細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

ついに無謀は極まった「除染土、農地造成に再利用 環境省方針」ー政府の無責任が根底にあるのではないか?

汚染土の再利用に突き進む環境省はついに、せっかく除染した土を農地の造成に使うと、、 花を植えるそうです、、 中間貯蔵や最終処分が困難なので、なるべくばら撒いてしまおうということなんでしょうか。 これも安倍政権下の大問題だと思います。

除染土、農地造成に再利用 環境省方針、食用作物除く:科学・環境:福島民友新聞社 みんゆうNet http://www.minyu-net.com/newspack/KD2018060101002593.php 「 環境省は1日、東京電力福島第1原発事故に伴う除染で生じた土を、園芸作物などを植える農地の造成にも再利用する方針を決めた。除染土の再利用に関する基本方針に、新たな用途先として追加した。食用作物の農地は想定していない。

 工事中の作業員や周辺住民の被ばく線量が年間1ミリシーベルト以下になるよう、除染土1キログラムに含まれる放射性セシウム濃度を制限。くぼ地をならす作業に1年間継続して関わる場合は除染土1キログラム当たり5千ベクレル以下、1年のうち半年なら8千ベクレル以下とした。除染土は、最終的に厚さ50センチ以上の別の土で覆い、そこに花などを植える。」

それにしても、以前から主張しているのですが、除染というのはなんだったんでしょうか? 汚染があるから取り除いたわけです。 しかし取り除いたものの、保管したり捨てたりは、反対にあいます。 中間貯蔵施設は、なかなか土地の買取が進みません。 国の姿勢が故郷を奪われた人々の反感を買っているのです。 国は反対にあうことがわからなかったのでしょうか? 原発を推進して、汚染が出ても処理を考えていなかった。事故後急場しのぎで作った汚染対処特措法で、8000ベクレルまで基準を緩め、燃やそうとしたがあちこちで反対が起きる。

中間貯蔵施設は、30年後に県外に出すと、福島県と約束した。そうしないと作れないから。PCB処理が難航した時に作ったJESCOにまたもや、まかせる法律を作った。 しかし汚染廃棄物は青森県六ケ所村と同じく県外に引き受ける自治体はないと思われる。

では、と国は「処分量を減らすために公共事業に使う」と言い出した。 除染したものを、道路の地下に、堤防の中に、さらに花を植える農地に使うと。

政府の、放射能汚染対策は、除染の段階から無理が指摘され、避難や被ばく対策を進めよという批判があった。 除染は作業員の被ばくを伴う。 しかし莫大な税金を使って、除染を行い、杜撰で、労基法違反の頻発する事業に成り果てた。

しかし政府は、放射能汚染をなんとかするために、事業をしたのではないようにみえる。 とりあえずやったという既成事実を作るためではないのか? なぜ私がそう考えるかというと、結局国が除染した廃棄物を再利用すると言い出したからだ。 とにかく取り除けと言われたから取り除いただけで、本当に本気でどう処理するか考えてはいなかった。

除染したものを再び、一般環境に放り出す。想像を絶する暴挙だ。

放射能汚染廃棄物を無害化する技術はないから、開き直った国は再び土に還しますと。 廃棄物ではなかったのか? 本当に「放射能循環型社会」が構築されようとしている懸念は強まった。

とにかく復興と言わないと、東電に払う公費は際限なく積み重なり、放射能汚染が絶望的だとわかると、怒りが爆発して原発を推進できなくなるので、とりあえずやったふりをし続け、被害自治体に対して体面を保とうとしただけではないか。私はそう慨嘆せざるをえない。

よく汚染廃棄物の受け入れを断るとNIMBYだと言われる。 しかし、実は、被害地元に向き合って、国や東電が真摯に償いをしながら、汚染を管理する施設を作ろうとしたわけではない。 東電は賠償を切ろうとしている。 国は訴訟で事故を防げなかった責任を認めない。 そのような姿勢の国や東電が、住民や市民と話し合いができるはずがない。

事故の廃棄物だけでなく、使用済み核燃料最終処分のNUMOも、報酬を出してサクラを動員した説明会が発覚した。 国会では政府が総理の疑惑を回避するために文書を改ざんし、忘れたふりをし続ける。

この社会は責任を取らず何でも進めることが問題だ。 ドイツはナチスの暴挙を謝罪し償い、忘れないようにしている。 チェルノブイリ被災国では、住民を被ばくから守るチェルノブイリ法が作られ、今でも存在している。

