細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

もうちょっと

もうちょっと文章を練らないかんと今日思いました。

自分の体験の核から語りだすっていうか。
昨日上山和樹さんの「ひきこもりだった僕から」を久々に読みなおしたり、そいで今日は詩誌の主宰の方と電話で話したりしたことも影響していると思います。

自分はけっこう捕まえられるのを恐がっているんです。子供の頃、自分の心のうちを打明けようとすると、多くの人が怪訝な、あるいはつけいるような顔をしていたからでしょうか。どっちにしても、仲間に入れられることはないから、自分が心をひらいったって損というか。バカにされるだけやから、いうの止めようって心が閉じていったんです。たぶんある時期から。

自分はさみしいとか辛いとか、感じたままに楽しいこととかがいえない。時々よみがえったように朗らかになるんだけど、多くはなんかガチガチになっているんです。自分はおかしいんじゃないか。劣等感のかなりきつい感じです。

だから正体を捕まえられるのがね、苦しいのです。だからたぶん、自分をたくさん拡散させて、そいで人に見つからないようにしているんです。それは自分が何かに捕まえられると、すごい勢いで振り回されるからです。そういう自分が辛いからです。もう情けなくて仕方ない。みっともなくて死にたくなるようなというか。なぜかわからんけども。

けれども、そういう体験、つまり捕まってぶんぶん振り回されるような体験がないと生きている感じがしなくなっても来ます。経験がないと人間として成長できない。だから介護をすると、それはもう振り回されながら、でも何とかその人についていこうと思うから、いい仕事ではあったんです。
でも刺激の量がおおすぎると、またバラバラになっちまうんです。

だから人にすごく興味があって、知らない子供や犬や、それから誰でもけっこう垣根なく話したい。話しますし。反面、ねっとりした関係につつまれると、自分が真綿でしめられているような苦しい感じがしてくるんです。「責任」とか「しっかりしなきゃ」とか、だから実家にいると楽なようで実はそうでもなくて、昔はかなりきつかった。親とはいっぱい喧嘩した時期があって苦しかったですが、母親は僕に似て繊細ですけども、親父はちゃんとした人(その一方で押しが強く、お節介でもあります。だからそういう面はずっと苦手でした。それはそういう面は僕にも近い部分があって。。)ですから、僕が無茶いうても、もう本気でしっかり話しするんです。僕の精神病がヤバイ時は、でも流石に親父も切れかけでした。でも踏みとどまった。エライ人やとおもいます。

僕が「こら!あんたはちゃんと勤めてまともな社会人やって、俺はそんなんできるかー!」っていうたら、「でもあんたは、できるやろ」っていう。「そんなん無理じゃ。あの時もこのときもしんどかったんじゃ」いうたら、父は「そうやったんか知らんかったな、でもそんなキツイいい方はあかんやろ」っていう。そしたらまた僕が「なんやとー!」って。

こういうのがかなりあったです。もう怒鳴り散らして。めちゃくちゃでした。だんだん錯乱してきて。親父も「コラやめなさい」となって。ご近所はきっと、あそこの息子さん「やばい、大丈夫かな」とかあの大人しかった「和くん」が切れていると感じていたかも。家に帰ると昔からのご近所さんはかわらず接してくれるのですが。だから親父も弟も立派やな。母親も繊細で恐がりなりに僕と話していました。でも落ち着いた頃に親父に聞いたら僕の電話は母親はしんどかったみたいです。

そのとき主治医とも大喧嘩して、今の医師に変わったんです。このままでは自分はホントに壊れてしまうって。


もう5年位前かな。けっこう長かった。そいで次の年詩集作ったんですけどね。その頃にはかなり静かにはなりましたけど。抗精神薬を飲んだので。少量でしたけどね。少し末梢の動きが鈍くなって、減らしていきましたけど。きっと創造の花火の時期だったのかなあと。


