細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

堀越豊裕「日航機123便墜落 最後の証言」平凡社新書 読了

堀越豊裕「日航123便墜落 最後の証言」平凡社新書

読了。

丁寧なルポ。特に日米の事故関係者や航空業界関係者への綿密なインタビュー取材が読ませる。 アメリカの123便墜落事故調査の担当者、他の航空機事故の当事者などのインタビューがさらに興味深い。

アメリカは巨大事故において、単なる責任追及だけでなく、事故防止に役立てるため、事故原因の追及が徹底している。 空中爆発した機体の大半の部品を海からサルベージして、事故機体を再現する。 123便墜落の場合、一部の部品が相模湾に落下したが海中捜索を断念した。 事故調査機関に予算がなく、政府も主導しない。 著者自身は米国や日本の事故調査に関係する様々な人を取材し、ミサイル撃墜説、否定肯定両論も取材し、ミサイル撃墜説に否定的だ。 しかし、そんな著者も相模湾に落下した事故機体の部品を引き上げなかったことが、つまり事故調査が徹底していなかったことが、人びとの疑いを強め、ミサイル撃墜説や陰謀論を生み出していると見る。 アメリカのように執念で事故機体の部品を拾い上げ再現度を高めれば、誰が見てもなんども再検証できるからだ。

むしろ隔壁の修理ミス説についてこれだけボーイング元社長やアメリカの事故調査機関NTSBなどの担当官を徹底取材した力量に驚いた。 私も含めアメリカがどんな調査をしたか、アメリカの事故調査の現状を知らない人は多い。

最初の著書らしく、ところどころ固さがある表現があるが、とにかく徹底取材。 吉岡忍が評価したのはわかる。

私はこの事故が起きた時小6で盲腸で入院して退院直前に日航機事故をテレビで見て深い衝撃を受けた。 生存者に私と同年代の川上さんがいたことをよく覚えている。 その翌年にはチェルノブイリ事故も起きている。

尼崎脱線事故福島第1原発事故でさらに巨大事故調査に関心を持った。

日航123便墜落事故は、発生からもう33年の夏を迎える。 著者が「最後の証言」と題したのも関係者の高齢化が進んでいるからだろう。 亡くなられた方そのご遺族にお見舞い申し上げるとともに悲惨な航空機事故が起こらないよう願ってやみません。

【詩作品】古い谷の歌を年寄りが歌う前のはなし

領土の内と外で 戦いが始まる時 この内と外はもちろん虚構だが 君は虚構とは思えなくなってる なぜなら 君のこころの中は ずっと前から支配されているからだ 支配とか戦い などということについて 歌う風習は この部族では廃れたのかも しれないが 君に語りかけるとき 私は古い外套を着て 異言で語りかけるのだから どうせ私の言葉なんて 風や馬の呼吸にしか 聞こえないだろう わかっているよ だけど聞いておくれ

私の外套にもぐりこんでおいで 恐ろしかったね 実際こころが支配されているなんて 怪談か冗談みたいな響きさ だけど 君にみて欲しい この世界の7割は砂漠だ 砂漠で悪魔と戦うとき 君は別の悪魔を呼び出してはいけない

あくまで君の若竹のような やわらかい爽やかな 言葉を使うのだ 山椒の葉は すりつぶされ 懐かしいあの世界の匂いがする 水というのは 植物の体の中を通り抜ける そのとき植物の細胞は とても美しい着物を着て 君という水に 香水をふりかける

そのとき、植物の細胞も根も信号を発してることを知るのだ ひとりひとりが かけがえないメッセージをもち 誰かが傷つくと 他の人も傷つくのだ これを「そばにいる人の効果」 と生物学で呼ぶ

darling darling stand by me

いつも誰かが誰かのそばにいて 君と一緒に傷ついたりする

砂漠を渡るときは 君の中を濡らす 涙をわすれないことだ その涙が つながりあって 歴史を作るのだ

小さな雨粒 から雨粒へ しずくからしずくへ 雲も海も信号なのだよ

実際そうして 数え切れないくらい 古い時に 海はできたのだよ 海は違いを飛び越え 暗闇と光を 君と私を 物質と物質を 結びつけ 揺らし 希望を生んでいた

しかし それはわずか数百年で こんなに私たちの 怒りと悲しみを 溜め込んでしまった 私たちが 無知から作り出した 新しい災いが 叡智の 海に投げ込まれるだろう

しかし覚えていてほしい 君と私を作るのは 小さな 若竹のような 山椒のような 命のしずくなのだ 君と私の 肉体の 中には 土や木々と同じ 賢い命の粒が 満たされている だから君は 無限を いま生きているんだ

