細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】sooner or later

優しい言葉だと感じた時に その人は去っている もう一度ききたいと願っても 僕はもうひとりになっている

青い空の旅人

望んだか望んでないか ではなく 気づいたらいつもひとりだった そのさびしさは大きくて 誰を愛し 誰に愛されたらよいか まるでわからなくなる

夜の闇の中で 私の姿が薄まっていく 手を広げて待っていたら 通気口から 大きなトカゲが何匹も落ちてくる

いつも待つしかないんだ いま ここを感じようとして 手遅れか早すぎる 首すじをかいて くしゃみをしている 雲がいくつもいくつも 通り過ぎるうち 私の空洞から 湿った風が吹いてくる

こんなはずじゃなかったと 言ってみる 間違いだろうか これでいいのかな 床に倒れたまま 考えこんでいる

私の愛の言葉は さみしいです 大きな大きな愛の中で 誰もいなくて

この部屋から出て 優しく叫ぶ 光と陰と屋根 のぼるのぼるのぼる

青い空

【詩作品】自由意志

限界を感じて 青空にちぎれ雲 目にしみる青さに 深くおぼれてみる

何本もの泡の柱が 立ち昇る中を 歩いているみたい 脳の中で

笑いが笑いでなく 風が風でなく 緑が緑でなく すべていつか仕組まれたお話みたいに

ダマされまいと ただ駅に向かって歩いている

ただ生きることに集中し 集中しすぎてめり込んだら 見えた遠い世界を

どうしたらいいのか 生きているだけなのだ

あたたかくなってきたから 黄や赤の信号が 目や耳に走る

君も私も稲妻なのだ ただ あぜ道を歩いて 限りなく あぜ道を抜け 川べりに立ち 巨大な文明の跡を眺める

今 私がある世界がすべて 遺跡に見える 私もまた終わったまま 有終の美を 失っている

ぶつぶつと 川や石が話しかけてくる 錆びた鉄橋が ゆっくりと 朽ちていく

どこに行ってもいい どこに行かなくてもいい

【筆を研ぐ】維新勝利・反大阪市解体連合の敗北を総括する

大阪の選挙、私は何かとてつもない無力感に包まれた。 やはりダメだったかという感じもある。 私は非力であることを認める。 そして私たちは大きな状況把握の間違いをしているのではないかと率直に反省する。

差別反対、人権や社会保障の立て直しのためには、天皇制や日米安保まで見直さないとと考え、勉強をしていた最中だった。 改めて都構想を語る元気はなく、そして、それだけでなく、維新が勝つ理由を考え、その条件をなくさないとと考え暗澹とした。

実は選挙の前、さらに住民投票時からネオリベ国家主義が維新人気の通底にあり、それが都市開発と住民分断を推進する力となっていることを指摘していたが ( 「これは政官財界が考え出した完全犯罪ではないか。」 http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/20150218/1424272305 「安倍政権と大阪都構想は公的セクター解体民営化に向かっています。 小泉改革以上に心配です。」 http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/20150420/1429501708 「この国が生き残るには財政を切り詰めて、弱者は消し、国を愛して強くなるしかないと考えてしまう大半の人の意識が安倍政権や維新を支えている」 http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/2016/10/07/000759)保守の人々はナショナリズム批判は禁忌らしくまた中道やリベラルの方々も左派の主張は、あまり響かない。 私は左派だから大変苦しかった。 しかし、ナショナリズムなどに引っかかっていたら反動にはなりえても国家権力と連携して、排外的な不安さえ糧に支配を進めるグローバル資本には敵わない。

維新が勝つのは、自治体の解体、民営化、民間委託などの規制緩和で、不動産開発資本や鉄道事業者に市場参入をさせるという新手に出ているからだ。

自民党ではできないと悟れば、新たな勢力維新を作り、荒々しくしかし着実に中央政権や財界に取り入ってきた。 そして安倍政権も、維新と同じ方向を向いている。 政府がグローバルな投機開発資本と連携しなければ生き残れないと考えているようだ。その意味で維新は、政府が直接手を出せない自治体解体の尖兵である。

巨大資本が手が出したくて仕方なかった大阪の公共財産は、観光地や商業一等地にある。 大阪城天王寺公園阿倍野の商店街などなどを市場に食べさせて、大阪経済を潤わせるということだ。

これはタコが足を食べるかのごとき、自己破壊的な延命策なのであり、街は死ぬが関西財界と日本の財界、巨大インフラ事業者、不動産開発事業者は延命する。

もはやそのような厳しい局面に大阪があることを認めず、維新を単にバカだと騒いでいるのはおかしい。 バカではなく、バカのふりをしても、利権構築しながら、まともにリテラシーを身につける機会を失った選挙民の味方のふりをしていると見るべきだ。

新たな地域浮揚策か、オルタナティブな町のあり方を探れない限り維新の一人勝ちは続くだろう。

私もそれを考えあぐねるが、インバウンド収入と、外国人労働者に頼る大阪、日本であるのは間違いなく、新たな多文化共生の理念が必要だし、ナショナリズムと排外主義が国政から一掃され、天皇制を含めた古びた仕組みを解体していかねば、国は軍拡の道しかなくなっている。

