細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】僕のカタチを確かめている

マジメ過ぎる顔をしてたよ

この気持ちがマジメすぎて

チカラが抜けないんだよ

チカラが抜けないまま

笑ったりふざけたりして

カラダが複雑に折れ曲り続けたんだ

 

チカラが抜けないから

抱きしめてほしいんだよ

バラバラな気持ちで不安だから

無理にまとめただけ

抱きしめられてはじめて

形がわかるんだよ

 

と本当かなと思いながら言う

人は生まれてすぐ抱きしめられると

思う

 

テンプルグランディン

という人は動物研究者で自閉症です

彼女は若い時自分が落ち着かずに苦労した

で、畜産に必要な器具を作っていて

それにカラダを入れて挟んだら

気持ちよくて

適度な強さでカラダを締め付ける器具を

作ったんだって

 

抱きしめたり抱きしめられたりって

いやらしいことのように

教えられてきたけど

もちろん人にいきなり抱きついたり

しちゃいけないけど

抱くという行為は

私たちがカラダの形を確かめ合う行為なんだ

 

でも私は1人だ

互いの境を越えるのは簡単ではない

1人とはなんだと思い詰めるたび

激しい嵐が始まる

 

カラダは

中から自分をつなぎとめ

外に向かって高鳴っている

血管や皮膚は柔らかいカーブで

私たちの内側を閉じる

 

音や光がうるさい時

私の体は、外の世界の波に逆らえない

体内の波動が

知らない人のおしゃべりや

食器やスピーカーの音に反応して

私は環境に散らばってしまう

そんな時

サングラスをかけ目を閉じ耳栓して

必死に耐える

 

こんなカラダでいいのかしら

私を私の形にとどめられない

環境に私の愛と血が漏れ出している

波打ち際でこの世界に

溶け出す

アタマがギシギシ痛んで

世界との混信が止まらない

 

キミハツカレテイルンダ

オチツイテイキヲスルンダ

 

太陽礼拝

シャダーサナ

深く呼吸を繰り返すと

息の流れが私そのものになる

 

大丈夫大丈夫

私の形

目の前に懐かしい人がいる

帰ってきたよ

手を握ってよ

また会おうよ

また会ってよ

私を確かめるために

また会おうよ

あなたたちが

生きていて良かったって

今日命を確かめた

 

ありがとう

ありがとう

スーッと息を吐く

また1人になる

いつまで耐えられる

また1人になる

あふれてのみこまれないように

頑張るよ

 

生きていて良かったよ

また会おうね

 

 

【詩作品】死んでもいいと言いたくなるほど生きたい気持ち

私の考えはすべて間違いです

私がここにいるの正しくも間違えでも

ないです

いるんですそれを

あなたにどない伝えたらよろしいか

それとあなたがどこにいるのかわからん

のです

光の速度で捕まえてよ

あんまりさみしいです

さみしいって当たり前

当たり前を泣くんです

犬が鳴くようにではなく

草笛が鳴くように

映画を見て駅に立ち

下界を眺めると

夥しい血です

たぶん血を流しながら

人は人に会います

好きということなんて

不確かな血管の動きや

神経のパルスにすぎないよ

なぜ

なぜと玉置浩二が歌う

なぜ僕は

こんなに落ちつかない

社会とか世界とか

どうでもいい

柔らかい部分が触れてきたら

死んでもいい

死んでもいいと言いたくなるほど

生きていたい

 

雪が降る

その雪に乗った神様の

肩から優しい匂いがする

雲が笑いながら

僕を叩く

激しく叩かれながら

死んでもいいと

死んでもいいと言いたくなるほど

生きていたい

 

 

【詩作品】にせもの天気予報で龍が青い血を浴びて空に

春の空に龍が眠る

居心地が良く粉まみれに気だるい

駅の改札口で転ぶ

 