日本政府は、責任を感じなければ、この社会を壊してしまうだろう。

朝日新聞田井中雅人記者による「核に縛られた日本」の講演を受講

5月27日日曜日は中之島フェスティバルタワーにある朝日カルチャーセンターで行われた、朝日新聞田井中雅人記者による「核に縛られた日本」の講演を受講してきました。

私自身の印象に残ったことや感想を書きます。田井中記者のお仕事について正確な情報を得たい方は記事や著作をご自身の目でお確かめください。

田井中記者の核被害者のインタビューは注目していました。 一度お話を聞いてみようと。

お話は核兵器禁止条約をめぐる情勢です。 田井中記者の話は明解です。

ICANのサーロ節子さんのノーベル賞演説から「核は必要悪ではなく、絶対悪」という言葉を引用します。

絶対悪とは、被ばく者が放射能汚染や被ばくによって命が苦しめられ続けるんだということ。サーロさんは被ばく者として演説で語りました。 しかし、「広島長崎」という言葉はノーベル平和賞の受賞理由に入ってないんです。 むろんノーベル財団も最大の核大国アメリカを刺激したくないからです。

かくしてアメリカをはじめとした「核は必要悪」勢力の問題が明らかになります。彼らは自分たちの核保有を「必要悪」と正当化してます。

必要悪勢力である米英仏(中国は棄権してます。ロシアは核禁条約反対です。中ロは米英仏とは距離を置いてます)は、NATO諸国にアメリカの兵器を配備し、睨みを利かし、アフリカは英仏が旧宗主国で、今も経済的に強い力を持っているなどの理由で、睨みを利かし、核兵器禁止条約の世界的な批准を阻んでいます。

じゃあ日本はどうなのか? 日本は、アメリカに原爆を投下された世界初の国ですが、アメリカを非難せず同盟国となり、アメリカの原発技術を買って、原発開発を続けてきました。 実は日本政府はずっと潜在的な核保有能力の維持をしたいのです。 岸元総理も安倍総理も小型核の保有を合憲と答弁しています。 そのため、核兵器禁止条約に反対しました。 しかも、反対した日本政府の大使はアメリカの大使に肩を抱かれ、仲良く話す写真があります。 そんな日本政府が「核保有国」と「非核保有国」の橋渡しをしたいと河野外相が述べたそうです。

しかし田井中さんによれば、核兵器禁止条約推進のブラジルは、日本政府の橋渡し提言は「Not Welcome」だとはっきり述べたそうです。

アメリカの核保有を批判できず、さらに核保有の野心を捨てない日本政府だから、橋渡しなんかできないと、はっきり認識されてるらしいのです。

私は会場で、発言してみました。 日本はアメリカの核の傘から出て原発をやめてプルトニウムを放棄しないといけないと。

さらに、国内や韓国さらに世界中に原爆被ばく者がいるが、日本政府は、彼らの被ばく影響をアメリカ政府とともに否定してきた。 原爆症を認める、被ばく影響を認める。 ということを日本はすべき。 世界初の核兵器使用被ばく者の被害をいまだ認めないでは、核も原発もやめる一歩は踏めないと言いました。

これはいま追記ですが、被爆者は、閃光を浴び、爆風に飛ばされ、怪我をし、焼けくすぶる広島や長崎の町をさまよいました。そして、友人や家族が、血を吐き、死んでいくのをみた人も何人もいます。証言の類は本やネットでみなさん読んでみてください。