維新は表面上、滑稽で、単なる人気取りであるが、長年の不況と高齢化、右傾化で、大阪の地元商店街や労組が持たないと見切り、不動産都市開発に、土地と地位を譲って、退場せよと呼びかけているのだ。

住民投票ではその危機に地元商店会や医師会、組合、古くからの住民が決起しかろうじて、反対が勝った。 しかし彼らとて、地域が破壊され高齢化し兵糧攻めにあわば、抵抗は困難となる。 私は今回の選挙結果をそのように見る。

関西のマスコミもスポンサーにおもねってか、維新に厳しい記事が書ききれない。

もはや自治体の全面解体を止めるには、新たな多文化共生に立って、地域課題を組み上げ、同時に中央を変えるという潮流を作ることが必要だろう。 それには、日本のあらゆる政治勢力も足元を見つめなおして、出直してもらうしかない。

これは原発や基地と同根の課題で、ナショナリズムは事態を悪化させるだけで答えにはならない。

もちろん311以降政治参加をはじめ、しかし十分な変革に助力しきれなかった私自身の不明をも恥じる。

戦いのステージが変わったと見るべきだ。

【時評】私たちの社会体制の不自由を考えるー明るい戒厳という事態に至らないために

私たちの社会体制は、自由だと言い聞かせていけば、自由に見える面もありますが、それは意識に常に言い聞かせてるんです。

学校や会社で教わるということはつまり、意識に常に言い聞かせるお経を手に入れるということではあります。

では、病気になったり、失業したり、社会的なカタストロフに苛まれれば、そのお経から逃れられるか? そうではないです。 頼るものがなくなれば、お経はより強く鳴り響くようになります。

ナショナリズムとか偏見とかはそのように制度の中にある人もそこから出された人にも機能し増幅していきます。

ここから逃れるのは意外に大変です。

今の社会はネオリベラリズムという国境を超えた資本の運動による搾取が国家や自治体と協力して二重に私たちを締め上げています。

安倍政権や維新はその現れです。 しかし皆さんが迎えつつある改元天皇の即位、オリンピックも、そうです。 これらは、日本の経済危機、人口減、原発事故を、日本の住民の中でも特にマイノリティなどに押し付けるため、そのために、全体主義を生み出すための一連の官製イベントと言ってよいでしょう。

原発事故は日米安保体制による核開発のリスクを顕在化しました。 なぜなら日本は日米原子力協定により、米国の制限の下で、原発で出た核燃料の再処理によるプルトニウムの生成を許された国だからです。 原発は実は核兵器原料の開発手段だからこそ、あらゆる合理性を歪め、人権や環境を破壊しても進められています。 そのリスクを隠すために、被ばく影響が消され、復興のためのオリンピックという噴飯ものの話が出ます。 しかし、オリンピックだけでは、足りず必ずその前後に天皇のイベントが召喚されます。それは1960年のオリンピックと皇太子の結婚の並び方とよく似ていると思います。 オリンピックと天皇のイベントではナショナリズムは高まり、警察の警備が強化され、メディアは他の諸課題を報じなくなります。 これは国家と資本の連合による明るい戒厳のようなものです。

実は資本と国家は核開発というものがおそるべきリスクを持ち、到底容認できないものであることを手をたずさえて、国家の統治のために、隠そうとします。 これは原爆投下後の日米政府の結託による被害隠蔽でも似たことが起きました。 この背後には天皇の戦争責任の免罪があります。

原発事故以降も天皇、米軍、自衛隊のプレゼンスが高まっています。

新たな戦争体制と、経済的社会的危機は マイノリティに負担を押し付け、まさに静かなジェノサイドが行われていく恐れがあります。 ここでは政府が作り出すナショナリズムが高まり、排外主義をベースに天皇自衛隊、米軍のプレゼンスが高まるでしょう。 私たちは歴史によく学び、日本の社会体制が責任と道義と人権を作り出せるよう、よく考えていく必要があるでしょう。

【詩作品】海から春へと

わたくしの抽象的な感受 人生を回転させ損なった それは捻転した 冬の空に卒倒した 汗をかいて うどんを食べて生き返ろうとした

光景が変わると 匂いが変わり これは紙に印字された臭いがする いつも変だった

諦められずに 冬の海を眺めた 雨が降って情けない気分で 頭をかきむしった いにしえの人が歩いて 抱き合って流れ着いた場所だ 草むらに日がこぼれ弾ける 冬から春まで待ったからだった

そこには 電車が走り 何もかもが いつの間にか滅んで 板塀にカビが生えている お金や地位があっても なくても わたくしたちはカビから逃れられない

踊ろうよ踊るかな やめてしまおうかな 素晴らしい絵や言葉のなかに ウソを見る

誰も変ってしまった これは書けないけど 本当に何もしなくて良いというわけではない 疲れて破裂して この街の冬から春へ 晩から朝へ 時間と生命が混ざり合って 体液となり あたたかい拍動を 向ける場所もなく ひとりで ひとりではなくて 誰かと 誰なのかと だれ だれ

