細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ピースおおさかにいった

今日はお出かけ。大阪城公園に隣接するピースおおさかで「満州国とシベリア抑留」展を見てきました。最近その関係の本を読んだりしていたので。それからid:kuriyamakoujiさんのブログでこのイベントのありかを知りました。ありがとうございます。http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20090407
 修学旅行の中学生が来ていました。まず2Fの展示室で大阪大空襲の常設展示を見ました。一トン爆弾の実物大模型があるほか手記や当時の手紙など。むかしのひとの手紙は字や文章が丁寧で、そこに余計に切なさを感じました。難波、道頓堀辺りの爆撃された地点の模型がありました。コンクリートの頑丈な建物以外はほとんど瓦礫でした。で、1Fのシベリア抑留展へ。満州鉄道の絵葉書やアジア号(近未来的な車体)の写真なんかがあり、そういうのを見ていると、かつてあったけど今はない、奇妙なしかし美しい景色がありました。しかしそれはまぎれもなくあったものなのだと思うと不思議で。
 抑留者の持っていた品物。背負い袋や、スーツケース、コート。名札や取れかけの取っての部分。人が身につけたものには独特の存在感があり、生々しい感じがします。満州の絵葉書等のある種の虚構性と対をなすここにいた人たちの姿が感じられるようなのです。
 あとラーゲリの体験者の絵がありました。この絵に書かれている様子はおそろしく苛酷なのですが、しかし絵のタッチにあたたかみがあり、だから余計にそこに人がいた。ということが…

 なるほどかつての戦争展にくらべ、なにかこれでもかと戦争の恐ろしさを強調するよりも、そこに人がいて、具体的な生存や暮らし、つまり個体的な生き物の匂いや暮らしや風景から、じわじわと伝わってくる、そこに人がいたことをしることで、出来事を感じるものがあると思いました。

 それにしても少しいろいろな感情が生れたので、大阪城公園を散歩。葉桜になりかけていて、はらはら散る花びらの中を歩く。人手もピークをすぎていました。涼しい風、温かい日差し、その中でのんびりした休日を感じていました。若い人や恋人同士も多く、実は抑留展からそれほど遠くないそれぞれの人生がそこにはあるとも感じました。大阪城空爆の目標からはずされていたことを思い出しました。

http://www.peace-osaka.or.jp