彼らは核爆発で放出された放射能に汚染された大地(きのこ雲。核分裂反応による火球から生まれた熱と放射能はどんどん上昇し、上空で、雲となり、成層圏にぶつかり横に広がります)に怪我などをしながら寝転び、降下物を含んだ雨に打たれ、煙や土埃を吸い、川から水を飲み、ということをせざるを得ず、というのは一瞬にして市内の家や建物は吹き飛ばされてしまったからですが、それ故に内部被ばくしました。そんな経験のあと、彼らは、体調を崩し、悩んで来ました。(すでに1950年代には於保源作氏が、広島市役所の住民データから、統計学的に癌死の増加を割り出しています。彼は地元の民間の医師で、国やABCCの研究者ではありません。しかしこれは早期に被ばく被害を明らかにした歴史的な成果とされています。「被爆10年前後で被爆者のがん死亡率が高いことを突き止めたのは、内科医の於保源作(おほ・げんさく)さんでした。戦後、疎開先から広島に戻り、全焼を免れた自宅で内科医院を再開。街にあふれる被爆者の診察を始めました。その過程で被爆者に白血病胃がんなどで亡くなる患者が多いのに気付き、1951~1955年に広島市が受け付けた死亡診断書11,400枚をチェック。被爆者のがん死が全国の平均を上回っていることを統計的に突き止め、1956年に医学専門誌に発表しました。」http://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/97abom/peace/06/bakugeki.htm) また直接原爆の爆風を浴びていなくても、黒い雨を浴びた人、数日以内に、家族の捜索、ケガ人の救助、瓦礫の処理、遺体の運搬と焼却などに、市内に入って被ばくした人もいます。 体内被曝者もいます。 それぞれ被ばく者手帳の対象です。

そんな経験を積み重ねて、いわば、未知の被ばくを経験した人びとを、科学者や官僚は、被ばくの影響はないんだと。

サーロ節子さんが被ばくというとき、こんな歴史があるのです。

田井中さんもアメリカの被ばく者に取材した話などしておられました。 被ばくの事実を知りたいという強い情熱を感じました。もっと時間があればたくさん聞けたかもしれません。

大変勉強になりました。ありがとうございます。

加計理事長と安倍総理の面会疑惑、詰め路に入ってきたのでは?ー民主主義の基礎を確かめる

対話調にします。

A「総理!愛媛県文書の加計理事長との面会は事実ですよね?」

総理「記録を見たけどないです」

A「記録って即日で廃棄されるのでは?」

総理「(ぐぬぬ)理事長に会った記憶がありません。現に首相動静にもない!」

B「首相動静に書いてない会談もある。証拠にならないのでは?」

総理「(詰んだ)」

というようなことだと思うけどね。いつになれば総理はお認めになりますか。

なんで総理が面会してない証拠を出せないだけで詰め路に入るんだと疑問の方もいるでしょう。

まず前提として、特に公選職特に議員や大臣は、人びとの付託を受け、税金で仕事をしてますから、「疑わしきは罰せず」は適用されません。 「山崎 雅弘 @mas__yamazaki 森友・加計問題で「不正の証拠が見つからないから不正はなかった」とか「不正があったことを立証する責任はあったと主張する側にある」「違法だという証拠がないのに騒ぐメディアがおかしい」等の、一見もっともらしい安倍首相擁護のミスリード(誤導)にだまされないよう、問題の構図を図にしてみた。 午後0:31 · 2018年5月23日」

https://mobile.twitter.com/mas__yamazaki/status/999130689172783106

議員は不逮捕特権もありますよね。 だから疑わしい場合は、ちゃんと国会などから客観的なチェックを受けねばなりません。 国会質疑や証人喚問はそのような場面です。 場当たりのウソをついたり、文書を改ざんして行ったらそのプロセスは機能せず、民主主義は崩壊します。 今やその危機にあります。

次に公文書の記録は大切で、それをしない政権に比べ、愛媛県は普通に記録しているから証拠能力は高いという話。 愛媛県の文書が作成された3年前には加計学園疑惑で総理が追及されると誰も知りません。 ですから、愛媛県職員には、総理について嘘を書いておとしめようというインセンティブは生まれ得ません。 また、加計学園獣医学部設置については、愛媛県は望んでますから、それを推進してくれる総理は当時は愛媛県が望む人です。

愛媛県が今文書を出したのは、単に愛媛県職員の記録や記憶がウソだと政権から非難されていますから、ならば出そうという話です。 愛媛県だってここまで悪い印象がついた政権や加計学園に従って追及されたくはありませんし。

行政の仕組みがわからない人は、なんで記録やメモを役人が取るかわからない人もいるでしょう。 それは、学んでいただかないと困ります。 行政は税金で運営されています。 行政のあらゆる事務事業つまり仕事は、税金で行われています。

また行政は法律に基づき仕事をするので、行政手続きに違法性や瑕疵があれば、大問題。責任の所在を明らかにするためにも、記録して、決裁します。

ゆえに、行政がやった仕事については、メモが取られ、事務や事業のプロセスは記録され、報告書類にされ、各部門や上司からの印鑑をもらい、残されます。 これを文書主義と言います。

