細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

2月15日天王寺大道教会でのべてるの家の方々による講演のメモ

2月15日に天王寺大道教会にべてるの家の理事、向谷地生良さんとメンバーの岩田さんが来てて予告どおり見に行った。
自分なりの解釈でメモすることを先にお断りします。

時間の最後の質問コーナーで質問。緊張した。おまけにしどろもどろ。

向谷地さんはソーシャルワーカーのベテランで、今は大学の先生だ。最近社会福祉士国家試験を受けたので、向谷地さんに聞いたのは試験のこと。
●筆者の質問の要旨。自分が受けた試験はマークシート式で、完全に国家試験はほぼ学力試験と云っていいものになっている。しかし、今お二人の講演で聞いているとべてるの実践は、「弱さ」や「病気」を肯定的に捉えなおし、それをそれぞれが生きる力に変えていこうとしている。国家が主に福祉現場のソーシャルワークの専門家を選ぶ際は正直学力先行だが、べてるの実践や現場で必要な知恵と乖離している。これは養成としては問題では?この乖離をどう考えればよいかと。

●向谷地さんの答えの要旨。

かつてソーシャルワークは慈善運動つまりボランタリーなものを原点として、貧困や困窮者とともに歩むことだった。しかし国家がシステムとしてソーシャルワークを組み入れて変容した。
だからそのような原点が大事ということがある。その原点が国際ソーシャルワーク協会の定義である「社会正義の実現」として確認されている。それを再確認して欲しい。
そのような問いをたてるというのはしかし、(あなたが?)ソーシャルワークの出発点に立ったのではないだろうか。しかし私もこのあたりの矛盾には良い解答を持っていないですけど。


ある意味、はっぱをかけられたというか、しかし一見教育者としての発言ながら、おそらく様々な葛藤が向谷地さんにもあるのは同じかもしれないと思った。向谷地さんは当事者もみんなもどう人とつながり、それで地域や社会を変えていけるかを考えているトップランナーのひとりだと思うので、ぜひこの質問は拙いながらしてみたかったのだ。
向谷地さんもべてるの岩田さんも相当人前に出ているため、かなり達者である。印象的だったのは、べてるも講演の場所もキリスト教だということで、コリント人への手紙等をあげていたことだ。
ある人が神になぜに苦しいのかと問うと神は「私はあなたに弱さという恵みを与えたのだからそれで充分ではないか」といった言葉を引用していた。

弱さというけれどもそれは負も正も燃料として糧として、存在するための力であり、逆境を自己責任とする今の風潮とはちがう逆なんんだろうなと思った。

また岩田さんの言葉もジンとした。彼女は、子どもの頃から自己と他者を隔てる大きな壁を感じていた。だから優しさを受けても、同級生と遊んでもどこか他の人は壁の向こう側にいて、その「楽しさ」や「他者と共にいる雰囲気」を実感できないのだという。そしてそれを内側に取り入れることが出来ないため、内側では自分だけが充満し大変苦しかったと。また子どもの頃繁華街に行くとよく自分を噂する声が聞こえ、そのころは「幻聴さん」だと気づいていなかったため本気できづついていたと。
多く発病は思春期から社会人になりたてなどの時期が多いといわれるが、向谷地さんも他のメンバーさんに聞いても家庭環境の差に関係なく多くのメンバーが発達の初期から、根源的に人とつながれない苦労を抱えているのではないかと述べていた。

私は自分の発達史を思い返すに、非常に被害感が強くその正体がわからず、私はなぜ疎隔されているのかと感じていることも多かった。また高校生から心気妄想が出ていたので、実際何かの形で危機を感じていたのだと思う。これを無神論的な運命と感じるか、神の与えたもうたものと感じるか、社会のせいかはわからない。
ただ自己の存在のひきうけには他者という栄養が必須なのだと思う。それがゆがんだり切れたりすると飯があっても生きてはいけない。けれど、べてるの二人はこうもいった。実際お腹が空く、夕方には症状が増悪するという単純な事実がある。雨や仲間とのおやつなんかでも直ることがある。食物もまた安心の基底であると思う。全てはつながりの材料かもしれない。実際向谷地さんは近代社会になって自立せざるを得ないという社会になったところで、同時に疎隔に人びとは気づき、分裂病者も確認されるようになったのだと。これは議論の余地もあるだろうけど。

以上簡単にメモとします。