入れられる」とか、「がんばる」ではヤバイといっている。自分もそう思ったので、とりあえず4年前に障害年金を申請した。障害厚生年金2級であった。(現在は3級)僕は前の職場で厚生年金に加入していたので、基礎年金プラス部分がもらえた。しかも3級は国民年金にはない。厚生年金は3級のみだ。年金申請も近くの支援センターの職員さんや、家族の手伝いでできた。手続きは病気が思わしくない場合、信頼できる第三者に相談するのも有効だと思う。

社会資源の利用もそういう意味でなかなかしんどい。

所得がないということは、あるいはそれを獲得するのが難しい状況というのは、人間にとって危機的である。自分の住む場所も、食べるものも制約される。なによりも精神的に追い込まれる。遠慮したり抱え込まざるを得ない多くの悩みがある。お金がなく仕方なく実家に帰ると実家での親との価値観とのズレに悩むなど。この年で親からお小遣いをもらうのは大変心苦しく辛い。そういう意味で公的な生活保障の意味合いは世上思われるより大きい。誰でも一人の力で生きていくことが難しいときなんらかの工面をせざるをえない。本人の自尊心の問題もある。もっとひどい親ならたたき出す場合さえあるだろう。

ひきこもりもこういう問題といくつかの点でつながっている。


さてそうして自分の所得が確保できても、それは月額10万足らずで一人暮らしは難しい。そういうわけで、誰かと同居するか、グループホームを利用する等のケースになる。うちの近所には退院者向けの援護寮というものがあった。また生活保護を取得する手もある。しかしなんらかの支援がなければ生活が破綻するケースもあると思う。もちろんうまく行く場合もある。

もちろん所得という問題がある一定の解決を見ても、その先にその人の「生活」が成り立つかという問題がある。社会的なスキルなどもある。

ここが大きい。つまり「自分が生きていくために何が必要か」それを見極めることが精神病や社会的に追い詰められた存在ではむずかしくなるのだ。

自分と周囲を生きやすくするというのは、まずは僕の場合、病気の症状をマシにする。それに慣れるということがあった。そのためには何人か信頼できる人を「分散」させてつくる必要がある。(自分の場合利用するデイケアと診察の病院はちがう機関にした。)まず、ろくでもない先生から、より信頼できる先生に代わり診断書を書いてもらい、なんとか親に金を世話にならない程度には所得を確保し、適切な治療と生活の再建を行なう。精神病になったり社会生活で多くの傷を負うと、物の見方が窮屈になる。しかしそれは急に広がらない。なので、ひとつでも自分ができることをやるようにした。

病気はいきなりは治らない。できることのバリエーションをひとつずつ増やすのが治療の意味である。かつてできたものがひとつでも回復するとうれしい。自分の場合本を読めるようになったことなど。

そこではもちろん医療者の適切な助言が必要だ。自分は意識状態がおかしくなってても、先生にわからないこと、納得のいかないことは聴いていくことにした。そのうち自分と先生は役割はちがうので、先生から活用できるアイディアはどんどんもらおうと思うようになった。「散歩したらどうかな」とか、そういう細かい実現可能なアイディアこそ役に立つ。

まだまだ書き足りないが、自分をよりマシな状態に置くためには「遠慮はしない」ということは大事ではないかと思う。もちろん暴力的な態度ではまずい。そうすると聴きたいことがきけなくなる。(あまりにも不利な処遇の場合断固抵抗することも必要である。しかしこれは大変リスキーだ)ただ、自分の場合もう「アホ」に徹する。素朴な質問をして、ひっかかったことをひとつひとつ解決するという作業が大事ではないかと思う。ソーシャルワークのワークには粘り強く自分がマシな暮らしになるために「学習」したり「経験」することで、周囲の変え方ややりすごし仕方を学ぶという側面もあると思う。

自分の愚かさを隠さないことだ。そこに自分を救うヒントがある。

賢さではなく、わからないことをもち続けるという意味での耐性は必要だと思う。理不尽な環境に異議申立てたり変えるためにそういう「しつこさ」「認識」をどう自分流に作り上げるかということもあると思う。*1

自分は今のところ体力的にも色んな意味でも普通の意味での就労は一挙には出来ないだろうという見通しで医師などとは一致している。しかしある場合にはなんらかのことが少しはできるかもしれないと思う。すべてを諦めて自分は廃人だとおもっているわけではなく、自分の限界を正当な意味で、認識しかけているところというべきか。

あと自分は詩作という意味での「制作」(work)は病気の間非常に熱心にやったのではないかと思う。ソーシャルワークには上山氏のいうように様々な意味合いがあり、ソーシャルワークは本来歴史的にも手づくりのものだったと思う。そこと仕組みをどうかませるかだ。

*1:上山さんの「「どうすれば受け入れてもらえるか」と考えるのは、自意識を強める。 そもそも「嫌われたくない」と考える人は、かえって嫌われる。 「意識すればするほど自転車に乗れなくなる」のと同じような、再帰性のドツボ。」という発言に対する応答としても考えた。お互いにとってよいこと、「親切」を目指すならば必要な時にしっかり話をすることも互いの信頼関係の構築になるはずだから。