私のような単なる市民が団体で役所に陳情に行ったり、電話をかけたりしても、大事な内容については、簡単なメモを役人が取ったりしています。 市民団体の交渉について、議事録を作成したりもします。

文書に記録して残すというのは、日本では奈良時代から行われています。 奈良時代にも行政にはなんらかのルールがあり、天皇や貴族に報告し、裁可をもらうとか天皇や貴族の仕事を後に伝えるために、文書が作られていたのでしょう。

近代にはマックスウェーバーが官僚制を合法性の支配の類型として描きました。 「合法的支配 ごうほうてきしはい legale Herrschaft

M.ウェーバーがあげた支配の3類型のうちの1つ。依法的支配ともいう。形式的に正しい手続で定められた法規に従って命令権が行使され,またその合法性のゆえに法規を遵守することが要請される支配と服従の関係のこと。したがって,命令者も服従者もともに形式的かつ抽象的な規範によって拘束され,個人的動機や感情的影響の作用を受けることなく,相互に目的合理的な行動をとるように客観的に期待しうるような関係でなければならない。その最も典型的なのがウェーバーのいう官僚制的支配である。 」 https://kotobank.jp/word/合法的支配-63170

ですから愛媛県がしたことが当たり前で、愛媛県の記録を国会で検証すれば、すぐに疑惑の真相が確かめられるのではないか。愛媛県の記録が無謬かどうかは私はわかりませんが、何の客観的な証拠も提示せず忘れたばかりいう安倍総理や総理の秘書官たちには基本的に信頼できません。 官邸の入館記録がないとか、日報がないとかいう政府が変なのです。

愛媛県が偉いのでもありません。 愛媛県や前川前事務次官の話は官僚制の常識です。 「かばさわ洋平 @ykabasawa 何も改ざんする必要ないので…

安倍首相に鋭く突き刺さる言葉です。 埋め込み 午後9:47 · 2018年5月22日」 https://twitter.com/ykabasawa/status/998908321166835712?s=20

ゆえに、官僚制の常識から逸脱する安倍政権は、官僚と政治家が、法的民主的なチェックを逃れるために、文書を隠したり、全黒塗りにしたり、改ざんしたりしています。

最近も廃棄したはずの、森友学園の交渉記録を財務省が提出しました。 そこには安倍昭恵氏の関与をうかがわせる発言や秘書とのやりとりが記録されています。 これについても安倍総理は関与を否定していますが、野党議員は疑いを強めています。

玉木雄一郎 @tamakiyuichiro 4,000ページの資料からいくつか事実が明らかになってきた。例えば、2015年11月の谷査恵子氏による財務省理財局への問い合わせは、谷氏が独断でやったものではなく、あくまで籠池氏から昭恵夫人に対して賃料の減額要望があったことを受けて行われたもの。そして、結果として月額の負担額は半額になる。 午後4:58 · 2018年5月23日 」 https://mobile.twitter.com/tamakiyuichiro/status/999197770660462592

実は敗戦直後も占領軍に追及されないために、政府関係者は文書を焼きました。 また、天皇の戦争責任や歴代の戦前からの自民党の総理の戦争責任もはっきり追及されていません。

肝心な責任を追及しないこの社会のあり方を改めるべきではないでしょうか?

権力者は強大な力を持ち人びとに命令したり運命を左右します。

いくらいい人が支配しても、チェックがなければ権力は腐敗します。 ましてや百戦錬磨の安倍総理や麻生大臣なんです。 チェックは厳しくしないと、皆さんの老後や今の暮らしは危険にさらされますよ。

繰り返しますが情報公開、適正な手続きという民主制の根幹が脅かされています。 これを放置したら、政府の間違いをチェックできず、政治家はなんでもできてしまいます。 私たちの命や税金が脅かされるところまで行く危機だという認識を持ってほしい。

