細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

シベリア抑留関係で

ブックマークしてて、紹介しておきたい記事があった。
はてなブックマーク - シベリア抑留死4万6300人の名簿、自費出版大賞に : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

シベリア抑留についておさらいしておこう。簡単に言うと、第二次世界大戦当時、日本軍は中国やモンゴルといったユーラシア大陸のおおむね東側広範囲に展開していた。ソ連との国境を接した地域で、捕虜や反共政治犯としてソ連に拘留され収容され、苛酷な生活の中で死んだり、苦しんだ人がいた。
その収容所はロシア全土に点在していた。

戦争は具体的には兵士にとって加害や被害の複雑な体験である。だからこそ戦争責任論は非常に困難を極める。ソ連の日本人抑留者も自分たちが兵士として様々な加害に関わったと同時に抑留され、苦しむ被害者でもあった。しかも日本が降伏後何年も抑留され、8年くらいたって解放された。しかもこの問題の重要な点は、シベリア抑留者が日本社会でまさに相当な苦労をしたということで、ソ連が悪いや日本が悪いとかだけのそういう単純な善玉悪玉論ではまったく捉えられないところです。

その中に石原吉郎という詩人がいて私は読んでいたのである。
以前某所で書いたものを貼ってみる(許せない時に−石原吉郎の言葉から感じたこと) - 細々と彫りつける


この人について書かれた本に畑谷史代の『シベリア抑留とは何だったか』がある。この本に登場する村野さんが自費出版大賞のこのたびの受賞者である。(この本のことはid:kaikajiさんのエントリで知った。)
畑谷史代「シベリア抑留とは何だったのか」を読み終わって。 - 細々と彫りつける
それからピースおおさかの抑留展もいった。
ピースおおさかにいった - 細々と彫りつける

このような話は日本という国に関わらず戦争に関わった国と地域の
あらゆる住民が複雑な思いや記憶をもつ。

公的な追悼が必要、いやそうではないという。その是非は別としよう。
しかし実際には追悼される人自身がどういうふうにして死んだかかなりわかっていない。村野さんの場合、様々な形で自費を集められて大変な努力をされてやっと出版できたのだがお金も仲間もいないまま、黙っている人、消息を知りたいまま亡くなった人がいるんだろうと想像する。

自分も詩集を自費で出したことがある。それは資産やコスト、実際売れるかどうかを考えた場合、多くはすれない。自分はたしか300くらいだった。一応何とかアマゾンには置けた。

僕の知り合いの大学の先生は最近教科書を出しても、学生に買うお金がなく定価を3000円以内におさえるように出版社にお願いするのが大変苦労したという。出版社だって大変なのだ。

つまり(僕の詩集がどれくらい意義があるかは別として)相応の意義のあるお仕事にもかかわらず、大変公にするのが難しい状況が出版流通だけではなくこの社会の問題としてあるのではないかと思ったのだった。
それと旧来の平和運動がこういうことに応えられているかも謎でもある。ただこの社会で戦争のみが最大の出来事かというと、おそらくそうではない。

例えば報道されない様々な交通事故があるが恐らくその被害の性質によって選別されてしまう。関西で2、3件しか交通事故が起きていないわけがない。つまり戦争もその甚大さから様々な被害があるケースが焦点になり、それ以外が背景化してしまうことがある。


そのためにひとりひとりの名前を刻む取り組みがあるのだが、これはそこに人がいた事実性を消さないためであるが、しかしこれに関わるもの以外が、知ろうとする動機は何かがいつも気になる。

ネットにアップすればよかろうとかいうだけでは解決しない問題がある気もしている。つまり広く公にすることには意義があり、アーカイブとなさなければ消えてしまう。しかしながら、それを担う理由はどこにあるかあるいはないか。それはどのような性質のものかということだ。

そこをきっちり詰めないと、何かがずれるのだ。
自分が言葉にし、かかわる理由である。

告白しますとシベリア抑留への個人的な縁は実はほとんどない。私の祖父が南方戦線で負傷したことが私の知る戦争です。これはこれで気になっていて、詩にも書いたことがあります。それは、戦争を考えるというより自分の好きなおじいさんのことを知りたいから、結果的に戦争のことも少し考えるようになりました。

つまり個々人の体験がどう言葉になり、世の中に広がるのか。その原点として自分がまずいおうとしている体験への厳しく、しかし大切な眼差しとして私は石原吉郎に惹かれたのです。
2008-07-08 - 細々と彫りつける

誰かの言葉にうかうかと乗ると苦しくて。だから、自分の言葉を育てることからしか世の中へ関わることなんてできぬだろうと私は今でも思っています。自分自身の問題をなんとかしようとして石原をよむときがあり、それは正直、私のエゴからでてます。