さあ怖がらないで おやすみ 懐かしい 私の生まれた谷の歌を歌おう これを歌うと 私は 古ぼけた 狂った老いぼれと 笑われるもんだが そうじゃない そうじゃないよ

るる るる るるる ばれ ばかれ かかるれ ばかろれら らっさ さらごめ めてるおら おらめて めて てろて かかるれ ばかろれら

るる るる るれれ さらごめ

脳しんとうと私ー人生はわからないことばかり

最近脳しんとうについて調べています。 以前てんかんの可能性は低いというセカンドオピニオンをもらいました。 しかし、それならば、35年慢性化した頭痛や倦怠感、昔起きた意識消失の説明ができません。 頭痛については片頭痛なんだろうなあと思うので、先生のセカンドオピニオンには疑問はありません。 ただ、倦怠感や意識消失、まれに起きる手足がジンジン痺れる感じの発作的症状はなんなんだろうと。 もう一つものごとを決断して遂行するのも苦手です。

先日夜考えごとをしていて、あゝと思ったことがありました。 小学校5年で教室で意識消失発作を起こす前に、1度意識を失ったことがあるのです。 それはいじめっ子と遊んでいて、二メートル弱の道路のへりから、冬の乾いた田んぼに落ちて、意識を失ったことです。

実はその時何分間かわからないが、意識を失って倒れていました。 気づいたら、落ちた瞬間の記憶を失くしていました。 ぼんやりと家に帰ったら、発熱していました。気分も悪く寒気もしてこたつで休んでいたら、左肩が痛い。 母親が肩を回してみてというとものすごく痛い。左鎖骨が折れていたのです。 そのあと、同じ市内の外科に行き、肩から胸にギブスをあててもらいました。 その時は肩を治してもらうことに集中していて、それにたぶんボーッとしていて、あたまのことは話さなかったし、誰にも聞かれなかったのです。

しかし、あれは脳しんとうでした。 意識も何分間かはわからないが、無くなっています。また落ちる直前、何が起きたかの記憶もあいまいです。

その時、冬の田んぼで、私はいじめっ子のMくんと遊んでいました。 どこからか野良犬がたくさん来ました。私たちは急いで田んぼを逃げ回ります。 田んぼから二メートル上がったら道路です。 Mくんは、コンクリートの壁を昇り、道路に上がりました。 私もそこを目指して走り、コンクリートの壁を上がっていた、その瞬間から記憶がありません。

最近スポーツの世界では脳しんとうが危険な脳の障害を起こし兼ねないことがわかり、アメリカや日本でも警鐘を鳴らす声が高まっています。 羽生結弦さんがスケートで転倒して脳しんとうを起こして再び試合を続けたことが美談として語られましたが、スポーツ医学や脳神経医学の世界では、連続して脳しんとうを起こすと、セカンドインパクトと言って重大な脳障害を起こす危険があると懸念の声が上がりました。

「スポーツによる頭部外傷は交通事故のような直線加速度を伴う強い直達外力が要因となるのではなく回転加速度が脳を揺さぶり脳実質を歪ませることによって生じると考えられています。実験的には神経細胞内外のイオン平衡が破綻することにより正常な神経伝達が行われなくなることによる機序が確認されています。」 http://www.yamadaiin.net/letter/2492/

