細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

大阪花火

昨日はライブイベントに行ってきた。「大阪花火」はそのイベントのこと。3daysなのだが、最終日友人の市村マサミくんが出演するので行ってきた。むっちゃ楽しかったぜ。踊ったし、声援もいっぱい送ったし。

マサミくんがよくライブする十三テハンノというライブバーのマスター浅田純平さんが主催である。浅田純平さんは、うちの弟にホントに雰囲気様子などがそっくりなので何か縁があるのではないかと思っている。店員のあおさんも出る。これは是非いかねば。去年はスクーリングで少ししかみれなかったので。

場所は心斎橋クラブジャングル。1ドリンク2000円。21組も出て2000円というのは、各人のギャランティーが心配ではある。しかしお得である。結局みんな飲み食いするため、クラブジャングル的には成立するのだろう。でないともう何年も続かない。

マサミくんは緊張で死にそうといっていたが、カッコよかった。癖のある歌詞でだが、部屋に閉じこもるみたいな部分があり、普段よりじっくり歌っている気がした。そこがすごくよかった。その歌がすごくよかった。ひときわ沁みてきた。マサミくんはパンク風の「〜かい」という歌詞の似合う男だ。いつもはシャイな感じなのだが、舞台に映える。少しずつその照れの覆いが取れて、渋くなっていっている。しかも普段はむちゃくちゃ関西弁なのである。


他にもアコーディオンでタンゴ風に歌う人がいて、その曲が流れると客が連れてきた子どもが、よたよたあるきだして、すごく似合っていた。昭和ラジオというしっとりした渋い女性の歌い手さんもかっこよかった。半端なく、憂いがあるのである。中島みゆき岩崎宏美というとわかるか。美しいながらも、悲しげで悲しげであるが凛としている。河内音頭をうたったりした人もいた。高島さんのかわいい感じもよく出ていた。あおさんもあの場所で朗読はかなり難しいことだと思った。しかしやはり独特の雰囲気があって、場を呑む力がある。

何より近いのがいい。舞台に。しかも、ふだんやっているライブバーよりは大きい。そこで歌える張りというのが、みんなを輝かせていた。

あんまりみんな書くとキリがないが自分的にはハズレはあまりなかった。かわるがわるなんで飽きもこない。誉めすぎか?でも自分はひきこもってることも多いから、そこは僕の主観が入っているけど。つまり刺激をびんびん感じやすい状態だってこと。

最後の方に近づくと、平均年齢が上がるものの、異常にギターがうまい連中が出てくる。アホみたいな感想だがギターはホントにいろんな音が出る。ギターの美しさを実感する。昔高橋竹山という三味線の演奏家のCDを聞いて大変感動した。彼は昔の人だ。ホントに津軽の寒くてしょっぱい風を感じる。三味線すごい。雅楽の楽器も友達がやってる。なんかあれも独特に空の様子が浮かぶ。

たとえば、アメリカのブルースシンガーにとってのギターもそういう位置なのかもしれない。風土とか空気とか。生き様とか。ブルースとかソウルをうたう人が何人かいたが、そういう感じに曳かれる。本場とはちがうけど、ちがうけど、日本にも大阪にもブルース的な苦労はあり、深沢七郎の場合ならプレスリーに感動して流しになって楢山節考を書きみたいな…

マサミくんもいっていたが、人にはふだん外していないブレーキがある。
音楽でその抑制を少し外せた。そうすると、悲しいとかうれしいとか、そういうのが普段はかなりいろんなブレーキを無意識にかけているのだと思った。
そうすると、自分は大人気ない、ほんまにダメな奴やけどそれでいこかなとか感じるし、またこういうアホでもこんなに心が動いていくんだから大丈夫と思える。

心が動いていることを何かいびつな癖の中に追い詰めている。呼吸を自分で、あるいは周りからの要求でしにくくしている。これは理屈ではなく、自分は町を歩くとき、呼吸があさくなって身体が痛くなることがよくあったのだ。それが少し晴れる感じがある。

世に生きる限りそれはある意味無理のない部分もあるのだが、深い心の動きやシンプルな思いに、気づくきっかけの中に音楽ってのはあるんだなあ。いやほんま、ちどり君の歌は感動した。僕の弟に似ている純平さんもすごくよかった。

ほんま踊ったり歌ったり。昔の人間が村祭りとか、そういうのをやってた理由がわかったような気がした。さすがに8時間くらいいたので疲れたが、胸のつかえが少し晴れた。それだけ胸のつかえはいっぱいあるってことだ。理由あるなしかかわりなく。

子供の頃、大きくなっても鬱々としていたので、久々に子供の頃がとりもどせた気がする。