細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

横山秀夫『半落ち』読み終え

 今日はダラダラしました。朝は銀行に行って、昼は横山秀夫半落ち』読み終える。おもしろかった。様々な視点から梶警部の不可視の内面を浮き彫りにする。県警の強行犯係のトップ、切れ者の三席検事、野心ある新聞記者、再起を狙うドジな私選弁護人、自分もアルツハイマー認知症の父をもつ裁判官、定年間際の刑務官。この人たちは真面目一本だった梶元警部がなぜ認知症の妻を殺したかや、その後2日間出頭せずにどこかへ行っていたことにそれぞれ疑問をもつ。しかし梶の深い哀しみを湛えた姿に打たれてどのようにその謎を梶自身が打ち明けてくれるか見守るようになる。
読んだらわかるとおり、容疑者が逮捕、検察送致、起訴、そして審理があり有罪が確定し、刑務所に行くまでを描いている。そういう意味で社会的に人が裁かれるときに辿る過程な訳です。だけど、そこで関係する人が裁く→見守るという視点にかわっていくあたりが大切。
梶の妻はアルツハイマー認知症で苦しみ息子の命日を忘れたために殺してくれという。それに対して答えて殺した梶について、とくに認知症の父をもつ藤林の怒りはすさまじい。それぞれの場所でしか見れないこと見えにくいことがある。
ある人を固有の存在としてその人のために介護をする方法としてパーソンセンタードがある。梶自身も介護に疲れて唯一の気心の知れた妻を殺す。梶自身も苦しみ生きる術を失っているように見える。しかしだから、罪は負うとしても梶その人は生きるべきと感じる人たちに敬意を覚えた。
ヒューマニズムだなんだと文句はつけられようがこれくらい見事な「ケア」をめぐる話は寡聞ながら読んだことなかった。