細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

JR西日本山崎元社長起訴で一素人が思ったことを書いてみた。

僕はホントに鉄道には詳しくない。けども、子供の頃から使ってきたJR西日本(その前は国鉄だけど)のことだし、自分がいつ事故にあうかわかんないというのもあるので考えてみた。震災も怖かったけど、この事故も怖かった。昔からチェルノブイリ御巣鷹山墜落事故もそうだし、大規模な事故になぜか激しく胸騒ぎがする。事故だけど、それ自体がひとりひとりの人生に大きな影響を与えるdisaster(災厄)だからだろうか。そこにこの世界に生きる自分自身の恐怖の気持ちを重ねてしまうのだろうか。いつかそんな眼にあったらこわいと。自分は子供の頃医師による誤診で苦しんだことがあり、どうしてもそこの感覚が甦るのかもしれない。過剰に関係付けすぎたり、退いて見すぎたりなかなかうまくいかない。
だから、これから書く僕自身の考えにいろいろ間違いもあると思う。だれかを傷つけているのだろうとも思う。まずそうお断りしておきます。

http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070801000803.html

ATSを個別に整備するのは容易で、安価な工事で可能だった。被告はATSを整備すれば、容易に事故を回避できることを認識しており、工事やダイヤ改正に当たり、自分が統括する安全対策室などの職員に、ATSの整備を指示すべき業務上の注意義務があったが、これを怠った。

これを聴いた時??と思った。でもそれを指示する上位の会議や役員による意思決定があるはずでしょって。

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0002111299.shtml

国土交通省の春田謙事務次官は9日の記者会見で、同省が義務付けていなかったカーブでの速度超過を防ぐ自動列車停止装置(ATS)の未設置などを根拠に、 JR西日本の山崎正夫社長が起訴されたことについて「(国の)基準ですべての問題を防げるわけではない」と同省の直接的な責任を否定した。

おかしいなと思った。国の直接の責任は問いにくいかもしれないが、これは自分たちに火の粉がかぶらないようにしているようのかもしれない。で事故以降のATS設置義務化への国土交通省の流れを調べてみた。

  • 【大臣会見要旨(平成17年11月4日)】

http://www.mlit.go.jp/kaiken/kaiken05/051104.html

今、このATSの整備について、私の方から各事業者に対して、カーブの所、分岐点の所、そういう所について整備をしっかりやってくださいと、現状を確認した上で、今後、計画的にやっていきますが、これは行政指導として今やらせていただいているところです。この技術基準化をしていかないといけないと思ってい ますし、今、専門家の先生方に入っていただいて検討していますが、是非これをそういう行政指導ではなくて、きちんとした技術基準にしていかないといけないと思っています。そういう意味においても、ますますこのATSの整備については、仰っているとおり、より正確なものにしていかないといけないわけでして、 そうした誤差があること自体がいいとはもちろん思っていません。ただ、この福知山線の例で言いますと、カーブの所に31箇所あって、22箇所が制限速度から時速5キロ低い数値になっていたのです。ですから、本来ATSが作動する速度よりも5キロ遅い速度で作動するということで、これ自体は逆に安全性が厳格 になっているのですが、そうは言うものの、やはりきちんとした決められた速度になったときにATSが機能するというような形にしてもらうことは、当然、必 要ですので、しっかりそういう対応をしてもらいたいと思います。これはJR西日本だけではなくて、今、全ての鉄道事業者がこのATSの整備を進めようとし ている中で、もう一度、従来のものを含めてきちんと決められた速度で機能するのかどうか総点検してもらいたいということ

平成17年時点ではATSの整備は「行政指導として今やらせていただいているところです。この技術基準化をしていかないといけないと思っていますし、今、専門家の先生方に入っていただいて検討していますが、是非これをそういう行政指導ではなくて、きちんとした技術基準にしていかないといけない と思っています。」と国土交通大臣が応えている。つまり、国が全責任を負えないものの、「行政指導以上の」設置基準を作るほうに動いている。これが適切な方針かどうかは判断が難しい。ただしこれが2005年である。

  • 2006年には

http://www.mlit.go.jp/pubcom/06/kekka/pubcomk5_.html
設置基準に関するパブリックコメントの報告も出ている。

  • 次に2007年には

【2007年の「交通政策審議会陸上交通分科会鉄道部会
 技術・安全小委員会議事概要(第1回)】
http://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/rikujou/tetudo/gijyutuanzen/01/070427.html