自分のこういう性格に少しは慣れてきたのです。これでも。
最近は少しずつ刺激に慣れていこうと思っているんですが、まだビリビリしますよ。自分は狭隘な、きっついとこもあるんやと思う。
いやでもこういう話は特別でもなんでもないはずなんです。自分は今でもお付き合いのある大学のゼミ担当の先生に「君は営業職に向いていないねえ」といわれてました。では何になればいいかが全くわかんなかった。それでも先生は「君は書ける人だから文章は書いていきなさい」とか、「君のような対人関係の苦手な人が向いている仕事は何だろう」とか一緒に考えてくださいました。あと「語学は勉強したほうがいい。文章とか学問の調べものは語学もいりますから」といっていました。


その先生にトルストイの「イワン・イリッチの死」を読んだ感想を話したり。政治思想史や比較政治文化研究の人ですから、すごく文学・思想に詳しいんです。鶴見俊輔の本を貸してくださったり、佐藤春夫の詩が好きだといってくださったから読んでみたり。

僕が熱心に芥川龍之介の晩年作(つまり睡眠薬大量摂取による自殺の前の時期)、そうですね「歯車」とか「玄鶴山房」とかああいうのをしきりに読んでまるで自分のことのように思って、読んでいた。先生にも話すわけです。あれは大学から帰りのバスの中で先生が目を光らしてゆっくりいうのです。僕が22くらいだからもう13年も前かな。その少し後かな。

「君は芥川の病名を知っていますか?」
「いいえ」
「病跡学というのがあってね、昔のもの書きや天才的な学者の病気の痕跡を探って、それとの作品との関係を探ったりするんです。知ってますか?」
「あの、ニーチェが狂気になったのは梅毒が関係しているとかそういう」
「そうです。でねある本によると芥川の病名は敏感関係妄想というらしいんです」
「些細な兆候をね自分と関係づけてしまうわけです。君がいっていたように、歯車だと今日は黄色いものによく出会う。これは自分が狂ってる証拠かもしれないとかね」

この敏感関係妄想っていったとき、なんか頭で木霊したんです。かなりあとで親しい友人と話していたら「それは先生は石川くんのこといってたんやで」といっていました。僕もそう思います。差別的ではなくて遠まわしに僕の心のある部分が少し危機的な状況にあることを先生は薄々感じていたのかもしれません。よかった。こういう方がいて。

他にもそういう人が介護のときにもいました。今はもう少ししかいませんけど。かろうじてやり取りがある人がいます。最近会ってないなあ。みんなすごく忙しいのです。

自意識過剰とか、ナルシシズムとは少しちがう位相で、その物事に触れてしまうバリアーが薄い人がいるようなのです。自分ももしかしたらそうかもしれません。ナルシストだとは思いますが…そういう人でぽつぽつ詩を書いたり、科学をしたり、ふつうに仕事したりして。仕事しない僕もいて。そんなかで詩を書いてそれでも、苦しくなる人もいっぱいいて。今いわれる発達障害もそうで、剥き身で現実にさらされるから、帰って「非現実」的な言動に見えるかもしれません。だって、普通はシールドがあって、物そのものに距離をとったり、近づいたりすることで、その人の経験は構成されるのです。しかし近づきすぎて、火傷したり、火傷をおそれて近づかなくなったりすると、現実自体への経験が蓄積できません。人類は常に変化する世界に生きているから、その変化から防御したり、適切な仕方で近づくために、文化や儀礼といったものを持つのだと思います。

ただそれが硬直してくると、バリアーが薄くてしんどい人がなんかビリビリしてこれまでの話し方や、表象とか文化は「ちがう」っていいだすのです。そのバリアーのあまりの薄さに忠実な人が優れた書き手になる「場合も」あります。

たぶんそういう国や地域の文化や象徴体系が崩れてくると、うまく距離の取れない人から変化にさらされるということがあるのではないかと思います。生活のいちばんの基盤は文化や生活の暗黙の規則です。それが揺らいでくる。すると、むずかしさを感じる人が最初に悲鳴をあげだすのです。自分が特別だといいたいのじゃなくて、そういう人は増えているように思うから少しずつ、存在構成や生活のあり方をそれぞれが考え直す時期が近づいているように思うのです。

おしまい。