痛がりや
俺は非常に恐がりだと思う。寄生獣というマンガで当の寄生獣が、「人間は痛がりやである。しかしだからあなどれない」といっていた。生命の自己保存のためにはなんでもする寄生獣にとって、いちばん欠けているものは、痛いと感じたり苦しいといったりする無駄としかいえないものだった。
俺は就職が恐い。人のいうことを一応は聴くが我慢させられたらいやだ。絶望し、傷つけられることをひたすら恐れる。そこから被害妄想が発生してくる。だから守られたいとも思う。でも、あんまり守られすぎたら支配になれて無力化する。俺は無力で、同時に傲慢であるから、どっかの風にあったってみるのもいいし、慎重になるのも必要である。
しょうもない結論だがバランスである。俺は恐がりでかまわない。これをうまく使えば、神経の行き届いた人間になれるチャンスも1mmはあるし、どっちかといえば詩なんて書くようなほにゃらかでもあるのだから、ほにゃらかでもいいのだ。人間としては矛盾しててもかまわない。いや、こまるときもあるだろうけど。