細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

いがらしみきおの現在

今朝いがらしみきおのドキュメントをNHKで見た。
ぼのねっと

いがらしみきおといえば「ぼのぼの」だけど、僕はあまり読んでなかった。今で言うゆるキャラの動物達が哲学的ともいえる深い話をするマンガだった記憶がある。20年位強前に流行ってた気がする。その頃か少し後吉田戦車、中川イサミ、じみへんの中崎タツヤ、それから喜国雅彦などなどギャグマンガ家は今から考えればすごいことになってた。僕は喜国雅彦中崎タツヤがすきだった。

そういえば最近いがらしみきおは見ないなと思っていた。しかし僕がチェックしてなかっただけで、ぼのぼのも書いているしケータイ配信マンガも描いている。ケータイ配信マンガ面白そうだった。

いがらしさんは宮城の人。訛りにしてもすこし滑舌が良くないなと思っていたら、彼は数年前脳梗塞で倒れていたのである。しかし後遺症はあまりなかったそうだ。今は健康のため朝散歩しているという。昔から耳が悪く内向的だったようだ。高校中退して漫画家を目指し、しかし一度挫折し、宮城に帰り働きながら書いたのがぼのぼのだという。(これを書いた後調べたらどうもその後休筆もしたようだ)そのような歴史があったのだ。

病気をしたこともあり仕事は「ギャグは体力勝負。」といっていた。昔「消えたマンガ家」という本で、ギャグマンガ家はさらに新しいギャグをつくるために自分を極限まで追い詰める。締め切りもある中でつぶれる人が多いと読んだ。いがらしみきおもおそらくそのような中で倒れ、しかし再起したのだと思う。
彼は最近農村に夢を描いてきた人付き合いの苦手な若者が、きれいごとではない農村の現実の中で、たいせつなことをしっていくというマンガが打ち切りになった話をしていた。彼はマンガ家は「契約社員と同じ。人気でなくなったら終わり」といっていた。しかしそのマンガのテーマ聞くだけで読みたくなった。

しかしそういう厳しい現実への的確な認識もさることながら、彼の佇まいが素晴らしかった。いつも昼ごはんは仕事場の外で店を変えて食べるらしい。おそらくそうしないと煮詰まるし景色を変えたいという。電車に乗るときもある。「その時代の生きている人の感覚がわからないならマンガ家としては終わり」ということをさらっという。それから、立ち食いうどんやでかき揚げうどんを食べて、「食べ終わって駅へ行くとちょうど電車がきてる」といっていた。しかし、駅に行くと電車はいってた。「ちょっと遅かったね」と笑っていた。
最後は上京したときに、一緒にマンガ家を目指した友達を訪ねたとこ。いい風情の町だった。その友達は結局電気屋を継いだ。電気屋のおじさんはいがらしに今でも「マンガは諦めていない」という。そしてパソコンに入れてある有名人の似顔絵を見せていた。これがとてもうまい。しかもその電気屋のおじさんの息子は何も息子に勧めていないのに「ぼのぼの」をもっているという。それにいがらしのサインを書いてもらっていた。いがらしはすごくうれしそうだったが、穏やかに少し赤らめた顔で笑っていた。

最後別れながらケータイで電気屋と、友達を写しながら去っていた。こんなに思索者であり歩く姿もいい。マンガをあらためて読みたいと思う。その目線に何か深い認識を湛えながら彼はゆっくり歩いている。僕の友達に似た雰囲気の人がいる。