【詩作品】空を見てる空を見てる見てる

ある日 昼日中の静かな下町から 空を見た

疲れた私の目は 空を見て、なにか抜かれたように 楽になるのを感じた

空は無限だから 私の方向のあちらこちらに 散らばった苛立ちや 欲望や思いを 吸収するうつわがあるのだ

私はそれほどに 中年の身体に 始末の悪い ワガママや 生煮えな思いを蔵している

白い糸のような観念は おり重なり連なり 複雑な無限に解体されていく

そのあと単なる買い物する人に なるのだ

空のあの青とあちらの白っぽい青と どれだけの種類の青があるやら しかしこの青は瞬間瞬間に 少しずつ濃さを変えて いつの間にか夕方になるのだろう

これまで いろいろあって やっと今がある と思うが いや この瞬間が すごいんだぜとも思う

素晴らしきこの世界と この商店街は 歌う

日曜日だからか 何曜日だっけと スマホをみて 日曜日だったと 確かめる

あの人は 今日は楽しく話してくれたが と思い 呪われた私は 明日他人を悲しく させるだろうと なぜか気がふさぐ

そんな思いに負けてられるか と 青空を見ようと また急いで商店街を 歩く ゆっくり歩いたらいいじゃないか

呪われた私なぞ どっから出てきた観念なんだよ

記憶に振り回されちゃ いけない むろん 何からでも 学べるけど 私は 私を耐えず傷つけちゃいけない

いや大切にする仕方がわからない 笑いかけてあげて どうやって? あなたは誰?

空に飛行機が飛んで 暑いとか うるさいとか いろいろなことが思い浮かぶ

空は実は魔であるのだろうか

また空を見てる 空を見てる 見てる

朝韓首脳が板門店で握手。日本は、明治以降続いてきたアジア全体への傲慢なメンタリティを改めるしか道はない。

朝鮮民主主義人民共和国大韓民国は、今日、自らの力で、強いられた65年間の分断を乗り越える第一歩を踏み出した。 この瞬間を目にできてよかった。素晴らしい。 この先は、困難が待ち受けているかもしれないが、世界の多くの人びとの平和への意志が加わるならあるいは、道は開けるかもしれない。 それはまだ誰にもわからない。

しかし私たち日本人に祝す資格があるのか、私は自問する。

日本の旧帝国的な侵略メンタリティ。それは朝鮮半島差別をうみだした。 その朝韓の人々は自らの力で、和平を成し遂げつつある。 日本人が蔑んだ人々が、粘り強く力強く風雪に耐え、和平を実現しつつあるということ。 日本人の差別的メンタリティはやはり間違いであった。

歴史的に、偏見を是正するべくせまられているのは、もちろん私を含めて日本人なのだ。

率直に敬意を表するとともに、単なる反省ではなく、むしろ私たちの馬鹿げた偏見の霧を、朝韓の人々の力が吹き飛ばしたのかもしれない。

千年以上に渡り、朝鮮半島からの文明を学び、日本は国を作ったのだから、中国や朝鮮半島の文化がなければ現在日本という国は存在しなかっただろう。

民間ベースでは、中世も近世も、朝鮮半島と交流があったわけで、明治以降の日本が薄情なむなしい背伸びをしていただけなのだ。 脱亜論という名の差別。

背伸びをしても、人を叩いても、何も良くならない。 日本は明治以前も朝鮮侵略の歴史がある。その悪しき歴史が本格的な差別的侵略政策として、開花してしまったのは、明治。

日本こそが、これまでの、明治以降のやり方を改めなければならないときなのだと思う。 左右とか保革というレベルではない。

日本の、歴史的な意識のあり方の全体が問われているのだ。

私たちは、本当の対等、本当の尊重を学ぶために、学び直さねばならない。

もし日本の政府が拉致問題の解決を望むならば、つまり彼らに人道を求めるならば、私たちもまた人道を尊ぶことを丁寧に示す必要があるだろう。

これは交換条件などの話をしているのではない。 朝鮮半島をはじめ、アジアの平和に対して、日本の排外主義的な態度はすでに脅威になっている。 日本が北東アジア全体の和平を望み、これまでのやり方を変える、その参加者として真摯に向き合うという姿勢があってはじめて、アジア全体の日本に対する警戒感は解除される可能性が出てくる。 つまり拉致問題の対話プロセスが始まるのだ。 拉致問題は誰も良いことだとは思っていないが、日本の対中対朝に対する敵対的なかたくなな姿勢が解決を阻んでいる恐れが高い。

日本はそれくらい暴走している。 孤立しはじめている。 日本は、歴史の絡まった糸を自分から解いていく必要があるのだ。 これはへりくだることではなく、やっと朝韓と対等な位置に立つということだ。 それくらい日本は他のアジア諸国の取り組みに遅れ、アメリカとの関係だけを見てきてしまった。

