細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

思い出せるものと思い出せないもの

 昨日とある朗読会に行く。声に出して読むということ。身体をとおして、そこからひろがったり、閉ざされてしまうものを考える。ラジオでチューニングをあわせるように、こちらがチューニングしてつかまえるだけでなく、その場所に響くことで、作品の実現に立ち会える。しかしそれは儚い。儚いけどいい。
 面白い本を読むと、内容は覚えていないのに、10年たっても思い出されることがある。そこで生きられた経験。それがどこかから不意に訪れる。それは風景でも人の声でも、そこにあったものでも、ものはどんなものでも、思い出せるということは何かである。
 しかし同時に思い出せない、出さないものでも人は形づくられる。経験とはそういうものだ。

 思い出せると思い出せないはどちらがすぐれているわけでもない。ただ、本でも話でも声でも栄養になるものとならないものがある。それを分けるものがその人の考え、思想なのではないか。

 生きることはその都度の判断や情報の瞬時の処理によって、常に行なわれている。そしてそこで一旦は保留され置いてしまったものの意味を捉えなおすことがある。記憶や経験と呼ばれるが、波が洗った岩がそうであるように、日々の侵食が残した岩の形のようなものを思想と呼べるかもしれない。

 文科系トークラジオlifeの東浩紀を迎えての「現代の現代思想」のファイル1,2を聴いてそう思ったりした。やはり本ではない声にはその人の地が感じられて面白い。
2009年5月24日「現代の現代思想」Part1 (文化系トークラジオ Life)
東浩紀が大学に入ったのが1990年。僕は1992年だから偏差値はかなり
ちがうけど、ほとんど同世代。僕も意味もわからず柄谷行人の本を読んでいたが、その後の人生はぜんぜんちがったんだなあとも思う。昔は微妙にうらやむ気持ちもばりばりあったのだが、今は自分の実質的な知力・体力を考えても東浩紀のようになれなかったと普通に思う。もしアカデミズムやその近縁にいようとしたら、あるいはその執着から逃れられなかったら、あるいは僕の障害がもっとでかかったら、社会参加へのきっかけをみつけられないまま、誰かを恨んでいただろう。
あの中央大学の事件まではいかないが、僕もノイローゼになって大学院進学すら実現の目途もたたぬままかんがえていたこともあったのだから。就職がいやだったからだけど。

だからすぐに結果としてあらわれないが、その人の礎になるものがあるなら、今も道をつけられていないが、後々生きてくると思う。それは偶然の要素も大きいが。それくらい人の生はどう転ぶかわからない。それを安易な尺度で測れない。