細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

テレビの楽しみ方という反時代的な試み

オリックスVSカープ日本シリーズが実現したら興味がある。
パリーグではライオンズも、ファイターズも、マリーンズもそれからセリーグではタイガースもジャイアンツも中日も、すべてここ10年以内に日本シリーズに出ているから。
けど、オリックスが出ても、私は最近各チームの選手をチェックていないし関西ですらオリックスの中継はあんまりないから投げている投手をみても、わからない。ある意味新鮮だ。
大石大二郎監督代行が日本一で胴上げとなれば、さらにすごく地味なことに。まあ大石好きだからいいんだが。全国の野球ファンのコアな層だけ大喜びみたいな。

こないだムーブ!を見てたら若一光司大先生がトンカラリンという正体不明の遺跡に行っていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B3すげえ狭い地下トンネルで、正体不明だそうだ。松本清張は「卑弥呼の鬼道だ」といったんだって。トンネルは曲がりくねりながら400メートル以上続いているのだが、階段があったり、産道や腸みたいにヒダヒダのレリーフがある。水を頭にかぶる空間や時々トンネルから光のある場所に出れる。最後のトンネルは大人一人が張ってギリギリとおれる通路なのだがそこを若一さんが太っちょな体でくねくね潜る姿はある意味萌えるのだった。

若一さんは昔から関西コメント界の注目の人。そのキャラに注目しはるか昔産経新聞に連載してたコラムを切り抜いていたほどだ。トンカラリンの前の特集はロシアで悪魔崇拝に陥った少年グループの事件。友達グループをひとりひとり666回切り刻んでおまけにカニバリズムもやったそうだ。こえ〜ドストエフスキーがいた時代とじつはあんまり変わってないのかな。

で若一さんの顔がふるえはじめ、高速で汗をたらしながら語る姿。それは藤子不二雄Aのウラミハラサデオクベキカの少年と喪黒福造を合わせたような迫力。テーマはどちらかというと諸星大二郎系の感じもする。東の荒俣伯爵とはちがう山海の逸品である。これと竹内薫のサイエンスのがムーブ!でちょっといいと思った。竹内薫は仏瑞国境に国際的なプロジェクトとして地下実験施設があることを紹介していた。それは山手線と同じくらいの長さのループの中を光速に近い速さで陽子同士をぶつけ、ビックバンに近い状態を再現するという。

それでわかるかもしれないことは、重さを重さたらしめている物質だとか、ブラックホールだとか、暗黒物質と云って宇宙の暗やみを構成する大量の見えないものだとかの正体であるという。ちなみにブラックホールをこの施設で生成できても、ホーキングの考えによるとみんながその中に吸い込まれたりしないで泡のように消えるということだそうだ。が、竹内の説明を聞き続けていると吸い込まれそうな気がしてくるのはなぜか。

かようにムーブ!は宮崎哲弥なきあと、すごくミステリアスになってきている。
宮崎哲弥はニュースアンカーに移籍したのだが、まだ青山さんのような全開感は少ない。青山さんは興奮してくるとなぜ「室井さんのいうとおり!」と連呼し出すのだろう。もしかして青山先生は室井さんのことが(ry

他にもうちの地元のすぐ近所にフジテックという会社のエレベーター実験施設があり、それはオレンジと白の縞々模様でフジテックと書いてあるタワーだ。小さい頃から、面白い建物だなと思ってきたのだがもうすぐつぶすらしい。それもムーブ!でやっていた。
今日はムーブに絞って書いてみた。ムーブ!は深夜番組とNHK教育の微妙なセンスを若一と竹内のコーナーでは発揮しているのではないかと思った。しかし他は知らない。ムーブ!とアンカーは報道ステーションよりは何倍も楽しめる。NHKの天気予報の半井小絵さんの上着の丈が必ず微妙に腰より上なのも気になる。

というわけでテレビはもうとっくに終わっているなあとは思っていたのだが、厳選すればいけるものもなくはない。限りなく少ないけれど。というのは、バラエティとか朝の番組とかもうやば過ぎ。新日曜美術館とか渡辺篤志の御宅訪問とかああいうのは好みだ。スタッフが好きで作っているからではないかと思う。ちがうかもしれん。キリがないので今日はここまで。

けっこうテレビ見ている。やばい。けど、あんまり知らないことを濃いキャストがじわじわやるとか、逆に世界の車窓からみたいな淡々としたのしか見ないかも。あとスポーツ?
たぶんそのままでユニークな人や景色がみていて一番飽きない。そういうものを大切にしなくなってから、マスメディアはやばくなったのかも。ナンシー関ももうこの世にはいないし。彼女が末期のテレビに偏愛を捧げた最後の人だったかもしれない。