細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】生きることが生きる瞬間まで歌おう僕らは

 


早く死ぬか遅く死ぬか
誰が決めるんだよそんなこと
こんな土地じゃ生きていけない
ふざけてるからじゃない
真面目にそう思うのだ
生きていけないと考えて初めて
生きることが生きるんじゃないか
だって今も何にも意味ない
意味ないことを知るために
生まれてきたようだぜ
覚悟しな
何を?

ふてくされてんじゃない
ぶっ潰してやる
おまえは街の中で希望を歌うのか
冗談じゃない笑わすな
希望を歌う前に
希望をくださいよ
くださいってバカみたいだ
そうだバカだ
僕はバカなんですよ

バカだから全て欲しいのだ
ついつい意味とか未来とか
考えちゃうから
あんたの腑抜けた顔が嫌いになる

いろんな事情があって
そうかこの夜が嫌いなんだな
全部冷え冷えと気持ち悪い
僕の愛が足りないのか
暖かい炎なんて
ここにはないよ
昼間の青い空が消えない
もうだめらしいよ

✳︎

生きてて楽しかったか
僕は楽しいよ
ゲロ吐いたこと
嫌われたこと
トイレで唾を吐かれたこと
カバンを持たされたこと
母に泣きながら話したこと
海が見たいこと
あの人を抱いていたこと
かぎを落としたこと
死んじゃいたいこと
笑いたいこと

ぜんぶぜんぶ
プレゼントなんだもらいもんなんだ
僕はこんなに生きてきたのか
いみを感じるなんていえない
いみに入りきらないんだ
これをあんたに伝えたくて

無責任か
あんたに伝えたくて
悔しいの
伝えたくて
甘えててすいません
謝るなら伝えないほうがいい
悲しいよ
うれしいのよ

✳︎

星をもらいました
青い空をもらいました
流れる川の石をもらいました
灯台から漏れる明かりを
もらいました
山をもらいました
すべて失くしました
失くしました
だけど
失くすほど知らなかったかも
だから
僕はひどい奴だったかも

こんな毎日で
うれしいっていっていいの
いいの

ねえいいの
あなたの悲しみにこたえようとして
何にも書けないよ
だってあなたの悲しみと僕の悲しみが
同じか確かめられないし
確かめる時間もないからさ

でもいいのかな
こんな毎日でうれしいっていっていいの
罪深いね
もう罪を裁く人もいないよ
僕らは
もう僕らしかいないんだって

滅ぼしてきたから
何もかもが
だから
人間はもう終わりなんだろうか
終わりか始まりかなんて
良くわからないまま
僕らは抱き合ったり
殴り合ったり
ベソかいたり
無視しあったり

僕らはほんとバカ
バカだもの
バカにしか
希望はないかもよ

【詩作品】すきま風を抱きしめて

 

心にすきま風。‬
‪昔から切なかった。‬
‪いや、さぶかった。‬
‪さぶいなら体動かせばと言われた。‬
‪目的もなく学び働いても目的がわからないので、作業の意味がわからず冷え冷えする。‬
‪つかんでいた縄を見失い‬
‪私は漂い出す。‬
‪あなたとつながっていた何かも消える。‬
‪初めから何もなかったみたいに。‬

私のように強いすきま風にさらされないものは他に悩みはあってもすきま風にたおされることはない。
いくらかすきま風があっても、誰かと暖め合えば耐えられるかもしれない。
しかしあまりに強いすきま風は、私をフラつかせる。抱き寄せた誰かを倒してしまう。

私には強い風圧がかかっていた。

私はすきま風がどこから吹いているか知らなかった。
しかしそれは私の中から吹き荒れて私を蒼ざめ、立つことを辛くさせているのだ。
私はすきま風を吹いている場所を少しずつ塞ぐしかない。
ひ弱な愛する力と、愛されていることに気づきにくい心で
私の穴をわずかずつ塞ぐしかないんだ。

寂しさについて、いま私は物語ってみた。
寂しさと戦ってはいけなかった。
寂しさに慣れてはいけなかった。
魂は暖かさを求めているから。
答えがない世界で
私たちは寂しさに襲われる。
その時、私たちは生きているということを
抱きしめねばならない。

