細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ソクーロフの新作

アレクサンドル・ソクーロフの新作映画が今公開されていることを某SNSのお知り合いの日記で知った。

タイトルは「チェチェンへ―アレクサンドラの旅」だったかな?
小さな配給会社(パンドラ)らしく今は東京では渋谷とか新宿で単館でやっているみたい。関西にはまだ来ていない。http://www.pan-dora.co.jp/sys/nakano.php?itemid=251

ロシアとチェチェンの紛争が舞台だそうだがどうも戦闘シーンはないらしい。
ソクーロフといえば、2年位前イッセー尾形昭和天皇を演じた『太陽』を見た。十三の第七藝術劇場で。
馬鹿にするのでも、笑うのでも、責めるのでも、立派にするのでもなく非常にニュートラルな温度で昭和天皇を描いていた。
私の知るひとりの老人としての昭和天皇像と同じなのかちがうのか微妙に判断しにくかった。イッセーが演じているということで、それなりに身近になる気もしたが、イッセーの演じ方も少し形態模写風の感じがある。それがやはりソクーロフの感じる天皇なのだろうか。つまりイッセーの演じ方にもストレンジャーとして天皇を感じる部分がある。ソクーロフがどう感じたかを簡単に我々の実感に沿うといってはおかしい気がしたのだ。

統帥権の総攬者つまりは統治者・あるいは現人神である絶対者としての天皇と戦後の平和を象徴する天皇とまったくことなる次元のものを天皇というひとつの器が演じきってしまった奇妙さ。私にはしかしそれは奇妙ながらもひとつらなりになっているのかもしれない。三島はそれにいらだっていたのである。

しかし、ソクーロフはどう感じたのか。ロシアには皇帝がいる。私はロシアの皇帝のことをほとんど知らない。ロマノフ王朝、そしてソヴィエトのレーニン、スターリン、フルシチョフ、アンドロポフ、ブレジネフ、ゴルバチョフ…今のプーチン。支配とはその国の匂いを強烈に感じる。

皇帝や絶対的な権力をいただくロシアの人にとって、支配者とは何か。彼我のちがいというか。それはわからないけれど、どこかでそのことが今度の映画で見られれば、日本の支配について何か感じる部分があるかもしれない。

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