かすむ雲に釘を打ち付け

涙から涙憎しみから軽蔑へ

龍が泳ぐ鳥がさえずる

ソーシャルネットワークサービシィズ

総理がパントマイムで

手旗信号

わしただのどうけし

じんるいただのひまつぶし

だれかのせいこういへのがんぼう

虚無への供物

 

シンドラーのリスト

あなたを助けたい

助からない

くじ引きを引け

悪人カンダタ

蜘蛛の糸を垂らし

あなたを助けたい

 

神様がもう住まない大空に

あなたは青い衣を着て

立ちあがる

その時伝説は与太話となり

汚染を含んだ菌糸や胞子が

大空から降り注ぐ

龍が泳ぎながら

大地いっぱいに生えたキノコに

青い血潮をぶちまけ

飛行石を抱えたカンダタ

赤い糸を垂らし

青い衣をつりあげる

 

龍が歓喜の踊りで

中華街を跳ねまわり

私はしきりにスマホで撮影しながら

姫がくるくる回るのをみている

 

福島原発から降り注いだ放射能

今も新しい

夥しい水が

茶番のお茶を立てる

何もかもが

冗談と崩壊を示し

私たちは

燃え尽きていくでしょう

 

次は明日の天気です

診察で悩んで、ワーカーさんや親に話したこと

主治医の診察で悩んでいたので、ワーカーさんに相談し帰宅してからは親にいろいろ話す。
父が珍しく的確なコメント「兄ちゃんは7割は普通の人と同じように見える。でも残り3割がとても細かく悩んでる。7割だけを見たら普通の人と変わらないが3割で苦労してることが世間の人にはわかりにくい」

母は「私は昔は自分がしんどいのはなぜかわからなかった。親との関係を見つめ直し他人とはちがう自分のしんどさを抱えてると気づいたのが50代。だから兄ちゃんは早くしんどさに気づいた方。先生にはどんどん言ってわかってもらうようにしたほうがよい。ただし複雑な悩みはなかなかわかってもらえず時間がかかるよ」

私たち親子は40年間かかってここまでは来れた。
ものすごくケンカしたり、さみしくて仕方ない時もあったし、子供の頃は母は精神的に辛そうで、私は母を苦しめないようあまりグチを言わないようにしていた。
だから私は甘えるのがうまくなれない。

甘えたい気持ちはたくさんある。
甘えたいというか、理解してほしい、抱きとめてほしい、その時よかったと思える安心感がほしい。

しかし母の苦しみを見つめてきたおかげか、ある意味繊細な人間になれたのかもしれない。

母は片耳が難聴で、不安や恐怖とともに自律神経系の症状に苦しめられている。

父は体育会系のバリバリ働くサラリーマンだった。今も私より体力がある。
だから弱音を吐く私を理解できず、私は父に反抗してきた。
しかし最近思うのは器用ではないにしても、父は子どもが好きな人だということだ。

ワーカーさんは、イシカワさんは、自分の障害を個性として楽しむ姿勢も必要だという。
確かに私は感覚過敏で、傷つきやすい。しかしそれは、芸術的な感性ともなる。
理屈っぽいからこそ文章を書いたりできる。
イシカワさんは短い言葉で的確に要約し時にユーモラスに辛辣にコメントできるとワーカーさんは言う。
この辛辣かつユーモラスなコメント力は私の友達はよく褒めてくれる。

私の中には強い寂しさがある。
ワーカーさんは、イシカワが小さい頃、安心できなかった何かがあったと言っていた。
思い出すならば、小さい頃は思い出せないが、小さい頃からコミュニケーションでの安心感が弱かったような記憶がある。
私は他人から平気に見られるが、実は内的にはグラグラで安心感が少ない。
それは自閉症スペクトラムも安心感の形成の弱さがあったかもしれない。

だから私は強く安心したい、愛されたい、そのことを通して愛する人間になりたいと思っている。
ワーカーさんにはイシカワにはパートナーがほしい、家族がほしいという願望があると言っていた。
うまくまとまらないが今日はこれまで。