生きていることを抱きしめるのは私しかいないのだ。
私が抱きしめる力を
強くすれば
必ずその力に気付くものが
あらわれるだろう。
その日を信じて。

 

【詩作品】寂しさに耐えられない・君を信じる

誰もが僕と同じ寂しさを感じているのだと

思っていた

寂しさに耐えられないのは僕だけだと

思っていた

そうではなく、僕のような寂しさは

どうもほかの人は感じていないか

意識していないようなのだった

 

僕は寂しさにとらわれているのだった

泣いているのだった

ありえない優しさを探し

ありえないと泣く

それは与えられませんと断られ

泣く

 

泣くことも疲れて

蒼白に歩く

泣くことも忘れて

ぼんやり歩く

 

ずっとそうだったから

君に正直に言えばよかった

 

君に言えなかった

いうと苦しめてしまうと

耐えていればいいと

耐えれるわけはないのだ

だから

生きている間は

聞いてくれる限り

君に言えばいいのだ

 

もはや持って回った言葉はいらない

高尚な何かは要らない

いきていくのだから

 

君に正直に言えばいいのだ

 

君を信じて

全体主義は、自分で考えるとか自立して強くなるでは避けることができない。自分の弱さを認め、弱さから目を背けないように、し続ける取り組みの中にしか全体主義を避ける道はない

わかりますか。山ほどのインテリ、知識人ですら、ナチス天皇に入れあげてしまった。
頭を使うだけで、みんなが利口になるだけで解決する話ではない。

自分の弱さを無視したら、強くならねばとなり、結果体制に順応する。
弱さを見つめて、それを新たに認識し続けないと全体主義者に陥る。

全体主義は、人間の無意識の弱さにつけ込んで、支配に参加すればお前は守られるとささやく。
したがって自分で考えて、自立すれば大丈夫という問題ではない。

むしろ自分には弱さがある。弱さを見つめ続け自己認識を問い直しつづけるという決意がないと、すぐに全体主義の罠がやってくる。

したがって、呼びかけは強くなれ、賢くなれではなく、弱さを見つめて真実のあなたであれと

もともと右翼であるような邪悪な人格があるわけではなく、あなたと変わらないフツーの人が弱さを避けたら右翼や保守になるのです。
左派やリベラルであれば、避けうるほど容易くない。

安倍政権を倒しても、全体主義の危機は続く。
つまり打倒すべきは全体主義だが、それは労働に巣食う自己犠牲、家庭や地域を覆う男権主義、教育現場にあるイジメや自己破壊など、つまりは私たちの日常とそれから形作られる意識との対決に他ならない。

放射能汚染防止法を制定しよう勉強会in 岡山に参加してきました。

放射能汚染防止法を制定しよう勉強会in 岡山に参加してきました。6月25日昼2時から岡山コンベンションセンターにて。

非常に勉強になりましたし、パネリスト、参加者のみなさまとも交流でき、うれしかったです。
街宣疲れ、悪天候で頭痛がありましたが、頭痛薬などで、しのぎ無事帰宅しました。

放射能汚染防止のための法体系をどう整備するか、という法律的な各論、技術論については、素人の私には、判断に限界がありますから、法律家にさらに詰めていただければありがたいです。

しかし、現在の原子力災害対策法下の20ミリシーベルトまで安全政策、現在の放射能汚染対処特措法下での一般廃棄物となんら変わらない放射能汚染廃棄物の処理、事故の未然防止の観点もなければ、事故後の電力会社や国の責任も曖昧、さらには原子力防災に至っては避難計画すら成立していない原子力各政策体系、これらがまさに福島放射能汚染を人災にまで高めているのは議論の余地がありません。
さらに、避難の権利、低線量被ばくの防護、国や電力の責任、民主的な原子力被害者政策決定をうたう原発事故被災者支援法は、国の矮小化により実現を阻まれています。