【詩作品】生死続けて飛んで歌う

どれだけ辛い日々があっても 決めつけない 終わらせない で太陽がどんどんふくらんでいく 限界だと 青い空で倒れていく まっさおになりながら息を繰り返す

もうねあの頃はねあの頃はね 必死だったね だけど見えていなかった 焦れば焦るほど見えていなかった 明るい服を着て草むらに寝転んで 奈落へ

今も見えないよ見せてくれないよ だけどね たどり着けないからって 歩みは意味ないわけない スタートしたんだから まるい地球に僕の頭が 転がり落ちたから

冬の海に静かな雪 塩辛い海に 汚れた人間たちの宿業 悩むしかないんだよね 葉っぱから葉っぱへ 命から命へ 命からがらへ もう僕らは死んだようなもんなんだよね じゃあはじめから 死んだようなもんなんだよね 死ぬのは飽きたから 何度も何度も僕らは生きて来たんだ だけど何度も同じ間違い繰り返すんだ でも間違いは新しいね 新しいよ だからジャンプ 雨の粒の光に ジャンプ 砕けていく思い出に 縛られながら なぜかジャンプ もうそれ以外 やることないんだよね

被ばくにおける「調査しない」の歴史再び・政府の事実否認体質を憂うー東京新聞「官邸に「疫学調査不要」 福島原発事故で放医研理事」

以前、被ばく影響を調査しない、はじめからないものとして、調査対策をしないのは論外であると批判するブログを書きました。 2016年のブログです。

はじめから被ばく影響は「低線量においてない」と決めるのはまず非科学的であり、「ないから調査や対策をしなくてよい」のは論外であり、トートロジーに陥っている。それが放射能の議論を異常なものにしている。

http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/2016/12/04/135246

事故時、放医研にいた明石真言氏が政府に対し実際に疫学調査は必要ないという発言をしたそうです。 やはりブログに書いた悪い予感は的中しました。彼らは被ばくが少ないと決めつけ調査をしなかったのです。

東京新聞:官邸に「疫学調査不要」 福島原発事故で放医研理事:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019021802000125.html 「それによると、経済産業省の幹部が「論点として疫学調査の必要性の有無があろうが…」と切り出し、明石氏が「住民の被ばく線量は最も高くても一〇〇ミリシーベルトに至らず」「(疫学調査は)科学的には必要性が薄い」と述べていた。  明石氏は現在、量子科学技術研究開発機構執行役。取材に応じ、「健康影響が確認できる基準は一〇〇ミリシーベルトと理解していたが、外部被ばくは原発の正門付近の空間線量からそこまでにならないと判断した。甲状腺の内部被ばくは国の測定で線量が高い人でも五〇ミリシーベルト、一〇〇ミリシーベルトにならなかったはず」と説明。「必要性が薄い」と判断した理由に、平常時との差が確認できるほど病気が増えると考えにくかったことを挙げた。」

当時の民主党政権も実態解明に協力していただきたいと思います。 また、明石真言氏は、事故以来政府や福島県原発事故の健康調査の委員となってますから、民主党自民党福島県すべてが解明をしていただきたい。

環境省 「「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」委員

明石 真言 独立行政法人放射線医学総合研究所 理事」https://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-info.html

福島県 https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/274240.pdf

「住民の被ばく線量は最も高くても一〇〇ミリシーベルトに至らず」「(疫学調査は)科学的には必要性が薄い」などと述べていた方がなぜ、これら被ばく影響を検証する委員会に参加しているのでしょう。 被ばく影響をはじめからないものとしたかったのですか。

環境省福島県は説明すべきです。

100ミリに至らないという根拠も謎ですが、100ミリに至らない被ばくでの、病気の発症などはたくさんの統計資料があります。 10〜20ミリシーベルト程度の胎内X線被ばくで、生まれた子どもの小児がんの発症が40パーセント増加することを突き止めたアリススチュアートの研究は今から60年ほど前。 米国科学アカデミーのBEIR7報告の一般向け概要でも言及されています。

Health Risks from Exposure to Low Levels of Ionizing Radiation: BEIR VII Phase 2 http://www.nap.edu/11340 via @theNASEM http://www.nap.edu/catalog/11340 (本文全文をダウンロード可能です)

〝Both the epidemiologic data and the biological data are consistent with a linear model at doses where associations can be measured. The main studies establishing the health effects of ionizing radiation are those analyzing survivors of the Hiroshima and Nagasaki atomic bombings in 1945. Sixty-five percent of these survivors received a low dose of radiation, that is, low according to the definition used in this report (equal to or less than 100 mSv). The arguments for thresholds or beneficial health effects are not supported by these data. Other work in epidemiology also supports the view that the harmfulness of ionizing radiation is a function of dose. Further, studies of cancer in children following ex- posure in utero or in early life indicate that radiation-induced cancers can occur at low doses. For example, the Oxford Survey of Childhood Cancer found a “40 percent increase in the cancer rate among children up to [age] 15.” This in- crease was detected at radiation doses in the range of 10 to 20 mSv.〟 「疫学的データと生物学的データの両方は、計測可能な相関する線量において線形モデルと一致している。電離放射線の健康への影響を確立している主な研究は、1945年の広島と長崎の原爆被爆者の生存者を分析したものである。これらの生存者の65%は低線量、すなわちこの報告で使われた定義に従えば低線量被ばくである(100 mSv以下)。これらのデータにおいて、閾値放射線の有益な影響は支持されていない。疫学における他の研究はまた、電離放射線の有害性は線量の関数であるという見解を支持している。さらに、子宮内または幼児期にばく露後の小児のがんに関する研究は、放射線誘発がんが低線量で発生する可能性があることを示している。例えば、オックスフォード小児がん調査では、15才までの小児がんの発がん率は40%増加した。この増加は10〜20 mSvの範囲の放射線量で検出された。」