脳しんとうとは、脳全体が揺さぶられて、脳の様々な場所に回転や遠心的な力が加わり、ダメージを受けます。 豆腐を激しく揺する感じです。 だから単に打ち付けた面だけではなく、深いところの軸索が切れたりすると深刻な問題が起きます。 しかし大半の脳しんとうは、その時頭痛などがあってもしばらくしたらよくなります。 しかし適切に休んだり、検査手当しないと、後遺症が出ることがあるらしいのです。 これを脳しんとう後症候群といいます。これはICD10では器質性精神病に分類されています。 「意識の消失を生ずるほど重い頭部外傷に引き続いて、さまざまな精神および身体的な症状が現れます。例えば、頭痛、めまい、疲労感、音や光への過敏性、集中と課題遂行の困難、記憶障害、不眠、ストレスや情緒的興奮、あるいはアルコールに対する耐性の低下などです。 これらの症状によって自尊心が喪失することがあります。また、症状が永遠に続くのでは、といった恐怖心から、抑うつと不安感が生じることもあります。そうした感情がますます症状を悪化させ、悪循環になる人もいます。患者さんによっては「自分は大変な病気だ」と思い込み、たびたび診断と治療を求めるようになります。」 http://www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/f00/f07_postconcussional_syndrome.html 「頭痛、疲労感、音や光への過敏性、集中と課題遂行の困難、記憶障害、ストレスや情緒的興奮」 これらが思い当たります。

それからいじめのせいもあったでしょうが、あの頃から自分はダメな人間で、生きていても辛いと感じるようになりました。 「自尊心が喪失することがあります。また、症状が永遠に続くのでは、といった恐怖心から、抑うつと不安感」

さらに一番思い当たるのがこれです。 「「自分は大変な病気だ」と思い込み、たびたび診断と治療を求めるようになります」

小6の時、盲腸で入院したんですが、入院して2週間後くらいいきなり「舌がうまく動かなくなる」感じがしました。「喋れなくなったらどうしよう」と不安になり、ナースコールを押しました。看護師さんは、舌苔で舌が汚れてるよと舌を拭いてくれました。納得のいかない私は医師に相談しました。 医師は舌を診てくれました。 「特に異常ないからストレスちゃうかなあ」

しばらくこの心配は消えます。 しかし高校2年生になった私は「舌にガンができて喋れなくなるのではないか」「20くらいで死ぬのではないか」という不安に捕らわれ、2件くらい耳鼻科と口腔外科の病院に行きました。 1軒目は口内炎ではないかと。2軒目は話を聞いてくれて「癌かと心配したんですね。怖かったね。癌はないですよ。」 普通それくらいしたら、納得すると思うのですが、こじれまして。

放射線で癌が発症するのかもしれないと、ガイガーカウンターを、原発関連団体から借りて、友達が山で拾ってくれた金属の入った鉱石を調べました。 しかしあまり使い方がわからずうまく測れない。 私は、怖くなり石を捨てました。

それからも私の舌がん恐怖は続き、うつ状態になりました。 そして大学生の時は、20が近づいても死なないし、生きていても虚しく辛いので死を考えるようになりました。 実際死にたいと、1人街をさまよったことも何度となくあります。

私はこれが心配だったが、脳しんとう後症候群なら一番説明できる気がします。 30くらいを境に希死念慮はあまり起こらなくなりましたが、決断や計画が立てるのが苦手、音や光が苦手で、スーパーや繁華街は苦しくなる、アルコールを生中2杯くらいは普段はなんともないが、疲れていると、突然頭が激しく痛くなり嘔吐、体の痺れ、発汗などで倒れてしまうこともあります。

とにかく何ができてもできなくても、自分はダメなんだとずっと感じていて、どれだけ励まされようが元気になれません。 また、気分がくるくる切り替わり、小さなことで人のことが信じられなくなります。自分を自分でつかめないんです。 そんなシリアスな面があるのに、ふだんはへらへらしていて、変な感じなんです。 自閉症やパーソナリティ障害的な面の上に脳しんとうにより何かがあったんでは?と。

さらに幼い時は頭は痛くならなかった。 しかし、頭を打ったくらいから、頭が痛くなったり、お腹が痛くて辛いことが増えました。 またすぐに疲れたりするようになりました。 頭を打ってから1年以内に、授業中、座っていて、お腹が痛くなり、頭が変な感じに。友達に声をかけたが先生を呼んでくれない。 なぜか立ち上がって先生のところまで行こうとして突然叫んで倒れて意識を失いました。数分程度でしょうか。 それから時々気分が悪くなり気が遠くなったりするようになりました。