その中で、事故を起こした事業者を罰し、国と自治体に、放射能からの避難、住民防護を最優先にする政策が待たれているのはいうまでもないでしょう。
山本弁護士の放射能汚染防止法の提唱、私は以前から注目していました。
「 「公害防止法の柱は二つです。 ①汚染するな。 ②汚染した者は罰する。この二つです。公害防止法はこの2本柱からなっています。汚染防止と責任という概念を覚えておきましょう。原子力関連の法律にはこの二本の柱が抜け落ちているのです。」この文章を読んだとき私の中で、自分の予感は間違っていなかったのだと思いました。
 頭の中がピーンとなりました。」
http://ishikawakz.hatenablog.com/entry/20130207/1360251484

環境基本法放射能汚染を厳しく規制、検査、管理させるよう書き込ませたり、原子力賠償や原子力災害の法体系をなおしたりするのか、非常に包括的な汚染防止法体系を作るか、道はまだわかりませんが、ともかく、原発事故の放射能から人間や環境の命を守る施策を私たちは持ち得ていません。
原発産業が斜陽で儲からないことを糊塗し、核開発をできなくならないようにするために、原発産業や政府に甘い政策ばかりです。

 

鍵はやはり住民や自治体からだと思います。


原発事故から福島被害者は守られていない、また再稼動に当たっても、事故を予防し、万一の事故時に、事業者や国に率先して被ばくから守る手立てが全く講じられていないことをあらためて、世論の焦点にしなければ。

なし崩しに再稼働が続くのではなく、過酷事故想定時にどれくらい被ばくするか、汚染されるか、一番厳しい想定をして、法や政策、条例や事業者と自治体住民との開かれた議論をすべきです。なぜなら議論すらされておらず、原発立地自治体以外はろくな原子力防災体制すらないからです。

日本最悪の事故は福島第1原発事故ですから、それを基準に被害想定した場合、どの原発自治体住民も動かしてはいけないのではないか、早く汚染廃棄物を厳密に管理しなくてはと思うはずです。

推進派の方も、そんなに動かしたいというならあらゆるリスクを直視する必要がある。

なんでもない、放射能は怖くないと原子力PAを信じても事故時には大惨事になります。

 

山本行雄さん、大沼淳一さん、満田夏花さん、守田敏也さん、佐藤典子さん、杉原宏喜さん、各パネリストの発言に触発され、感想を書いてみました。

会場でお会いし、ご挨拶した皆様、主催の皆様に心より感謝申し上げます。

 

 

【断章】共謀罪が示す社会の根底からの変化について憂える

共謀罪がわずかひと月ほどで施行と聞いて、彼ら支配層のオペレーションにとってどうしても必要な法律だと明確にわかった。
私はここ数年、もう時間がないと感じ、体力をつけたり、自分の障害について取り組んできた。
私たちが古い常識に縛られている限り、翼賛せざるを得なくなる日は多分すぐ来る。

 

私は家族や障害や労働や社会について、冷笑せずに、しかし落ち着いて自分事として、見てくださいと話し、自らブログやツイートをしてきた。
私も不徹底だからいつ妥協して悪しき流れに乗らないとも保証できない。
心の中で、前代未聞の世界に毎日嘆き苦しみながら、諦めずに生きたいと思ってきた。

 

私は、若い時死ばかり考えて、でも怖くて死ねなかった。

それから生きづらさをとにかく考え、癒したいと思ってきた。
人の思いやあたたかさに触れ、自分のバカさ加減に泣き、しかしなおも、自分の考えを話さないといてもたってもいられない。
私を愛し、教えてくれた人がいるからだ。

 

若い時に、花田清輝林達夫坂口安吾などに親しみ、戦時下で、なおも思考し、感じることを手放さないように生きようとした人を読んで20年くらい前であった。
あの時ですら彼らの洞察は実感された。
しかし今や実感では済まないのである。

 

林達夫『歴史の暮方』より

「時代に取り残された人間とは、私のごときものを言うのであろう。だが、それを寂しくも心残りにも思っていない。目前に見るこんな「閉ざされた社会」なんかにもはやこだわっている気持はいっこうにないからである。

