細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

秋に向う空

近所にちょこっと買い物に出ると、見事な空であった。秋に向う空だった。
きのうコーナンで598円で買った空気入れで、自転車に空気入れたんで、気持ちよく坂道を下ったりした。
昼は原稿書きに専念した。

それから北村太郎の詩をいくつか読んだ。北村太郎は空気が乾いてくると入りやすい。ベストは冬なんだが、虫の声とかきこえてきてもいい。

夜は友達に電話した奥さんが二人目の子供を生むらしい。保育士もやっていて子供が好きな男だ。でも保育士であっても男手が足りないので、結局管理職兼用務員が実態だと彼はいっていた。


昨日内村鑑三の「代表的日本人」を読了。岡倉天心茶の本」、新渡戸稲造「武士道」と並んで明治時代に英語が出来た人が日本の文化を海外に知らせる意味でもとは英語で書かれた本。
内村鑑三は江戸時代を知っている人で、だから「サムライ」についていろいろ語る。また出版当時日清戦争を義のある戦争として、文章も書いたが、その間に日本の対外侵略の酷さに気づき、後に非戦論者となる。不敬の罪で教職を追われたりもしている。だから功罪半ばしている人である。


内村鑑三のこの本は昔なら題名でつまずいて読めなかったと思う。なんか「代表的」といわれてもなみたいな。

内村は武士の家に生れた。そのせいかは知らないが極端に潔癖を愛するところがある。だから、逆に反省を潔く出来たともいえる。そこには聖書を読んでいろいろ悩んで考えたとこもあるんだと思う。
自分自身に欠点はあってもそこをギリギリ受け入れられたのだろうかなと思う。

意外と終生悩んでいたかもしれない。そう思わせるところがこの人の本を今でも読めるものにしている。

でもなんだかなあとも思う。

ただこういう紆余曲折を日本人は何度も経て今の日本になっていると考えるとなんかその矛盾のしぐあいには、今もかわらないものが流れているような、反対に20世紀後半生れの僕なんかとはまたちがう心境だったんかなとも思う。

同じ日本人というけど、たぶん、それぞれの階級や、その置かれた時代状況によって、だいぶちがってきていると思う。だから過去の人は自分と似ているようで、だいぶちがう他人だ。そこが刺激になる。