自治医大の天笠氏 「明確な基準は定められていませんが、通常2歳未満であれば0.9m以上、2歳以上の場合は1.5m以上の高さから落下した場合は頭の中の出血リスクが上がると考えられています。ただしこれはあくまで一つの指標であり、頭を打ったときの状況や子どもの容態によって緊急性は異なります。 基本的に子どもの頭部に大きなエネルギーが加わったと想定される場合は受診が必要です。たとえば高所より墜落(どこにも当たらずにまっすぐ落ちた)した、交通事故で車と接触した、自転車で電柱に激突したなどの場合も受診」 https://medicalnote.jp/contents/160825-001-NE?p=2

私は二メートル弱の高さなので、ハイリスクです。 しかし重大な出血が起きたらもっと大変なことになりますから、それはなかったかもしれません。 でも頭を診てもらってないなら、わからないことだらけ。

東京医療センターの山本医師 「脳震盪は一般的に3つのレベルに分けられており、「一過的に意識が混濁するが失神はしておらず、記憶は正常」なのが軽度、「2分以内の失神や記憶障害、手足のしびれが現れる」のが中度、「2分以上の失神に加えて、記憶障害、手足のしびれ、頭痛吐き気」などが続いている場合は高度としています。中度以上の脳震盪が確認された場合には、脳内に異常をきたしている可能性があります。すばやい検査と処置が必要です。」 https://medicommi.jp/44248

私は失神、吐き気、一時的な記憶障害があります。しかし経過時間がわかりません。 中度から重度どちらかです。 でも、私がかつて体験したことは、けして小さなことではなかったんだなあと。 その時にいたいじめっ子の友達はなぜその時心配してくれなかったか、親はなぜ気づいてくれなかったか。今さらなんですけど。

なぜ、そんなことを言ってしまうかというと、落ちる瞬間に何が起きたのか私は記憶を失ってますから、何が起きたのか、足を滑らしたのか、あるいはあの高さから落ちて意識を失い、鎖骨も折れたなら突き落とされたのかとも疑っていたからです。 しかし記憶がないので、すごく不安で気持ちが悪いです。 夢で繰り返し、私が落ちていく姿とそれをみている友達の静止画があらわれます。悪夢です。 それは20歳を過ぎるくらいまでは見ていたのではないか。

ともかくいろいろわからないことが。 ともあれ、脳しんとうや意識を失ったことについては、精神科の主治医に話してみます。 何十年前の話だし、検査で見つからないことも多いらしいから過度な期待は禁物だが、この線を調べていきたいです。 少しでも何かがわかったらいいです。 自分の勘が間違えていても、それをヒントに自分の苦しみの正体が知れたらいいなと思っています。 わけのわからない話ですが、間違い失敗ばかりかもしれませんが、このブログを読んでくださっている方がいたら私を見守っていてください。

いたらない私に、神がいるかわかりませんが、何か世界からあたたかい眼差しが降り注ぎますように。

てんかん専門医の診察終わりました

ご心配かけます。てんかん専門医による問診、脳波検査を受けました。

脳波は異常なく、持続時間などの発作の様子からてんかんの可能性は低く、片頭痛の可能性が高い。 片頭痛も自律神経に嵐が起き吐き気や発作後の疲れは大きい。症状によるダメージは大きい。 抗てんかん薬には頭痛や精神症状に効くものがあり、あなたの主治医のお手紙にそれを提案してみますとのことでした。

また医師によると、片頭痛てんかんは、ちょうど、いとこ同士くらいの関係にある発作性脳疾患。

てんかんの患者さんで片頭痛を併発する方も多いとのことです。

歴史的に関連性がどの程度あるのか議論されて来ました。 もちろん別の病気なんです。 別の病気なんですが、パルブロ酸ナトリウムやトピラマートといった抗てんかん薬が、片頭痛に効果があるそうです。

