細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

映画「西の魔女が死んだ」についての所感

映画「西の魔女が死んだ」を火曜日見たよ。
誘われて見に行った。何となく楽しめるか不安だった。その不安を打ち消す、感慨深い映画でした。

シャーリー・マクレーンの娘さんが魔女であるおばあさんの役。不登校になり、難しい問題に直面した孫娘が母に連れられてやってくる。
夫に先立たれ山奥でひっそりくらす魔女のおばあさん。ありえないくらい素敵な女性。ハーブティ、ノイチゴつみ、豊かな山野の中で、ノイチゴでジャムをつくり質素に暮らす。ドイツのヘッセが晩年庭仕事したり、自然との共生をめざし独自の教育をするシュタイナー教育、スピリチュアル、スローライフ。そんな言葉が似合う。汚れた下界から距離をとり、のんびりと古く質素な生活の流れるユートピア

そのような暮らしを僕は懐疑的に眺めた。素敵だなと思いながら。しかし孫娘に自分らしく勇気をもって生きる智恵を授けるおばあさんの姿はとても凛々しい。しかし、なんとなくリアリティが薄い。
後半、孫娘は死んだら自分だけが消えてしまう寂しさを語り、おばあさんの考えに疑問をていす。孫娘は、汚れた世界で生きなくてはいけない、しかしそれが耐えられない、おばあさんは魂の成長をするために生きている間は苦しみを経験しなければいけないという。それは正しい。でも、正しいだけで人は生きられるか、そういう反問、悲しみを力いっぱいぶつけるのだ。

おばあさんはうろたえる。孫娘が自分の思いに力いっぱい反発する。そこから、おばあさんも戸惑い深い寂しさに気付く。

一見スピリチュアルに流れそうでありながら、人が清潔で自足した暮らしをすることや心を高潔に保つだけではすりぬけられない難問をおく。そのことで、スピリチュアルから始まりかける物語は、もっと先、つまり美しい物語では回収されない真実を静かに示唆する。


完成した人格や誰かが真実を独占していない。だれもがいくつになっても新たな困難の中で懸命である。おばあさんも孫娘も母も。
しかし、その困難がみなに気高さと美しさを新たに与える。

スピリチュアルから一回りしながら、スピリチュアルに人がもとめがちな人の尊厳を新たにすくいとっている。スピリチュアルに人がたくす希望自体は批判するほど変ではない。しかし、現実の腐敗を排除するだけでは人の美しさは磨かれない。そんなギリギリの綱渡りにドキドキする傑作だ。

映画『西の魔女が死んだ』オフィシャルサイト