時代が大きく膨れ上ったときに垣間見せるbêtiseないしsotiseの救い難き底知れなさに衝撃した人間のこころ暗さ! それに抵抗したりそれを弾劾したりする気力も挫けてしまう。私はますます自分が犬儒的になり、つむじが曲ってゆくのをどうすることもできない。

同じく心を動かされていても、人々と私とでは精神的風土がまるで違うのだ。人なかにいると、私はふと自分が間諜のような気がして来て、居たたまれなくなって席を立ちたくなることがある。何の共感もない。まったく人とは別のことを感じ、また考えているのだから。

こうして私は時代に対して完全に真正面からの関心を喪失してしまった。私には、時代に対する発言の大部分が、正直なところ、空語、空語、空語! としてしか感受できないのである。私はたいがいの言葉が、それが美しく立派であればあるほど、信じられなくなっている。あまりに見え透いているのだ。

私はそんなものこそ有害無益な「造言蜚語」だと、心の底では確信している。救いは絶対にそんな美辞麗句からは来ないと断言してよい。

選良も信じなければ、多数者も信じない。みんなどうかしているのだ。(あるいはこちらがどうかしているのかも知れない。)こんな頼りにならぬ人間ばかりだとは思っていなかった。私のほうが正しいとか節操があるとかいうのでは断じてない。

ありのままの人間とは、だいたいそんなものかも知れないと思わぬでもない。それを愛することがどうしてもできないのだ。それと一緒になることがどうしてもできないのだ。偏狭なこの心持がますます険しくなってゆくのを、ただ手を拱いて眺めているばかりである。

私思うに、現代のような逆説的時代には、真の誠実は絶対に誠実らしさの風貌はとりえない。現代のモラリストは、事の勢い上、不可避的にイモラリストとなる。」

「生きる目標を見失うということ、見失わされるということ――これは少なくとも感じやすい人間にとってはたいへんな問題である。われわれは何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか――そんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、しばらくは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。

「よろしくやってゆける」人間は仕合せなるかなだ。だが、そんな人間のあまりにも多すぎるというそのことが、私にとってはまた何とも言えぬ苦汁を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。」

 

                          *

 

私たちは「共謀罪」という法律の後ろにある「仲間はずれにする」仕組みと戦わねばなりません。
私たちはイジメという形で、その心理を恐怖を快楽を私たちは根強く刷り込まれ、強い側につかないとと他人を踏みしめるから。

 

共謀罪内心の自由を取り締まると。なるほど。しかしイメージが湧かない。
人間は、友達や恋人や家族や仕事仲間と話しをして仲良くなり、考えや気持ちを深め、協力し、何かを計画したり、楽しんだりします。
テロリストとそうでない人を分ける基準ないから監視して捕まえるかを警察が決めるんです。

 

共謀罪は、人間の基本的なつながり、連帯を根絶してしまう法律ではないでしょうか。
政府や企業は、自由に組織しつながられたら困るからそうした法律を求めたのでしょう。
放射能が人と人、細胞と細胞を引き裂くなら、共謀罪は人と人のつながりを断ち、政府が望む関係性しか許さなくなるのでは?

 

共謀罪が目指すのは、私たちの自由なつながりをジェノサイドして、望ましい組織、望ましい家庭、望ましい交際に押し込み、人びとをある方向に導くものかもしれない。
無数の森友や無数のレイプする人間を生み出し、それ以外を敵視させるのでしょう。

 

 

 

                                 *

 

大庭みな子「いずれにしても制度に反逆する人間は自分を認識し直した人間であり、連鎖的に同類の人間をつくり出す。-『男と女の生きる場所』」

https://twitter.com/threecrabs/status/875694285584080896

 

僕の言いたいことはこれに尽きます。
原発事故以降これは待った無しになり、共謀罪以降は、「自分を認識し直した人間」と「自分を認識し直したくない人間」との戦いになり、後者が恐怖から前者を排除する時に共謀罪が活用される恐れがあると思うのです。

 

なぜ「自分を認識し直」す理由があるかというとそうしないと生きている意味がないからそうするのであり、自ら生きる意味をつかもうと一度全てを疑い、自分を確かめるのです。
しかし、弱さから、あるいは生活から、優位性を手放したくないなどから「自分を認識し直し」たくない人もいます。

