細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

フィジカルなものから形の見えない何かへ

フィジカルなことって大事だと思った。昨日は。

 僕は精神科デイケアに通所していまして、そこで今度精神科のデイケアや作業所対抗の「ソフトボール大会」に出るんよ。昨日は練習日。近くの大きい公園でキャッチボールや守備練習でした。みんなWBCで見たから、別にナショナリズムが発揚されたわけでなく、ああいうふうに体動かすっていいなって思ったみたい。昨日は曇り空で少し雨もあったんだけど、女の子もヤル気になってた人がいたし。戦うっていうとなんか勇ましいけど、いい意味での実際に動いてみて、下手もうまいもやるってのはなんかリハビリ効果があるんじゃないかと思ったね。なんかWBCはそういうなんとかジャパンとはちがう効果をもたらしたことはここで大きくいっておきたいな。
 それでなくても多くは就労から遠ざかったりしんどい思いをして、自信をなくしている。だけど、素敵なことばかりの世界ではないけど、誰かとともに喜ぶ、とか練習したり失敗したりするってのがまずは社会参加の一番いい形だと思うので。

 夜からは友達が雅楽の練習所に通ってて、発表会だった。友達は上のクラスだから難しい場面の演奏があって、苦労しながら、よくやりきった。そのドキドキすごかった。それはそれとして雅楽ってのは不思議な音楽だ。もちろん天皇の即位なんかでも流されるからちょっと複雑なんだけど。でもね、もやっとしたお空とかそういうのを連想するよ。すごく不思議な音。なんか調性がずれていて、ちょっとカオスっぽい感じも面白いね。そういう観点から、ああいう音楽を支配としてというより、音の面白さの方向に解放するのがいいな。
だって疲れた体をほわーと気分よくさせる力があるからね。

つまり、実はフィジカルな音や体の動きってのは、ちょっと言葉にしがたい爽快さ不可思議さ、つまり形のみえない確かさをもつんだ。