細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

励まし

 今日は散髪に行った。年末なので混んでいた。散髪屋の兄さんと喋っていたら、なんかちょっと楽しかった。で、クリスマスなので駅ビルなどを物色しました。昨日はですね、デイケアでお食事会がありまして、うまかったっすよ。創作の洋食です。はじめて外でチーズフォンデュを食いました。すべて上品な味つけで。ブロッコリーのスープとかシソ風味のキノコピラフがよかったなあ。
しかも安かった。

 世の中は不況といいますよね。そりゃトヨタが大幅赤字なんてここ何十年もなかったかもしれない。しかしそれは世界が異なる取り組みを等しくみんなに求めているのかもしれない。運よく社会福祉士が取れたならばいいんだけれども。それは自信になるから。いやここまで来たらば、ドキドキなんだけど仕方ないや。だって勉強したプロセスが試されるんだから。そら、覚悟なんて決まってないですが。けれどね、やってきたことが誰に認められるかってよりも、その経験自体が自分の心や体を以前より深めていたらいいなと思う。仕事だろうがなんだろうが、自分の中に様々なニュアンスや襞を持っているほうが結果が出るかどうかは別にして様々なことを感じられる。また様々なことを感じられるってことは可能性があり、その時の現状認識や判断も何がしか(something)であるということだ。

 意味っていうのはなんだろうと思って。それは以前は確実な手応えや情熱みたいなものかなと思っていた。しかしどうもそうではなく、まずは様々な道を発見することで、可能性が広がっていく。でもそれで己が無限底に広がるのではない。様々な形で相対化できるとしてもそれは俺でありお前であり、他の誰かとしか言えないようなものが有無をいわさずあり、それをまずは尊重する。尊重していたとてそれはすぐ、何かを大事にしているという自己満足に変わる。だから何かがその思い上がりを打ち砕くのではないかと思う。
 思い上がりを打ち砕く力を神とか、超自我とか物自体とかいくらでもいえるんだろうけど、そういうカッチリしたものではないだろう。確かさとか絶対が私やあなたを打ち砕く唯一のものではない。やさしい人やもの、なめらかなもの、水や空気、自分がやはりひとりであること、雨、光、こどもの頭の形、建物の影、植物、おじさんの歩く姿、母親、海、ボール、電線、仏、あらゆるものが私やあなたに差し込んでくる瞬間があるのだろうと思っている。
 差し込むこと。それを救済とか恩寵とか様々な言い方があるのだろうけれど、私やあなたの中のやわらかいもの、あるいはひび割れた傷そういうものが生きている限り存するはずで、そこに何かが決定的に差し込んできて、自分や誰かの生を励ましているのだ。例えば星を見ることやそらを見ることで、ラジオを聞くことで、その他色々ビールを飲んだり涙を流したりすることで。

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