 

あなたが左派にいようが、リベラルだろうが、右翼だろうが、保守だろうが、「自分を認識し直し」たくないなら、もはやジ・エンドだと思うのです。
安倍晋三が漢字をかけないとかバカにするのは知的障害者不法滞在者や野宿者を差別しているからです。
この国の差別をなぞったら安倍は倒れません。

 

この国には、地位による差別、友達がいないものへの差別、結婚しないものへの差別、就職しないものへの差別、字を書いたり読んだりできないものへの差別、精神機能に不調があるものへの差別などが莫大に存在します。
これらの人びとを憐れんだり支援したりだけでも差別から逃れられない。

それどころか、差別されている者を支援する自分は、「多数派よりマシな自分」というものも、立派な差別です。多数派なんて本当はありませんし、マイノリティの仲間であるだけで上から目線になられても困ります。
「貴重な経験をさせていただいた」式の考えも微妙だと思います。本当はどう思ってるのかわからない。

 

私は知的障害者の支援者になれ、理解できていることがあたかも優位であるかのように錯覚することがありました。
しかし本来知的障害者が参加できない社会があるから、私が理解する人間として位置づけれるわけで、それは全然ベストではないのです。

 

このような話は共謀罪と強く関係しています。

共謀罪はもはや、単に狭義の賛成反対の問題だけでなく、むしろあなたがどの位置から話しているか、どのようなレッテルで思考しているかによって、取り込まれる度合いが変わるということが言いたいわけです。

また、法律なので、本人がどう心がけても、体制から強制力が働いて、人々を分断し排除する道具になるのです。

社会が根本的な差別的な価値観を軸に人々を互いに疎隔し、無理解に、孤立させていることが、人々を無力化し支配者の支配をたやすくしていることを私たちは一番考えねばなりません。

原子力発電や放射能汚染、共謀罪はそれがラディカルにあらわれると考えています。

いじめる側に立って、黙っていれば当面は楽ですが、体制全体が凶暴化し、みなさんが人殺しに加担させられる度合いは大きくなり、あるいは自分も命を捧げよと言われるかもしれません。

増えていく原子力発電の廃棄物、先細る社会保障、オリンピックによる社会的排除ナショナリズム

どこかの段階で、生き血を誰しもが捧げさせられるのでしょう。

命を捧げることは日本国憲法は是とはしません。

ゆえに憲法を改正してしまいたいわけです。

 

 

話を戻します。

 

差別を前提として自らを理解者、同伴者、必要な人間と位置づけるなら、自分が差別に加担してると思わなければ、その役割に嘘ができてしまう。そんな人が福祉にはたくさんいて、福祉の変革を遠ざけています。残念ながら、左派やリベラルにそんな人がたくさんいます。

 

私は自分が差別を担ってしか業務を遂行するしかないと気づいた時は、私が虐待サバイバーの恋人を理解できていない時と同時でしたから、私は矛盾だらけの仕事をする胆力もなく、また自分は本当には人の痛みをわかってないとも思いまして、精神的に破綻しやり直しをしなければならなくなりました。

 

私もまた弱く、寂しく、生きづらいだけの人間として、生きている意味を考えよう、詩を書いて、弱音を吐いて生きようと思いました。
それから13年は経ちます。
私が「自分を認識し直」す旅の途中にいて、感じたことをみなさんに伝え、新たに学ぶのが私の政治であり表現であり学びです。

 

自分の恋愛が破綻したこと、自分が仕事を受け付けない身体だと気づいてしまったこと、重い精神疾患を患うほどの偏りやつらさがあること、その結果、自分の心とカラダ、ぞくする社会を新たに「認識し直す」ように強いられたのです。
しかし認識し直し始めてから私は幸せになったと思っています。

 

 

このように差別を拒否するには心身ぐるみでの変化をともない、認識を根底から変える必要があるでしょう。

私はこのことを、私の友達や仲間に特に呼びかけたいのです。
みなさん、本当に聴いてますか。

今日お会いした若い友達には少しこのことが話せました。

 