• 鉄道技術推進センターでは、インシデントを含めたデータが集まる仕組みはできあがっているが、まだ十分な数とは言えない状況。現在は、インシデントの発生した背後関係(会社の雰囲気等)等に着目して検討を始めた段階。
国鉄時代、総研は国のためのものだったが、民営化後はJR総研となった。目が国内に向いており、国際的な視野が欠けているのではないか。
• 車両メーカーは、3,000億円規模の市場を8社で分け合っている状態。鉄道会社の軒下を借りてやっているようなもの。技術開発力を持っているのか。
• 信頼性やアベイラビリティーといったものは自動車では既に実施している。鉄道でも車両メーカーに、オペレーション以外のすべてを任せられないか。メンテナンスでの問題が分からないと、良い設計はできない。
• しきりに「ヒューマンエラー」と言うが、ヒューマンファクターが置き去りにされているのではないか。尼崎の事故後、急カーブへATSを 設置することになったが、カーブに速度超過で進入することは通常の状態ではない。ATS−P等があるが、異常な状態に対しては速度を落とすのではなく、列 車を止めるべきではないか。
• ATS−Pで事故は起こらなくなるが、乗務員は何があったか分からないことになっている。最終的に、「機械を使うのは“人”である」という認識の下、(作業者のプライドを損なわないような)技術開発を行うことが必要。

2007年の「交通政策審議会陸上交通分科会鉄道部会技術・安全小委員会議事概要(第1回)」では、「カーブに速度超過で侵入すること」が通常の状態ではなく、車両の緊急停止はできなかったのかという意見がある。素人だからすごく理解が難しいのだが。
しかも、「ATS−Pで事故は起こらなくなるが、乗務員は何があったか分からないことになっている。」だから乗務員=運転手は人間であり、「機械を使うのは?人?である」。人のミス=ヒューマンエラーを責めることよりも更に大事なのは、人間工学で言うところの「ヒューマンファクター」*1である。つまりそれは急加速度でカーヴに入るような切羽詰った状況に「乗務員」が追い込まれた。その「追い込まれた」様々な背景をまずなんとか工夫すべきなのである。つまりATSの問題もさることながら、乗務員が自分の点数が下がる恐怖と戦う状況で運転したかもしれないことも事故を招いた要因の一つかもしれない。そして遅れを取り戻そうと速い速度でカーヴにつっ込んだ上での事故。もちろん列車が遅れすぎたら、いろいろ乗客に不都合はかかる。とはいえ、可能な限度以上に「遅らせてはいけない」とする過剰な圧力がひとりひとりの人間にかかっていたとは推測できる。「日勤教育」もそのファクターのひとつだろう。
そのほかにもシステム上の様々な要素が絡んでいるかもしれない。
ただ、そんなに電車がびゅんびゅん来なくても「安全なほう」がいいように僕個人は思う。でもそうでもない意見の人ももちろんいるだろう。

この記事でもつまりはJR西日本がヒューマンファクターを無視した運行やシステムにあったことのほうが問題であるという。ATSをどのような範囲やり方で設置するかという問題もあるし。
つまり起訴状で述べられている「ATS−Pの整備を指示すべき業務上の注意義務があったが、これを怠った。」という起訴理由自体に相当な無理があるといわざるをえない。もちろんATSは必要であったかもしれない。しかしその責任を山崎元社長ひとりに押し付けるのは無理があるんじゃないか。JR西日本と行政の間の関係自体に歪なものも感じるわけだし。(もともと民営化した元国有鉄道なんだし)

そして国土交通省事務次官の「JR西日本の山崎正夫社長が起訴されたことについて「(国の)基準ですべての問題を防げるわけではない」と同省の直接的な責任を否定した。」というのはだから相当に奇妙な見解。なぜなら、あの福知山線脱線事故があって、上に書いたようにそれからATS設置基準が定められる動きが一層本格化した。そして国は設置基準についておそらく上に上げた以外にも様々な検討を行なった。

