細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

原作と映画

 クライマーズ・ハイを読んでいる。映画を見たので既視感があるものの、映画と小説では重心の置き方がちがう。
 映画は控えめながら、報道は人間の仕事だから間違いも美しさもあるという感じで取っていた。俳優全員の動きがそれを語っていた。スクープを出して新聞を売るということと、報道人の良心の戦いみたいなふうにも感じた。新聞記者各位の中にデカイネタをつかみたい(あるいはつかめなかった・過去につかんだ)ということと、自分が見たもの、見なかったもの、そこにいた人に敬意を払わないといけないという対立がある。また事故原因のスクープを逃すのも、おそらく全権デスクが、事故調査委員会の語る原因は虚偽かもしれないという疑念があったからだ。それは真実を伝える姿勢をかなり短い尺で控えめに語っているように思えた。
 小説はまだ途中までしか読んでないのだが、家族・友情といった命の絆をしっかり描写している。アンザイレンという意味がよくわかる気がした。原作は報道人の人間的側面を微細に設定している。この設定をどう圧縮するか、映画では限界があり、ところどころギクシャクしていて、安西と悠木の関係性が判りにくくなっていたように思う。だから現代とのつながりが難しかった。でも、映画も先に言ったように悪くないよ。

 最近原作物が多くて私が見て印象に残った「やわらかい生活」「クワイエットルームへようこそ」も小説原作である。漫画原作も目立つ。「天然コケッコー」もそうだ。書いたことないのでなんともいえないがオリジナルの脚本ってかなり技術的に大変なのかなあ。まあ、八つ墓村羅生門も考えてみれば、小説が先だったよなあ。