私がこれを完全にできたわけでなく、答えもないのだからこれは終わりなき過程です。

あなたの不幸もまた自分を認識し直さないことから来るのかもしれませんよ。
エスブッダも自分を認識し直そうとした人だと私は思いますよ。

自分を認識し直す過程において、自分のあり方、社会との距離、関係を問い直すわけです。

自分の前提を問うと、認識も行為も当たり前には始まらず、必ず異質なものとの出会いによって、自分が新しくなることを伴います。

人は、変わらない部分を含みながらも、その変わらないということさえも、他者との出会いや、自分の想定しないものとの葛藤なしには認識できないのです。

 

その意味で共謀罪原発事故は人々の認識や開放性を試す事態です。

 

                           *

 

私は警察も嫌いだし、怖いし、演説してて、怒鳴られたりするのも嫌だ。もともといじめられっ子だし。
でもそんな恐怖感よりさらに、社会の自由が壊されるのが嫌だからしんどくても街頭に立っている。
しかし本当はもっと若くて体力のある人も参加してほしい。

 

いじめる側に立てば、なんとかなると考える人が多すぎるが、どうせ権力からいつか見捨てられ、人殺しに加担させられる。

でなくても、労働、消費、性は、自分を殺すか、他人を殺すかをジワジワ選ばされている現状。
世界一生きにくい資本主義国日本なのだ。

 

 

 

 

 

福島地元紙「除染土壌の安全な再利用は管理が必要な土壌の減量につながる。しかし、住民が受け入れるには、何より「安全」について納得できることが重要」と報じる。しかし除染土壌が安全とはとても思えない。

以下リンク先引用。非常に危うい論旨に感じました。

福島民報は除染土壌再生利用の国策を批判しないのでしょうか。

 

【除染土再利用試験】納得できる環境整備を(6月10日)

http://minpo.newsmart.jp/sp/news_etc/2017/06/post-62869.php

「 環境省は昨年4月、「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略」を策定した。その後、再生資材化した除去土壌の安全な利用に係る基本的考え方をとりまとめた。県内の除染土壌などを再生資材化し、関係者の理解・信頼を得ながら、安全な利用を段階的に進めるという考え方だ。
 背景に中間貯蔵施設に搬入される汚染土壌と廃棄物の総量が最大で約2200万立方メートルに上るとする推計がある。東京ドーム約18個分の量だ。そのまま全量処分することは県外に最終処分場を確保する観点からも難しい。中間貯蔵施設で管理する除染土壌の容量を少しでも減らす必要が指摘されていた。
 現在行われている試験は、仮置き場の大型土のう袋約1000袋を開封し、大きな異物を取り除く。ふるいでさらに異物を除去した後、放射性濃度が3000ベクレル以下のものを分別する。品質調整し資材化した土壌を基盤とし、その上は放射線を遮るために一般の土砂で覆う。7月までに高さ約5メートルの盛り土を完成させる。一定期間、周辺の放射線量を測り、風雨の影響なども調べる。
 実証試験などを経て除去土壌を再生資材として活用できるようになれば、長期間にわたって基本的にそのままの状態が保たれる盛り土などの構造基盤に限定して使用する方針だ。具体的には土砂やアスファルトをかぶせる鉄道や道路、コンクリートで固める防潮堤防、植栽で覆う海岸防災林などを想定している。
 ただ、土やコンクリートで覆うとしても、万が一、大災害に見舞われて崩壊した場合の安全性などを不安視する向きはあるだろう。「安心」を疑問視する住民の反発も予想される。一方で、避難指示が解除されても、土のう袋が田畑などに山積みされたままでは復興・再生への妨げになっているとの声は多い。
 除染土壌の安全な再利用は管理が必要な土壌の減量につながる。しかし、住民が受け入れるには、何より「安全」について納得できることが重要だろう。着実に実証試験を行うとともに、成果を共有する環境整備にも力を入れるべきだ。(関根英樹)」

 