【詩作品】あのよのくに

なにもなくて

なにも

なのになにか

おいかけて

なにかまちうけて

なにものも

いなくて

なにもかも

たいせつにおもえない

もともと

あたえられなくて

そのなにかもわからなくて

なにも

わからなくて

べんきょうした

かりのことばを

しった

うそのことばを

わたしの

なかみにはうそがつまって

だってしりたいのは

あたたかい

あいだった

あなたにあたえられなくて

あたえられなかったあなたには

あいがわからない

あいがわからない

あなたに

おしえられた

じんせいには

なにかがない

なにもかもない

しかし

わたしたちは

いきている

いきていなくては

ならないきがする

なぜかわからない

なにかがたりない

なにもかもがたりない

つきにひかりがあっても

わたしはそのあおになく

そのあおは

ふるさとだ

なにがなくても

ただのいしころから

はじめられる

なにもかもがたりない

なにかわからないあさがあり

あさをおもう

きょうもわたしには

いたみがある

いたみから

かいらくへ

わたる

まぶしいひかりから

わたしがおりまげられる

くるしくなくていい

くるしみの

はてにあるのは

なにもかもがいたくない

あのよのくに

高槻の母に電話して地震の状況を知る。あしたてんかん専門医初診。

あしたてんかん専門医を受診する報告に、高槻の母に電話。

こないだの地震から今もガスは復旧ならず。 あと数日で開通するはず。 お湯はカセットボンベで沸かしている。 バケツに温めたお湯を溜め、体を拭いたりしている。

地震の時、阪神大震災の経験をしていた近所の若い母親は、手が震えておびえており、手を握って励ますと怖いと涙を流していたとのこと。

近所では大被害はなく。 ただ知りうる限りでは下田部一丁目で古い家屋が火災。 淀川の堤防そばの「二十(はたち)」のバス停から坂を降りた箇所でガス管破裂があったとのこと。

母の電話から聞いた地震の報告ここまで。

私自身はあしたてんかん専門医の初診です。 私の主治医にいろいろ相談しましたら、てんかんでも意識を失わないタイプの単純部分発作の疑いがあるので、一度専門医に診てもらいましょうと紹介状を、書いてくださったのです。

実は10歳の頃から、なんとも言い難い気持ちの悪さ、頭痛、意識がもうろうとする状態を年に数回から半年に数回経験してきました。

主治医によると、うちでも抗てんかん薬は出せるが、一度専門医に診てもらいましょうと。 脳波がはっきり出ないこともあり、全てがはっきりすると期待しすぎないでください。 明確な診断がつくかわからないし、似たタイプのてんかんではない病気の可能性もあります。 焦らずじっくり取り組む一歩になればいいですねとのこと。

焦らず、固くならず、やってきます。

【詩作品】シンプリファイ、ジャスティファイ、ノーティフィケーション

はりつめて

街のうすぐらさを

感じていた

何もしたくなかった

まだまだ私は

私自身を

わざとらしいと感じるけど

歩いていた

看板の汚れとか

シャッターから漏れる光とか 日々

崩れゆく命が

この町であり

この私だと

アーケードは

産まれた時に見た

この世界の

手ざわり

強い光の向こうにみえる

優しい布の繊維や

木目の湿った感じや

ただ少しひんやりとして

私がなぐさめられてよいのやら

しかし何を付け加えられる

わけではない

すべて

風に削られる結晶や

朽ちていく鉄である

光が落ちて

橙になるころ

朽ちていく鉄に

帰れない時間を

匂った

生き始めたときに

死に始めている

匂いは

私のうぶ毛からもする

タイルははめ込まれ

血は流れ

書かれない物語を

たゆたわせている

小銭がもうなくて

この町の母に伝える

キャッシャーが

光で

商品の信号を読み取る

この町に来て

はじめて

買ったものや

はじめて入った

コンビニを

覚えている

生きていけるかって

生きるって

そんなに難しい?

難しくないの?

息をしたり

血が流れているから

ただ

だけど

からだは知らぬ間に

老いてゆき

放射性崩壊は続いてくから

だれの肌の中にも

何をしても

何を話しても

私は

影になる

間に

あなたと

話していることの意味を

緑の川の水

曇ってくるしい

どうして

どうして

行ってしまうのかな

どうして

感じる息を

ここに

いてる

なぜかわからない

来た

書き表せないほど

様々なことがあったよ

それはシンプルだ

たぶん