細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

潜在的に調整中

本日涼風の日。天気まずまず。しかし朝方は肌寒い。茶のトレーナにジーンズ。上は風除けのしろっぽいジャンパー。
 昨日作品寄稿完了。デイケアからカラオケ。みなそれぞれ歌う歌がその人の人柄があらわれていた。modsというバンドの歌を歌った人あり。チェックしとこう。自分は小田和正、木蓮の花、はっぴいえんど〆て3曲。
 デイでも職員に話したのだが、こないだ社福会の合格祝勝会では自分は資格はとっているが無職でなんとなく肩身が狭い。デイでは「社会福祉士とったからもう就職?」と質問を受けることもある。デイの職員は、「基本的に元気になってきてはるようです。だから意欲も出てきている。しかしそれだけに先への不安や現実が見えたことならではの様々な思慮もあるように見えます。」といった。僕は「車が動いているけど、不安とか現実への恐れというブレーキもかかっている感じかな」といった。つまり合格は通過点だとしてもそれを含めた様々な変化が自分の中にあるようなざわめきがおこっている。このざわめきは今の時点では、精神症状の「頭の中が騒がしい」という制御不能感とは別であるように感じる。様々な波に流れそうになったりしながらも、自分が流れのなかで存在している感覚。お金も稼いでいないし、お金は少ない。しかしそれでもそこから泳ぎだして自分がどこを泳いでいるか、何の流れにあるのか、完全にしることはできなくても感じられたら良しとしよう。

 回復期と呼ばれることも多いが、ここが孤独や相対比較による苦しみのある時期かもしれない。念のためクリティカルというか注意が必要な時期なのだと感じる。

 デイの年上の人が「働くのがしんどくて休んでも何もすることがないのは辛いよ。」といっていた。僕は「でも中島らもは仕事を辞めて朝会社に行くサラリーマンを見ながらにやにや酒を飲んでたらしいですよ」というと年上の人は「それも3ヶ月で飽きる。じっとしていると逆にしんどくなってくる」といっていた。「人生楽(仕事をしなくていいこと)あれば苦(やることができなくて閉塞する)あり。苦(何もできないこと・することがありすぎてしんどいこと)あれば楽(休み・活動することのよさ)ですね」というと、その人は「そうそう」といっていた。

 この言葉で少し楽になった。不安とは現実と情動のあわせ技であるのだと思う。認識や構えの柔軟性と、適切な安全地帯を確保しながら。まあベストは無理としても、医師の言う「活動できるまで3ヶ月」という言葉と「3ヶ月も無職だとしんどい」という言葉が重なった。ひとつの生理的かつ現実的な区切りの最短が三ヶ月ということ。一応目安なので、しっかり準備をして自分に合った社会参加の仕方を模索していこう。死ぬまでは一応まだ時間がありそうだ。そう構えた上で。でもまだ休みたいな。休むというか潜在的に調整というか。

 あんまりのんびりというのはアレだがリスクとリターンとかあるとしてもその都度の行きたい方向が大事。そういい意味で行き当たりバッタリ。ちゃんと見るものはみながらね。