朝鮮半島の非核化は、おそらくアメリカをはじめとした超大国に対する核廃絶要求につながる可能性もある。 そのとき、在日米軍基地を置きアメリカの核の傘にある日本が態度変更をせまられるかもしれない。 つまりアメリカの軍事力に頼らず、自前で、アジア諸国との関係を友交関係にしていくことが必要になる。 これはずっと問われていたことなのだ。

チェルノブイリ原発事故より32年。核燃料取り出しに500年以上。かえりみて日本の福島第1原発事故以降の言語秩序とモラルの破壊に思うこと

本日チェルノブイリ原発4号炉が爆発した日から32年目です。 書いてるうちに翌日になって、32年と1日目になりました。

セシウム137の半減期は一回しかすぎていません。

NHKで活躍されていた原発事故ドキュメンタリー製作者七沢潔さんのこの本は96年版、「チェルノブイリからもんじゅへ」となっている。

七沢さんは福島第1原発事故でも放射能汚染地図作成のドキュメンタリーを撮った。 スリーマイル島事故の時、私は5才、チェルノブイリ事故の時12才、もんじゅ事故の頃21才、JCO臨界事故の時、25才、そして福島第1原発事故の時37才。

生まれてから8〜9年スパンで原発の事故が起きている。

改めてがくぜん。

                 ✳︎

チェルノブイリ事故から32年 核燃料除去に「500年」:主要:福島民友新聞社 みんゆうNet http://www.minyu-net.com/newspack/KD2018042601001803.php 「 【キエフ共同】旧ソ連ウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発4号機の爆発事故から26日で32年を迎えた。原発の解体、廃炉の立案を行うチェルノブイリ原発のドミトリー・ステリマフ戦略計画部長(41)は共同通信に「原発の核燃料除去まで500年以上かける方策が現実的」との見通しを語った。

 4号機は2016年11月に耐用100年の鋼鉄製シェルターで覆われた。ステリマフ氏によると原発解体に向けた第1段階となるシェルター内の電気配線やクレーンの設置、換気システム整備が年内に完了する予定だ。

 26日には、首都キエフなどで事故犠牲者の追悼式典が行われた。」

チェルノブイリ原発事故から32年が経ちました。核燃料取り出しには500年以上とチェルノブイリ原発のステリマフ戦略計画長は話しているそうです。

かたや少なくとも3基の原子炉で爆発が起き、4号機もなぜあんなに損壊したのかという東京電力福島第1原発は、複数基の事故なのに、たった40年で廃炉できると。 さらに、福島第1原発事故で発生した放射能汚染廃棄物を処理処分する中間貯蔵施設は、30年以内に、県外に廃棄物を移動させると。

福島第1原発廃炉は現実的に本当に40年で可能か、可能ではないと、愚考する私ですが、しかし無理にでも可能にするなら、作業員がどれだけ被ばくするか、廃炉の過程でどれだけの放射性粉じんが飛散するか本当に恐ろしく感じます。 政府や東電におかれては無理は慎んでほしい。

さらに放射能汚染廃棄物の件、燃やしたり、果ては公共事業に再利用とか国は言いだしています。 30年で、県外の自治体が引き受ける保証もなく、なにしろ危険物。 受け入れ先がないならなるべく燃やしてかさを減らそう、減らない土は、土手や堤防や道路の路盤の下に埋めようと考えているのではないかと私は邪推します。 これも国はもっと丁寧に未来のリスクを考えてもらいたい。 せっかく除染したものを堤防や道路の下に埋める。 これでは、あちこちが無制限に核廃棄物処分場になってしまう。

事故の形態の違いはあれど、チェルノブイリ原発の担当者の言うことのほうがまだしも慎重に思えます。 しかし、半減期が千年万年を越えるのが核燃料の中にあるウランや超ウラン元素の厄介さです。 さらに、チェルノブイリ原発事故において、事故した原発の中には、爆発に巻き込まれた作業員が未だ埋まっています。

                    ✳︎

福島第1原発事故の1号機が爆発した時、 テレビのアナウンサーは、学者先生に「これは何が起きたのですか」と聞いた。 学者の先生が「これは爆破弁です。爆発的に原子炉の圧力を抜いたのです」と言ったのを見てしまった。 アナウンサーも一瞬沈黙していた。

これ以降、私は言語の秩序が崩壊し、言葉は現状をなんとしても取り繕うものになったと思っている。 いや、天皇原子爆弾について「広島長崎の人びとは気の毒であったが、やむをえないことであります」と言ったのも、「取り繕う」言葉だったのかもしれない。