確かに帰還困難区域、避難指示解除区域など、だけでなく、汚染重点調査地域を含め、関東東北にはおびただしい除染土壌が数年で劣化しうるフレコンに入れられ、山積みです。

それを粘土を混ぜて遠心分離したり、薬剤をかけたり、焼いてみたりして、放射性物質を分離するというのですが、100パーセント除去できそうに思えませんし、除去してもフィルターや処理残渣や廃水に残るわけで、またその処理が難題です。

そのような技術的疑問について、なぜ記事に書かないかよくわかりません。

山積みの廃棄物を何とかしてあげたいという親切心だと好意的に解釈しても、仮にフレコンをよそに移しても本当に帰還したりできるか、何の心配もなく汚染された地域に住めないのではないかという疑問があります。

福島県の新聞だから書きにくいのはわかりますが、県民が放射性物質にさらされている現実をマスコミは伝えて欲しいと思います。

さらに除染土壌を他の自治体が受け入れる前提になっていますが、汚染を引き起こした東京電力が引き受けるべきと思います。

なぜそう書かれないのかも疑問です。

汚染物質はまず汚染者が責任を負うべきです。

そのような原則が放射能汚染下の日本ではなし崩しです。

除染土壌の再利用は減容よりも汚染者の責任を隠し、目に見える汚染の現実を隠すだけではないかと思います。

そのために放射能安全神話が作られては、それは原発安全神話と何が違うのか私にはわかりません。マスコミはしっかり向き合い、事故が2度と起きず、人々を被ばくから守るべく、政府に汚染拡散ではなく、防護政策に転換するよう求めるべきです。

 

さらに8000ベクレル以下の放射能汚染廃棄物についても、稲わらなど、農家に保管されています。

8000ベクレル以下のものを指定を解除し、一般ゴミとして処理する方針を国は出しており、宮城県は全県的に焼却処理の話が出ており、焼却処理に反対する自治体も、堆肥にしたり、田畑に漉き込むと言っています。

何のために除染したのかわかりません。

 

 

また、関東東北には学校などの敷地内にひっそり残っている汚染廃棄物や、汚染が取り除かれず注意喚起もない場所もまだまだあるでしょう。

これでなぜブロックされコントロールされたと豪語して政府はオリンピックまでやるのか。

オリンピックをして、世界にも放射能安全神話を広めようとしているのでしょうか。

しかし、ロクに汚染影響の調査が行われてません。

 

さらにこんな記事もあります。

放射能汚染廃棄物の中間貯蔵事業会社には大量の官僚OBが天下りしているようです。

 

東京新聞:汚染土「中間貯蔵会社」が官僚19人受け入れ 「16年終了」を延命:政治(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017042402000128.html
‪「元経済産業省官僚の古賀茂明氏は取材に「環境省職員だからといってPCB処理や中間貯蔵のプロというわけではない。OBや出向者を二十人近くも在籍させる必要があるのか疑問だ」‬

 

東日本大震災:福島第1原発事故 中間貯蔵事業社長、政府が再任を了承 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170607/ddm/013/040/038000c

 

さらに環境省は10万ベクレル以上の廃棄物を焼却処理する施設を作ろうとしています。

 

環境省/中間貯蔵・減容化施設の性能要件案/処理容量は日量200トン
日刊建設工業新聞社- 2017/05/25

http://www.decn.co.jp/?p=91622

環境省は25日、福島第1原発事故で福島県内に飛散した放射性物質の除染廃棄物を最終処分するまで保管する中間貯蔵施設(福島県双葉町大熊町両工区)の建設計画で、年内に双葉町工区で着工する可燃性除染廃棄物の「減容化施設」の性能要件案をまとめた。焼却過程で出る灰やばいじんの処理も含めた施設の処理容量は1日当たり200トン程度を想定していることを明らかにした。」

 

清水建設/中間貯蔵施設向け除去土壌改質材開発
日刊建設工業新聞社 (会員登録) - 2017/05/30

http://www.decn.co.jp/?p=91745

 

放射能汚染土壌なので、改質と言っても、放射能は消えない。

 

環境省や業界ぐるみで、原理的には消えない放射能を消せるかのように、大金をかけようとしているのではないでしょうか、私は心配です。

放射能を無視し、見えないようにして本当に復興と云えるのでしょうか。