素人の私でも知っている事実を長年放射線被ばくを研究してきた明石氏が知らないはずがありません。

さらに以下のように原発事故の甲状腺がんに関して国際会議にも登壇しています。

環境省福島県立医科大学経済協力開発機構原子力機関は明石真言氏の参加について説明すべきです。

放射線医学県民健康管理センター「県民健康調査」 | 放射線甲状腺がんに関する国際ワークショップ 主催 環境省福島県立医科大学経済協力開発機構原子力機関 場所 東京、品川プリンスホテル 期間 2014年2月21日(金)~23日(日) 「【2日目】2月22日(土)

放射線甲状腺がんに関する国際ワークショップ 09:30 セッション2: 福島県被災住民の被ばく線量推計 共同座長:明石 真言放射線医学総合研究所、日本) 共同座長:Joanne Brown(放射線化学・環境ハザードセンター、英国)」 http://fukushima-mimamori.jp/conference-workshop/2014/08/000122.html

明石真言氏だけでなく、政府が20キロ圏の避難民について被ばく線量調査をしていなかったという報道もありました。

東京新聞:「線量増加前に避難完了」国の資料 逃げ遅れなし 判断か:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019020402000137.html?ref=daily 「資料は本紙が情報開示請求で入手した。二〇一一年四月六日の参院災害対策特別委員会の答弁用に作成された。甲状腺測定について「3月12日に20km圏内に対する避難指示がなされたことにより、放射線量が増加し始めた頃には、既に避難は完了していたと認識しているため、避難者に対する調査は行っていない」と記述。答弁では読まれなかった。  この資料には、所管者として同省原子力安全・保安院企画調整課長の片山啓氏と保安院付の野田耕一氏が記載されていた。  片山氏は国の事故対応をつかさどる原子力災害対策本部で総括班長を務めた。現在は原子力規制庁の核物質・放射線総括審議官。本紙の取材に「当時は多忙な時期。資料は別チームの保安院付が作成した。内容は承知していない」と規制庁を通じて回答。野田氏は「手元に資料がない」と取材に応じなかった。一方、測定の担当者らは「一番リスクが高いのは人が住み続けた三十キロ圏外と判断して測定した。基準を超えなかったため、他地域もリスクは低いと考えた」と述べた。」

調べなければいくら被ばくしたかわからないのに「線量増加前に避難完了」と決めつけて計らなかったのです。 こんなことでは被ばく線量がわかりません。論外です。 科学でもなく放射線の被害から住民を守るべき政府の責務を果たしていません。 原子力災害対策特措法27条1項1〜2には、国や自治体がせねばならないこととしてこうあります。

「一  緊急事態応急対策実施区域その他所要の区域(第三号において「緊急事態応急対策実施区域等」という。)における放射性物質の濃度若しくは密度又は放射線量に関する調査  二  居住者等に対する健康診断及び心身の健康に関する相談の実施その他医療に関する措置」

国が疫学調査もしない、被ばく線量も測らない。何のために原子力災害対策特措法があるのでしょうか。 そのくせ国は原子力緊急事態宣言を解除していない。 緊急事態宣言は事態を隠蔽するために必要なのかと邪推してしまうほどです。

もっとも被ばくした人々への調査をしないで、どうやって影響なしと決めつけたのでしょうか。 全く根拠がないのですね。 明石真言氏の発言も被ばく線量は低いというものでした。 しかしその根拠となる被ばく線量は国が計らず、さらにその後の影響調査もしないようにしたわけです。 データがなければ判断できないわけです。 しかしチェルノブイリ原発事故でも似たようなことが起きました。 あえて放射線障害と診断しなかったのです。政府の命令で。

「リクビダートルの罹病データ改ざんに関する公式の要請例 1.  「………電離放射線に被曝したあと入院措置を受けたが、退院時に急性放射線障害の徴候もしくは症状がないと特定された個人に対しては、「自律神経循環器系失調症」(訳注2)という診断を下すこと」[ソ連公共保健第一次官、O・シェーピンがウクライナ保健省に宛てた1986年5月21日付け書簡より #02-6/83-6 (V. Boreiko, 1996, pp. 123-124)]。 2.  「緊急作業に携わった作業員のうち、急性放射線障害の徴候や症状を示さなかった者には「自律神経循環器系失調症」の診断を下し、放射線に関連するような健康状態の変化はないものとみなす(つまり放射線障害については実際上問題なしとする)。したがって、状況神経症を含む体性神経症状(訳注3)は診断から排除しなくてよい」[ソ連保健省第三局長、E・シュリジェンコの1987年1月4日付け電報より #"02 DSP"-1(L. Kovalevskaya, 1995年、p.189)]。 3.  「(1)電離放射線に被曝してから時間が経過した後に表れる影響および因果関係として考慮する必要があるのは、50ラド(500ミリシーベルト)(訳注4)を超える被曝後5年から10年後にみられる白血病および白血症である。(2)事故処理に従事し、ARS(急性放射線障害)のみられなかった個人において急性身体疾患および慢性疾患の表出が認められた場合には、電離放射線の影響を原因の一つと見なすべきではない。(3)チェルノブイリ原発で作業に従事し、別稿10番に記載されている(訳注5)急性放射線障害を発症しなかった個人に対して病気証明を発行する際、その人物が事故処理に参加したことについて、また、被曝線量総計が放射線障害を引き起こすレベルに達していない場合は被曝線量について言及しないこと」[第10軍医委員会委員長、V・バクシュートフから陸軍軍人登録および徴募事務所に宛てた、1987年7月8日付けのソビエト連邦国防省中央軍医委員会の説明文#205より(L. Kovalevskaya, 1995, p.12)]。」