「すべての問題を防げるわけではない」それは実際はそうだろう。しかし、それでは何のために設置義務化に国が動いたのかイマイチわからなくなる。ひとつでも事故を減らそうと設置義務化を推進したんじゃなかったのかな?もちろん全ては減らせない。しかし国土交通省はふつうの意味での(刑事責任ではない)社会的な責任を感じたからこそATS−Pの設置義務化にうごいたはず。そのこと自体はまともなことである。しかし国土交通省のこの次官は記事に引かれている発言が短いこともあり意図がとりにくい。素直に考えれば、当時設置義務化をしていなかった自分たちにも、幾分かの責任はあるというところが論理的に理解しやすい。ただ国土交通省事務次官はマスコミからの猛烈な批難を恐れて、過剰防衛しているように思う。妥当な適切な各所の責任の問われ方が必要だ。ここにもまたJRと、国の微妙な関係がありそうだが…

               *

ATS設置もそうだが、事故防止にとって大事なことは何かなと思う。まず第一に事故防止の目的は「乗客・乗員の生命を守る」ことだろう。そしてそのために本当に必要だったのは列車の性能、運行状況、線路状況もさることながら、安全に運行できる状況に運転手があることだ。2007年の「交通政策審議会陸上交通分科会鉄道部会技術・安全小委員会議事概要(第1回)」でいわれる「ヒューマンファクター」とは恐らくそのことだ。つまり運転手が苛酷な状況での運行を強いられて事故のリスクが高まらないよう、運転手が無茶をさせられない、しないことだ。そのために視野を広げて考える必要がある。設備の問題などもあるだろうけども。

  • 最後に

これはアイヒマン裁判に何となく似ている。象徴的に「悪者」に属人的に責任を押し付け、それを生み出した事情そのものを隠蔽しようとするように思える。あるいはなんとか落としどころを見つけようとして。しかしそのようなやり方自体もう無理があることは多くの良識ある人々が感じるところじゃないかな。皮肉なことだがそのように誰かに「無理をおしつける」ことが常態化したので、JR福知山脱線事故は起こったのだと推測する。あくまで推測だが。(よって正解かはまだわからない)
刑事責任を問うとして、他の経営陣の責任が問えなかったのでなんとかひとりでも起訴しようと躍起になっているのではないか。このこと自体が検察に悪意があるかは別としてもひとつの罪だと思う。
結局山崎元社長だけが責任を負うて、JR西日本は何もかわらないということにならないか心配だなあ。僕も使う電車だから。
最大の公共鉄道交通機関として、社会に対しどんな貢献と責任を果たすか。そのためには労働者や乗務員が気分よく働き、それが乗客にサービスとして還元されることが大切だなあと思うんだけど。公共交通機関、つまり公共ってものの役割をどう考えるかちゃんと議論したほうがよいのだ。そうしないと死ぬのは「ひとりひとり」なんだ。
  

            *

また私企業であるなら、儲かるかという問題もある。これについては僕はさらに判断が難しくなるのだが、人々がどう選択し利用するかというニーズとか、街や都市において様々なたくさんの移動をどう捌くかという問題がある。そこには行政や公的なセクションでの調整もでて来る。

責任追及もさることながら、JRが安定的に人々に貢献するには、JR自身の採算の問題も大きい。国鉄が赤字だから民営化したのだが、JRが維持可能な企業としてそれぞれの地域や時代にかみ合ってきたのか。それも無茶苦茶大きすぎて手に余る問題なのだが。。様々にかんがえてみるのはすごく疲れる。しかし、自分が生活する中で、ひとりひとりが暮らしの中にどう鉄道を位置づけるか。それが同じ列車に乗る人や、乗務員の人生にどのように関わってくるのかを考えるならば、やはりひとりだけの刑事責任を問うことではあまりにも…という感じがしたんだ。それに亡くなった人や怪我した人の、その周りの人がいるという事実からいってどういうふうにこれを考えていけばいいのか。昨日ニュースを見る限りでは責任追及もさることながら、なぜこの事故が起こり、これからどういうふうにこの事故を公的に考えうるかを被害者は望んでいるようにも思えた。僕のここまで書いた議論は間違いも多々あると思うがそこが一番いいたいことだよ。どう考えたらいいんだろうな…
いろんな人の知恵が出し合えると一番いいんだけど。

※他に参考にしたページ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/8897/FIG/300jrw/fkchym.htm

*1:「ヒューマンファクター」についての文書。首藤由紀氏の文書「事故・災害のヒューマンファクターズ」http://www.sonpo.or.jp/archive/publish/bousai/jiho/pdf/no_223/yj22342.pdfこれは興味深い