細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

清く

 僕の親父はよく「俺は清く貧しく美しく生きている」といっていた。僕は、正面からその通りとは思わないのだが、やはり清いということはいいもんだと思う。だって、人や世は、やっぱりおかしな、筋の通らないことは多いからだ。
 僕は弱虫なので、卑怯だったりおめおめと生きてきた部分がたぶんにある。だから、人はそんなに丈夫ではないということを思う。けれど、いってやらないとわからない部分はあると思う。傍若無人だったりする人間には人並みに不快なのだが、しかしどれくらい相手がやばいかわからないので、電車や町でもなかなか注意ってのはできない。けれど、たぶん倫理というものがあるとするなら、イエスや仏陀孔子がそうであるように対面での勝負なんだろうなと思う。
 倫理の性質は問答無用な面がある。つまりわからない相手に伝えるのだからなるべく理説は尽くすものの、最終的には「俺はこういうのは良いと思う」「それはダメだ」ということになると思う。倫理というとき、応答可能性とはよくいわれるが、倫理の問答無用性を考えていけるといいなと思う。他者に伝えるということは、自分の根拠や地面が直にさらされることだから、言葉にならない思いをかみ締めることだ。

 そんなことをいいながら、でも、そんなにうまくいかんよなと思う。

 例えば自己責任という言葉があって、自分のやらかしたことは自分で刈り取れということがある。けれど、今のように報われない社会に生きていると多くが「こんなに我慢した俺様のいうことを聞け!」となる人が多くなる。

 私たちは先とは逆に実は合意形成にいたるプロセス・お話をショートカットしすぎたのだと思う。そこをサボったために我々の都合を考慮しない社会が出来上がり、今それが大幅にきしんでいる。それは自己責任といえようが、ひとりひとりが生きる中で耐えうる量を大きく超えて負荷が個々にかかっていることはまちがいない。これでは社会そのものがかなり厳しい。みななめられないように自己防衛に走っている。お互いの公正な分担で、支える目的が社会から消えている。あるいは確かめられていない。だからもっときつい。

 このように合意形成を無視した社会は、おそらくいつでもあったのだが、明治維新のときはそれではどうしたかというと。国のちがう侍やなんかが何処かでであって、膝突き合わせて酒でも飲んでお互いの窮状や言い分を聞き会い、足りない情報を補い、新しいアイディアを考えたはずである。
 最近、幸徳秋水北一輝が思い出されるのは、大杉栄や様々な人もそうかもしれないが、彼ら革命の大人には独特の器が合って、とりあえず聴いて見てやってみて学ぶ、ちがう立場の話を聴くということがあったのだと思う。
 北一輝は中国の辛亥革命を支援した日本人だが、そうやって話してみて学ぶということ。僕は苦手ではあるがおしゃべりなのではあるので、このブログもそのとっかかりになればいいとおもう。

 俺は自分にゆとりがないのに、おかしなことは気になる、つくづくお節介だと思う。今はなにもかもがおかしすぎて、誰もがどこからどういっていいかわからん社会状況である。派遣をやって障害者介護やって、どんどん頭が変になっていったが、勉強が足らないくせに人生派、社会派である。