「大惨事の影響に関する真実のデータ隠蔽の二つの例 1.  「(4) 事故の情報を機密扱いにすること..... (8)治療の結果に関する情報を機密扱いにすること。(9)チェルノブイリ原発事故の後処理清掃作業に携わった個人について、放射能の影響の程度に関する情報を機密扱いにすること」[ソ連保健省第三局局長、E・シュリジェンコによる、チェルノブイリ原発における原子力事故の後処理作業活動をめぐる機密の強化に関する1986年6月27日付けの命令、#U-2617-Sより(L.Kovalevskaya, 1995, p.188)。 2.  「(2)事故に関連して、医療機関に蓄積された診療録に関するデータは「限定公開」扱いにすべきである。また、物や環境(食品を含む)の最大許容濃度を超える放射能汚染について、地域および地方自治体の衛生管理機関において概括されたデータは「機密扱い」とする[1986年5月18日付けのウクライナ保健相、A・ロマネンコによる機密強化に関する命令、#30-Sより(N. バラノフスカによる引用、1996, p.139)]。」 http://chernobyl25.blogspot.com/2012/04/blog-post.html?m=1

データがないならば、絶望するしかないのか、違います。 事故後、各地の土壌などの汚染量を計り、各地域の疾患の増減を調べ比較対照すれば、地域間の疾患の数の比較が可能です。

「「証拠の不在」を強調し、集団の被曝線量と健康被害とのあいだに「統計的に有意な」相関がなければならないと主張する専門家がいるが、それは方法論として欠陥がある。当時、データ収集が精密におこなわれなかったため、集団の被曝線量と線量率を正確に計算することは事実上、不可能だ。もし本当にチェルノブイリ大惨事の健康に対する影響を方法論的に正しいやり方で理解し、推定したいと思うなら、汚染地域において、放射能量は異なるがその他の点では同様の集団間もしくは集団内における差異を比べると明らかになるだろう。」 http://chernobyl25.blogspot.com/2012/04/blog-post.html?m=1

実はこのような問題は原爆でも起きました。 原爆から被ばくのデータは歪んでいます。 アメリカ政府と日本政府による隠蔽であり、被ばく被害を小さく見積もるため統計分析条件の範囲を狭くすることです。 「その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。」 https://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/26276180.html

当時広島で被ばく者を診察治療していた肥田舜太郎医師(のち全日本民医連顧問。日本被団協原爆被害者中央相談所元理事長) 「死亡診断書の書きようがないので、仕方がないから、最後はみな心臓が弱りますから「急性心不全」という病名を付けて役場で扱ってもらう。私は半年ぐらいまでは、強引に「原爆症」という名前をつけたのです。ところがそれでは役場に持って行かれないのです。戻されてしまうのです。「この病気は国際的に登録されていない。これでは法律上で受け取る訳にいかないから法律の中にある病気を書いてくれ」というのです。「原爆で死んだのは間違いない」といくら言っても駄目でした。私はむしろ、直接被爆をしないで、翌日や3日後に広島に入って、今の医学ではわからない病気になって、失業するし、就職もあきらめる、結婚もできないというような不幸を受けた被爆者の人を、特に私は意識的に対応してきました。そういう意味で、戦後アメリカの占領のもとでは、そういうことを喋っただけで掴まりますから、私は3度掴まっているのですけど、そういう運動をやっても占領下ではどうにもならないので、救援活動をしました。」 http://superhealth.jp/?p=343

これは証言にとどまらず、研究もされています。 繁沢敦子氏の『原爆と検閲』です。 書評に良いまとめがありました。

「原爆の残虐性の報道は次第に減る。原爆症の修正、残留放射能の否定など、科学記者たちが動員され、非人道的攻撃への批判はみられなくなる。

それは「検閲」のゆえだと著者は考える。そこで、オリジナル原稿と掲載された記事とを照らし合わせ、その変貌を克明に追跡する。その緻密さは感動的ですらある。

アメリカで検閲が組織的に行われるようになったのは第1次大戦からである。第2次大戦では、真珠湾攻撃の12日後、検閲局が設置され、同時に報道機関は自主検閲を促される。彼らは権力からの自由と自主性を守るため、自主検閲を強化した。

だが、と著者はいう。もっとも強力な検閲官は、アメリカ人である一人ひとりの心の中に存在しているものであると。」 https://toyokeizai.net/articles/amp/4802?display=b&_event=read-body

毎日新聞は2005年にGHQによる検閲を報じました。 「しかし同日、ウェラー記者は二つの病院を訪ね、原爆の特異性に気付く。軽いやけどなのに腕や足に赤い斑点が出て苦しんでいる女性、鼻に血が詰まったり、髪の毛が抜けている子どもたちがいた。オランダ人軍医は、患者の症状を「疾病X(エックス)」と呼んだ。

