細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

愚図な感じ

 かっこつけて色々書いたり云ったりしているけれど、まああまり何にも進んでねえなあと思っている。その思いが強くなりそうだったのでとりあえずいろいろ考えずにおく。置いておかないと全部もって動いたら重すぎて動けなくなる。そっからいろいろお尻に根が生えてしまう。そうでなくても日々無意識や心の中は動いているんだから、ちっとは自分は成長(老化?)していると信じよう。他力本願?まあ悩みすぎて疲れるより、もう材料は仕込んだからあとは勝手に動き回っとけばお好み焼きの具はかき混ざるだろう。と。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090327#p1
(関内関外日記)

実は愛読しているいくつかの日記をすごく自分にひきつけて読んでしまって。すいません。でも、100%納得する理論なんかないからさ、それはそうだと思う。

個人的な話ですが以前はもっと僕は無謀だったんです。理屈っぽかったけど。さすると、軸が無いから、人間関係や学校や仕事はどんどん動くから、ついていけなくなった。だから、周りに合わせても仕方ないから、自分の気持ちや現実を優先させることにしたよ。それは「バカ」というより「愚図」って感じ。いやもう、いろんな人がイライラするんだけど、なんだ「君、口ばっかりいわないでさっさと動けよ」っていわれるけど、俺は亀の歩みで行くしかないと。まあガキのころからそういう作動が重い感じがあります。その感じが一瞬20代後半に知的障害の人たちと出会って勝手にリンクしていました。でもその時私生活も含め刺激や情報が一挙に来まして、せっかちなくせに処理速度の遅い僕の頭は火花が出て、やっと最近また稼動してきているのでした。試験勉強もよいリハビリになりました。

だからなんか遊離したり乖離している学問は俺もいらっと来る気もするんだけど、理屈をこねてしまうのにはまる時があるから、正直あんまり頭が上がらないです。
しかし自分が自分の生存とか自分の生きている世界を承服するような感じの自分だけの考えとか哲学ってあるんだろうなという感覚が僕にはあります。それはあるよ。感覚とか、経験とか勘とか、学問化しえないがそれなしには何もでてこない何か。一見他の人にはわかりにくいが、それを軸にしないと。それでなくても個人は脆いから。でも余所見が多くて、すぐ我を忘れるんだけど。だからそんな俺は慌てても仕方ねえとは思うんです。個人的には。



まあまず試験の結果がはっきりした方がいいな。やはりこれけっこう待つのはつらいぞ。でもまあ先案じするよりは、体がいざというときに動けるようにしておこう。こないだ脳貧血だったし、4月はお花見、ソフトボールとさっそく外に出るから。そのときに受かってお花見したいと思うぜ。そしたらデイケアのみんなとうまい弁当が食えるわけだ。

でもどうも3月31日の合格発表は振興センターのサイトに一番に出るけど、回線絶対混むな、なにしろ数万人が見に来るだろうから。やばい。それだったら郵送待ちだな。やきもき。