細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

薬物依存、あるいは依存症一般へのこの社会の中の無理解

 これから書くことは酒井法子のファンだからではない。むしろファンではない。最初にそう断っておく。それと依存症の専門家ではないことをおことわりしておく。

 僕は槇原敬之のファンだ。もちろん彼が違法薬物所持・使用で逮捕されたことについては残念だったと思っている。
 ただ、彼はよく復帰した。よくがんばったと思う。再び歌が聞けて僕はうれしかった。どのような治療が行なわれたかはわからないが。ただあれだけのマスコミや様々な風評による社会的制裁の中からよく戻ってこれたと思う。彼自身の責任であるとはいえ、実は薬物依存からの回復というのは大変難しいものだから。

 そう考えると今回の酒井法子氏に関する報道も「酒井法子逮捕」といったり(実際はこれを書いている段階では逮捕状が出ているということ)先日までと打って変わって叩こうとしているだけである。この手のひら返しが酒井法子氏を罪の償いへと向けるものではないことは確かである。また、これはおおむね「ばれるとやばいぞ」というメッセージとしてしか多くの薬物使用者には伝わらない。より深く彼らは社会の表から隠れるだろう。そうではなく、彼らがどうやって生きていけるかをより広く考えられるかが肝心である。

 もちろん薬物について様々な考え、社会的慣習、法が、あり国や地域、個々人により捉え方に大きく偏差はある。ただ、薬物使用にいたる、あるいはそれに依存する過程は大変につらい状態に、当事者、周囲のものを巻き込むことを理解したほうがいい。
 例えばナバホなど限定した地域でしか暮らせなくなった先住民族の最大の問題はアルコール依存と慢性的な失業である。
 かつて、宗教や儀式の祭祀に使われただろう、薬物。しかし近代に入ってから大きく変わる。アヘン戦争辺りから強力な武器として他民族を侵略する道具にもなった。かつては聖なるものだった薬物も、今では、絶望に陥った人間をさらに苦しめるものになっているように思う。
 薬物使用者を社会の外へ放擲しても何ら問題は解決にしないどころか悪化すると確実にいえる。だから酒井法子氏に薬物所持容疑がかかったことはまちがいないとしてもこれは「容疑」の段階だ。次に、彼女のご主人と彼女がもし、薬物をともに使用していたとしたら、それを叩いても何の意味もない。もう既に大変な騒ぎだし、夫は逮捕されていて彼女にも容疑がかかっている。両者が刑事的な追及を受けることは免れ得ないだろう。

 叩くのではなく、薬物依存・使用の問題が本人や周囲の健康や生活の質をいちじるしく低下させる問題だということを認識しよう。それは悪者叩きの問題ではなく、社会において苦しんだり自棄になる人が増えているということである。それはすぐ隣のことなのだ。その人たちを社会から疎外しても仕方ない。これは使用した人を甘やかすこととはちがう。そうしない限り薬物使用にいたる人を減らすことはできないと僕は思うからだ。
 僕は精神科通院の中で幾人かのアルコール依存症の方々とであったことがある。彼らの人生は相当苛酷で酒を止めるのもそうとう難しいと知ってから「依存症」の根の深さを見た思いがした。

 上記のようなことはきれいごとに聞えたり、かばっているように聞えたり、あるいはもちろん僕の偏見もある。ただ、依存症などの疾患がきわめて大変なものだから、それを落ち着いてみることが僕たちには必要だと思う。それをいいたかった。

 このような事態になったのだから、とにかく酒井法子氏はいずかたからか、出てこざるをえないだろう。その時どのように遇されるか、以下のリンクも参考にして考えたい。できうるならみなさんも下記のリンクを読んで、世上の酒井法子氏への対応がどのようなものか考えてくださればこれ幸甚なり。
 取り急ぎいくつかリンクしておく。
http://www.yakkaren.com/bigina.a/kaifukuenosisin.html
http://www.yakkaren.com/bigina.a/yakubutuizonshoutowa.html
(以上全国薬物依存者家族連合会より)
http://www.ask.or.jp/yakubutsuizon.html
(特定非営利法人ASKより)
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/byouin/seisin/serigaya/topics/tsushin.html
(神奈川県立精神医療センターせりがや病院発行の機関紙一覧)