 9日には、福岡から長崎に駆けつけた中島良貞医師を取材し、「疾病X」が放射線被ばくによる原爆症を意味し、投下から時間が経過しても死者が出ている原因と確信する。「患者たちは、エックス線照射によるやけどの患者と違って、あまり苦しまない。そして、彼らは4~5日後に悪化し、亡くなる。死後に調べると臓器も正常だ。しかし、彼らは死ぬのだ」

 息子のアンソニーさんによると、ウェラー記者は一連の原稿をGHQに送ったが、掲載は許されなかった。原稿は返還されず、複写については、ウェラー記者自身、紛失したと思っていたらしい。当時、広島に入った記者による放射能汚染を告発した記事が英紙「デーリー・エクスプレス」(45年9月5日付)に掲載され、米政府はその打ち消しに躍起になっていた。

 アンソニーさんは「原稿が公表されていたら、放射能の危険性を警告した画期的な記事になっていたはず」と話している。」 ‪長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収 (毎日新聞) 彗星 http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/369.html

このようにチェルノブイリでも、広島長崎でも被ばく後の人体被害についての様々な情報が統制され、民間の医師(於保源作ら)の調査はかえりみられず、ABCCのちの放影研などの日米研究機関や広島大学長崎大学などの国立大学が調査研究を行い、政府寄りのつまり原爆被害を過小化する報告が積み上げられていきます。 広島大学にはかろうじて、鎌田七男や大瀧慈など被害を明らかにする学者が研究を発表しましたが、長崎大学には長瀧重信や山下俊一がいて、広島やチェルノブイリの被害を研究し、被害があるのを知りながら、原爆症認定や福島原発事故で、被害はほとんどないと公的に言明し続けました。

実は現在ICRPなどが採用しているABCCのちの放影研のデータにも設計上の問題が指摘されていますが、批判には答えられていない現状があります。 インゲ・シュミット・フォイエルハーケ氏の批判。 「――放射線影響研究所放影研)が実施した原爆被爆者の健康リスク調査に対し、83年に批判する論文を出しました。どんな研究だったのですか。 ◆放影研の調査は、直接被爆者の健康リスクを入市被爆者(原爆投下後に爆心地に入っ人)や遠距離被爆者と比べていた。そこで私は日本人のがんなどの平均的な発症率や死亡率と比較し、入市被爆者や爆心地から2・5キロ以上離れた所にいた遠距離被爆者の相対的なリスクを求めた。その結果、白血病や呼吸器系・消化器系のがんによる死亡率は全国平均を上回り、発症率は甲状腺がん白血病、女性の乳がんで1・5~4・1倍だった。放射性降下物(黒い雨、死の灰など)による内部被ばくの影響が大きいことを示す結果だが、当時の学界の常識とは異なっていたため、国際的な医学雑誌に論文を投稿したところ、いったん掲載を拒否された。その後、編集部から提案を受け、論文ではなく編集者への手紙という形で掲載された。 ――放影研による原爆被爆者の研究は、国際放射線防護委員会(ICRP)による放射線の健康リスク評価の基礎データになっています。 ◆確かに、放影研の調査は重要な情報だ。しかし、原爆投下から最初の5年間のデータが欠けている▽心身が傷つき適切な医療を受けられなくても生き残つた「選ばれた人々」のデータである▽原爆投下後の残留放射線を無視している――などの理由で、限定的な情報でもある。一方でこの数十年間、原子力施設の事故や原発労働者、医療用X線照射、自然放射線などに関して、さまざまな研究で低線量被ばくの健康影響が裏付けられてきた。だが、そうした研究の多くは広島・長崎のデータと矛盾することを理由に無視されてきた。ICRPのリスク評価は特に、長期間受け続ける低線量被ばくの影響を過小評価しており、がん以外の病気への意識も欠けている。 ――白本の原爆症認定を巡る集団訴訟では残留放射線による内部被ばくで健康被害を受けたと訴えた原告側か勝訴してきました。しかし、国は「内部被ばくの影響は無視できる」という従来の主張を変えていません。 ◆多くの国で同様のことが起きている。公の機関が内部被ばくを認めれば、原発労働者の健康リスクに対して責任を認めざるを得ないからだ。原発労働者は、福島で被ばくした人々と同じ問題を抱えている。 ――東京電力福島第1原発事故後、日本では政治家や一部の専門家が「100ミリシーベルト以下の被ばくはほとんど影響がない」などと説明してきました。 ◆これまでの医学的知見を全く無視した説明だ。100ミリシーベルトを下回る線量でのがんの発症は既に医学誌などで報告されている。放射線は細胞の突然変異を促進させ、これ以下なら安全という線量の「しきい値」は存在しない。予防原則に立って被ばくを低減させる対策が必要だ。」 「低線量被ばくの影響~健康リスク無視するな」インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏インタビュー

120806【毎日新聞】インタビュー:インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏 https://besobernow-yuima.blogspot.com/2012/08/blog-post_6.html?m=1