彼や彼の仲間が引き起こした戦争を取り繕ろえるわけがない。 結果、戦後という時代は、戦争放棄という憲法を抱きながら、在日米軍自衛隊を配置する国である。 保守したい人はしたいだろう、戦後日本は、そのような言語破綻を核心に持つ。 保守も革新もこの言語破綻を認められない。 だからジョーカーともいうべき安倍総理は七色に光る支離滅裂な弁明を吐き続けて地位を失わない。

むろん、たいがいのことは、「取り繕う」ことなんぞできずに事態は悪化するしかない。 しかし、悪事をしたい政治家などには好都合だ。 常識のない世界でいくらでも言葉は切り貼りされ、繕えないものを繕おうとして大風呂敷になる。

大風呂敷の結果、汚染水および福島第1原発はアンダーコントロールとなり、セクハラも文書改ざんも騒ぐ奴が悪いとなる。

問題は私たちが筋道を立てるかどうかにかかっている。

ここでは戦略的に清濁併せ飲まないことも必要なのかもしれない。 オトナゲナイ分からず屋の、理屈にこだわる人になる。 私はこの意味で自閉症スペクトラムであることは、意味があるのかもしれない。

なぜって七沢潔の96年の本『原発事故を問う』によれば、チェルノブイリ事故の時日本の専門家は日本ではあんな事故は起きないと言ったらしい。 またしても、チェルノブイリの時にも、言語破綻はあった。 神国日本 世界一安全 すべて言語とモラルの破綻なのだ。

アスペルガー症候群の元になった医師アスペルガーがナチスの障害児安楽死計画に加担していたという記事を読んで。

アスペルガー症候群の名前の元になった小児科医ハンス・アスペルガーナチスの障害児安楽死計画に加担していたという論文が専門誌に発表された。

私自身、自閉症スペクトラムの診断を受けていて、気になるニュースだ。

1980年代に、ローナ・ウィングらがアスペルガーの論文を再評価し、自閉症は、知的障害や言語障害の少ない人々にまでその傾向があり、「スペクトラム」になっているという見解を打ち立て、現在「自閉症スペクトラム」という考え方が世界的に広がっている。

自閉症スペクトラム」という自閉症の捉え方は、なくならないだろう。 (以下2018年4月21日午前10時15分追記) 知的情緒的にどうであるかは関係なく、自閉的な傾向が普遍的にあるという考え方だからだ。 とはいえ、アスペルガーがどんなふうに子どもたちを見ていたのか、徹底した再検証は必要である。アスペルガーの知見に優生思想はどのくらい入っていたのか。 それがアスペルガーの確立した知見にどのくらい影響するか私にはわからない。 研究のさらなる進展を待ちたい。 (以上2018年4月21日午前10時15分追記終わり) ともあれアスペルガーが子どもたちを守るために、「自閉性精神病質」という概念を作ったという話は、大いに疑わねばならないのかもしれない。

自分もこのような知識しかなかったので、認識を改める必要があると感じた。 https://twitter.com/ishikawakz/status/889337636535402496?s=20

アスペルガー自閉症の子どもたちにも知的情緒的に素晴らしい部分があるとしたわけだが、この擁護の仕方が変だとは私もなんとなく感じていた。 しかしアスペルガーがそこまでナチスに関与していたとは、、 ショックである。辛い。辛いが考えねばなるまい。

知的情緒的に素晴らしかろうが、素晴らしくなかろうが、というよりどんな子どもも大切にされねばならないのである。

私は若い時に知的障害者グループホームで働いた経験があった。 彼らの存在に触れたから、知的障害を持つ人々への予断を破壊できた経験だった。 とはいえ私の中に気づかれない形で差別観念はあるだろう。人間には深く自覚しえない優劣の観念があるだろう。

泊まり介護は体力的にも精神的にもキツくて、辞めてしまった。

職場環境が辛かったり、私自身の人生の中で、仕事以外の恋愛とか生活に挫折した時期である。

そんな中で、私は少しずつ、自らの生きづらさに向き合っていくことになった。大変な仕事だったが、私は私の生きづらさに向き合うきっかけになったと思う。

まだまだ私は私の生きづらさと他人の生きづらさを同じレベルで捉えることはできていない。 だから私は私の生きづらさで、頭がいっぱいになる。 比べて自分が大変だと言いたいのかもしれない。 しかし苦労に優劣はない。 そのことをもっと深く捉えられたら。

