細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

陸と海と

 最近雨だったり気温が下がったり、いくつかの流れがきっかけでちょっとしんどかった。でも、今日は晴れてきたので鍼灸院に行くことにした。先生も受付の人もとても歓迎してくれて、先生はあるCDを渡してくれた。さっき聴いてみた。けっこう落ち着く感じだった。海をキラキラ光る海を想像しながら聞いた。


 僕は海が好きなのかもしれないとふと思う。昔フェリーで海を渡って両親の実家に帰省していた思い出もある。


 昨日星野道夫の特集をNHKのこだわり人物伝かなんかでやっていてみた。列島に古来すまわった人はユーラシア大陸であれ、北方であれ、東南アジア方向からであれ、海を渡ってきた人が多いだろうと思う。アラスカや北方の人や風景、生き物をとる中で、星野が生れた国(日本)の謎に迫り自分自身のことを深く考えたかったのではないか。星野の友人の写真家はそういっていた。


 海から来た人は、離島や山やあちらこちらに離散したし、この国でも敗北者は身をかくすように山や僻地やなんかに追いやられていったのかなあと。だから山にも懐かしさのある場所がある。僕はいつも育った街では山がずっと見えていた。だから山も川も好きなんだ。


 ちょっと話がそれてしまったかな。


 海がキラキラ光る感じや凪の感じや渦潮やいろんな色彩を想像する。体の力が抜けていくような感じだ。泳ぐのは苦手なのだけれど。ふだんは陸の上に住んでいるけれど、海は好きだ。恐いけど好きだ。優しい感じや胎内回帰願望や万能感を読み取る人も多い。


 でもそれだけではないよ。自分の力で進んだり波に身を任せたり、恐るべき力ややさしさを感じることで、自分が自分の力でもっと自由に広い世界に出て行けるような、そんな気持ちいい感じがあるのです。


 昔苦しいときに枚方や高槻の淀川河川敷でぼんやりしたり、天保山ハーバーヴィレッジでずっと海を見ていた。海へとくだっていく。そのはるかな不安の先にもなにか懐かしい、新しい時間がひっくりかえるようなものがあって、固定した頭が広がりを取り戻せるのかもしれない。


 最近はマンの『魔の山』を読んでるんだ。これもすごい。世界の古くからある地形はみんな深い意味をもっている。