琉球大学矢ヶ崎克馬名誉教授(物性物理) 「矢ヶ崎氏:この人は、水俣病の裁判を勝訴に導いた凄く組織力のある弁護士。  この人に依頼されて、私も向こう見ずに、やりましょう、と言って、  その時初めて被曝文献を沢山読み始めた。  真っ先にDS86という、これは1986年に被曝線量を評価した体系という、  そういう意味だが、これを見た途端に、  もう科学的にはデタラメな事が記述されており・・・

岩上氏:すみません、DS86というのはどこが出した、科学団体が出した所ですよね。

矢ヶ崎氏:アメリカの政府筋でずっと原爆の被曝を  コントロールしているような、エネルギー省が関わって、  その時はまだエネルギー省ではなく、原子力委員会だった、  これが、アメリカと日本の科学者にそういう操作をさせた。

 原爆が投下されてから約1カ月、9月17日に、  長崎にも広島にも枕崎台風というのがやって来た。  これは激烈な台風で長崎には3カ月で1200mmも雨を降らせた。  広島は、それに加えて被曝地一円が床上50cmから1mの  大洪水に洗われた。  市民が考えれば誰でも放射能の埃なんかはなくなってしまっている、  そう思う状態で、アメリカのDS86、原爆被曝線量評価体系を計画したチームが  洗い流されてかろうじて土の中にわずか残っていた放射線量を、  複雑な計算をするように見せて、初めからこれだけしかなかったという言い方をして、  記録上原爆が落とされた現地周辺に、  放射能の埃は人体を被曝させるに足るような量は全く落ちなかった、とし  こういう嘘の世界を作った。」 https://www.google.co.jp/amp/s/nixediary.exblog.jp/amp/12693257/

つまり、フォイエルハーケ氏や矢ヶ崎克馬氏が指摘するような設計上の問題があり、被ばく影響が矮小化されている懸念があるにも関わらず、ABCCのちの放影研のデータは、国際的な放射線影響のスタンダードとして君臨しています。 さらにその放影研データですら、しきい値がない、無害な線量は0としています。

「米国放射線影響学会の公式月刊学術誌 Radiation Research 177号(2012年3月)が放射線影響研究所の報告「原爆被爆者の死亡率に関する研究 第14報 1950–2003年:がんおよびがん以外の疾患の概要」を掲載しました。この報告は「死亡のリスクは、放射線量と関連して有意に増加し…閾値は認められない。すなわち、ゼロ線量が最良の閾値推定値であった」と明言しています。」 https://ameblo.jp/halo-usaco/entry-11242034297.html

つまりどれだけ細工をしても、影響をゼロにはできなかったということです。しかしここには矢ヶ崎克馬氏やフォイエルハーケ氏が語った欠落や操作が未だあるわけです。

福島原発事故だけでなく、初期被ばく実態を知らせない、肝心なデータを測らないということを国がやっていたということがどんどん明らかになっているわけです。 特に初期被ばく実態を調べないことについては、近年亡くなられたstudy2007氏が末期がんに苦しまれながら、渾身の批判的研究書を残されました。 氏は末期がんに苦しまれながら、子どもたちが被ばくして自分のように病気になるのは許せないとして著書を書かれた旨著作に明記されてます。

科学 『見捨てられた初期被曝』関連情報ページ https://www.iwanami.co.jp/kagaku/misuterareta.html

さらに津田敏秀氏は小児甲状腺がん多発に関して、統計学的疫学的に立証は可能だとしています。越智小枝氏への反論として以下のようにHillの理論を用いて説明をしています。

「1.関連の強さ: (越智)事故前と今とでは何倍増えているかわからないので、事故とがんの関連の強さを判定できない。→× (肯定派)Hill は、事故前との比較でなければならないとは書いていない。空間的比較では、チェルノブイリで行われた非曝露群・比較的低曝露群の甲状腺エコー検診結果、併せて 47,203 名からは一人の甲状腺がんも発見されていない。→〇 (否定派)比較は、同一対象においてなされなければならない。福島県では、事故前 に甲状腺エコー検診がなされていなかったので、比較する対照がなく、判定できない。→× 2.一貫性: (越智)観察手法が限られている。→△ (肯定派)福島県のいずれの地方に関しても、一貫して甲状腺がんの過剰検出結果が 得られており、チェルノブイリでの非曝露群・比較的低曝露群での結果より著しく高く一貫している。観察数ゼロの相馬地方は、観察対象が少ないための偶然の結果で説明できる。→〇 (否定派)福島県内での甲状腺がんの検出割合は、ここだけの検診なので、一貫性を見ることができない。→× 3.時間的関係: (越智)事故前のデータがないので、過去と比較した増減の判定ができない→× (肯定派)すべて事故後に検出された甲状腺がんであり、特に、2 巡目に見つかって いる甲状腺がんの多くは、1 巡目ではなかった甲状腺がんが発見されている。→〇 (否定派)1 巡目で見つかった甲状腺がんが事故前から存在しなかったという保証は ないし、2 巡目も 1 巡目の見逃しかもしれず、事故前から存在しなかったという保証 はない。→× 4.生物学的容量反応勾配:(津田注:「容量」は「用量」の間違いだと思います) (越智)住民の初期被ばく量データがないので、被ばく量が多いと癌の発症率が上がる、ということが示せない→× (肯定派)福島県内での甲状腺がん検出割合は、原発からの距離、事故後の放射性プ ルームの流れ、そして検診がなされた時期(1巡目では 2011 年度、2012 年度、2013 年度)を考慮に入れれば、量反応関係がはっきり見られる。→〇 (否定派)事故による甲状腺被ばく量(用量)がわかってくるのは、チェルノブイリ の例でも 15 年から 20 年たってからなので福島ではまだ得られていない。→×」 https://www.iwanami.co.jp/kagaku/Tsuda20170609.pdf