できるできないに若い時よりはこだわらなくなった気もする。 それは生きづらさ、病気に向き合ったからかもしれない。 しかしそれは優劣を乗り越えたというよりできないことを追及するエネルギーが少なくなったからかもしれない。

障害にも人間にも本当は優劣はない。 あらゆる人間がそう思い、気づく時が来るまで、私たちは学び合わなければ、たぶん生きていけはしまい。

「H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究 2018年4月20日 15:43 発信地:ウィーン/オーストリア H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究

【4月20日 AFP】アスペルガー症候群の研究で知られるオーストリア人小児科医のハンス・アスペルガー(Hans Asperger)医師が、ナチス・ドイツ(Nazi)の安楽死プログラムに「積極的に協力」していたことが明らかになったとする研究論文が19日、発表された。

 オーストリア・ウィーン医科大学(Medical University of Vienna)の医史学者、ヘルビヒ・チェフ(Herwig Czech)氏は論文で「アスペルガーナチス政権に取り入り、忠誠を誓う代わりに職の機会を得た」としている。

 チェフ氏によると、アスペルガー医師は、強制的な不妊手術を含む民族の浄化政策を公に正当化していたとされ、その時々でナチスの子どもの安楽死プログラムに「積極的に協力していた」という。

 専門誌「Molecular Autism」に掲載された論文では、アスペルガー医師がナチスそのものには入党しなかったものの複数の関連組織に参加していたことが指摘された。

 今回の研究でチェフ氏は、現代の文献やこれまで未調査だったアスペルガー医師の私的ファイルや患者の記録を含む膨大な資料を見直した。そのうちの一つである1940年のナチスの資料には、アスペルガー医師が「人種と浄化法という問題で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の考えに一致していた」との記述があったという。

 また、同医師は各講演でナチス医療の理念に忠誠を誓い、1938年にオーストリアドイツ第三帝国(Third Reich)に「併合」されてからは、診断書に「Heil Hitler(ヒトラー万歳)」とサインしていた。

 チェフ氏によると、アスペルガー医師は2歳と5歳の少女をウィーンの精神病院内にある悪名高き「シュピーゲルグルント(Spiegelgrund)」の施設に移すよう勧めたという。そこでは「遺伝的価値」と「民族的純粋さ」に欠けるとされた800人近くの子どもたちが死亡しており、その多くは殺されていた。2人もここで命を落としているが、その原因は「肺炎」と公にはされている。

 またアスペルガー医師は別の病院の小児病棟の約200人の運命の決定する委員会にも所属していた。ここでは35人が「教育不可能」とされ、後に命を落としている。

 AFPの取材にEメールで応じたチェフ氏は、今回見つかった証拠は、同医師が「子どもたちの診断を飾リ立てることで、彼らを保護しようとしていたという認識が誤りだったこと」を示していると説明した。

■死後の承認

 アスペルガー医師の業績が認められ、その名にちなんでアスペルガー症候群との名称がつけられたのは、1980年の彼の死後だった。

 論文掲載誌の共同編集主幹で認知神経科学者であるサイモン・バロンコーエン(Simon Baron-Cohen)氏は、同論文が物議を醸すものであると認識しているとしたうえで、「われわれが掲載に値すると思ったのは、小児学および児童精神医学に長きにわたって価値ある貢献をしてきたとされる医師が、ナチスの嫌悪すべき優生学安楽死政策を積極的に支援していた罪があるという真実を暴露しているからだ」と語った。

 英国自閉症協会(National Autistic Society)自閉症センターのキャロル・ポベイ(Carol Povey)氏も、同論文は全英の70万人の自閉症患者やその家族、特にアスペルガーの人の間に大きな議論を呼ぶものだとしている。

 他方で米カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)欧州研究所の上級研究員エディス・シェファー(Edith Sheffer)氏は、用語としての「アスペルガー」の使用を止めるよう呼びかけている。

「Asperger's Children: The Origins of Autism in Nazi Vienna(アスペルガーの子どもたち:ウィーンのナチス自閉症の起源)」の著者である同氏は、「疾患や障害に人の名をつけるのは、その人の功績を認め称賛するためであって、アスペルガーはそのどちらにも値しない」と語った。(c)AFP/Simon STURDEE」 http://www.afpbb.com/articles/-/3171911