つまり政府の不作為や作為(明石真言発言のような)が働いて仮に十分な初期被ばく線量データがないとしても、福島県内の多発の地域差、検診の時期、プルームの流れた方向などから、放射線量と被ばく疾患の関係をつかめるとしているわけです。 残念ながら津田敏秀氏の手法は、津田敏秀氏の様々な論文発表や活発な発言などによっても、国や福島県は頑として取り入れません。 背景には明石真言発言の他、以下の山下俊一氏の発言なども影響していることでしょう。

東京新聞:震災後「放射線ニコニコしている人に影響ない」 山下・長崎大教授「深刻な可能性」見解記録:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012802000122.html‬ ‪「山下氏は二〇一一年三月二十一日の午後二時から、福島市内であった講演で「心配いらないと断定する」「放射線の影響はニコニコ笑っている人には来ません」と発言していたことが知られている。保田氏によると、この日の昼、県庁内のOFCで山下氏と面会。その結果は放医研内部の連絡のため、同日夜に記録していた。これらに従えば、「深刻」発言は「ニコニコ」の講演と同じ日にあったことになる。‬ ‪ 本紙は保田氏の記録の写しを情報開示請求で入手した。それによると「長崎大の山下俊一教授がOFCに来られ、総括班長経産省)&立崎班長とともに話をうかがいました。山下先生も小児の甲状腺被ばくは深刻なレベルに達する可能性があるとの見解です」と記されていた。立崎班長はOFCの医療班長だった放医研職員の立崎英夫氏。OFCは事故直後の同月十五日に福島県大熊町から県庁へ移転。山下氏の講演会場から徒歩五分の距離だった。」‬

明石真言氏が政府で疫学調査は必要ないとしたこと、山下俊一氏が福島県民にニコニコしてればと言ったのは、方向が大変にていると思います。 つまり防護も調査も被ばく対策もいらないよと言っているからです。 他方、山下俊一氏は原爆やチェルノブイリの研究から、被ばくに危険があることを知っています。 政府や専門家たちには、危険だと言っていたわけです。 ここでは、事故を管理する側に対する見解と事故を経験する住民への見解が山下俊一氏の中で違っています。 山下俊一氏のこのような発言や明石真言氏の発言により、原発事故管理を行った国や福島県は、もはや被害の深刻さを調べない、対策しないの方に舵を切ったのではないか。 それはもはやコントロール不能な被害を語らない、語らせないことによって、起こりうる被害を黙って住民に背負わせ、賠償や避難などの支援を打ち切り、オリンピックで誤魔化すということなのかもしれません。 そしてそれは民主党から自民党に変わっても、石原元環境大臣の「最後は金目」発言、今村元復興大臣の「避難は自己責任」発言、安倍総理のアンダーコントロール発言に見られるようにひどくなるばかりです。

さらに宮崎真・早野龍五氏の伊達市住民線量データの無断論文転用、黒川氏による複数の矛盾の指摘がありました。 これはつまり汚染地域に除染をせずとも、住めるし住んでも被ばく線量は低いとしたもの。 ICRPでも発表され、原子力規制委や放射線審議会もこれを活用して、線量基準緩和をしようとしていました。

住民データは言うなれば、統計データですが、これは住民同意のないまま使えません。 それを無断論文転用した自体言語道断なのですが、そこに前伊達市長らが関与している疑いさえあります。 KEK名誉教授の黒川眞一氏が論文の誤りを複数指摘し、論文掲載誌は論文に注意警告文を貼り、東大や県立医大の調査委員会が立ち上げられました。

それでも早野龍五氏らは論文の矛盾について十分な回答をされず、また、放射線審議会も取り下げたものの、論文の意義を否定していません。 注意しておきたいのは、早野龍五氏は原発事故後、放射線影響研究所評議員会議長になっていること。 環境省などの委員や福島県医大の特命教授を歴任した丹羽大貫氏は理事長になっています。 福島原発事故の被ばく影響を少ないとみている学者が放射線影響研究所の重役となっています。近年亡くなった長瀧重信氏は放射線影響研究所原発事故当時の理事長です。 長瀧氏は政府の低線量ワーキンググループの座長となり、20ミリシーベルト基準を正当化する役割を果たします。

さらに山下俊一氏は長崎大学で長瀧重信氏から甲状腺医療を学びます。 その山下俊一氏は、福島県医大の副学長になります。 様々なネットワークが浮かんできます。

折しも政府の大規模な統計データ不正が発覚しています。 実態を把握し、対策を立てる。 大規模な人口集団である市町村、都道府県や国単位で統計分析は必須です。 そこに不正や操作が起きたならば、その政策が信用ならないのは、政府の統計データ不正も、原発事故時の政府の調査をしなかったこと、不適切な誤った論文でも同じです。

それで被害を被るのはそこに住む住民や社会、自然環境全体です。

私たちの社会は不正をしなければ維持できないとする人々に支配されています。 最低限の道理すら壊されているのです。