大阪府市の瓦礫広域処理差し止め裁判の、大阪高裁での控訴棄却について思うこと

 

あらかじめ断わっておきたいのは、私は原告ではなく、原告を支援する会の人間です。

これから書くことは様々な方がこの裁判を知り、理解し考えるための、参考にしていただいてかまいません。

しかし事務局や原告団の方針ではなく、支援する会の石川の個人的な見解です。

 

 

2017年3月9日午前11時から地裁202号法廷で開かれた大阪高裁の控訴審は私が聴き取り理解した限りでは、原告側の敗訴でした。

市民の放射線被ばくへの不安や実害を否定した判決となりました。

詳しくは原告団のブログの判決をご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/stopgareki/e/d7c7132f0faba49091294b1eac0ae8cf

バグフィルターのばいじん捕集性能についても99.9%ではないとする岩見論文は、大阪の舞洲清掃工場の焼却炉と違う場所の焼却炉についてのデータだから今回の件に当てはめられないというのです。ならば99.9パーセントにお墨付きを与えた高岡論文も大阪の舞洲清掃工場とは違う焼却炉のデータですが、、、

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次に埋め立て地の空間線量が長期にわたり、平均的に上昇したとする原告側の統計的分析に関してもいろいろな自然環境の変動の範囲内だというのですが、統計的分析をする際に、誤差を生じせしめる交絡要因を差し引いているのではないかと思うのですが、これは原告側の統計的分析を私が判定する力がないからわからないのです。

ただ、やはり何となく判決には論証の緻密さがなく違和感がありました。

 

しかし一番私が気になりましたのは、1ミリシーベルト以下の被ばくはそんなに問題はないというがごときの判決でした。

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確かにICRP基準では低線量になるほど、あるいは内部被ばくであるほど、平均化され除されて、小さな被ばくになります。

しかしICRPやBEIRでさえ、被害は0ミリシーベルト以上はあると考える「直線しきい値なし仮説」(LNT仮説)を取ります。

 

ICRPサイトの記述を見ます。

〝The report concludes that while existence of a low-dose threshold does not seem to be unlikely for radiation-related cancers of certain tissues, the evidence does not favour the existence of a universal threshold. The LNT hypothesis, combined with an uncertain DDREF for extrapolation from high doses, remains a prudent basis for radiation protection at low doses and low dose rates.〟

http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP Publication 99

 

ほぼ直訳体にします。

「報告書によると、低線量閾値の存在は、特定の組織の放射線関連癌ではそうではないようであるが、証拠は普遍的な閾値の存在を支持しない。高線量からの外挿のための不確実なDDREFと組み合わされたLNT仮説は、低線量および低線量率での放射線防護のための慎重な基礎のままである。」

 

やはりどう読んでもしきい値はありません。

むろんICRPは社会経済的に合理的な防護基準つまり原子力エネルギーを維持するために、国家や経済の要請からある程度の被ばくを人々に受け入れてもらう基準を取ります。

しかし科学的生物学的にはどんな小さな放射線も細胞や遺伝子を損傷変異させます。

小さな放射線レベルでも、変異を生じせしめるわけです。

放射線感受性が高い細胞にとって致死的なリスクを将来発生させる恐れを高めます。

それは50年以上前から理解されています。

‪RADIATION DOSE EFFECTS IN RELATION TO OBSTETRIC X-RAYS AND CHILDHOOD CANCERS http://thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(70)91782-4/abstract#.WMvobJlTnS8.twitter

〝The excess cancer risk from obstetric X-ray examination was directly related to the fetal dose. It is suggested that this dose-response relationship fits in with a previously published hypothesis that cancers caused in this way are due to the propagation of one cell whose controlling gene had experienced a small but irreversible change at the moment of exposure to X-rays.〟

「産科X線検査の過剰な癌リスクは、胎児の線量と直接関係していた。この用量 - 反応関係は、このようにして引き起こされる癌は、制御遺伝子がX線に曝された瞬間には小さいが不可逆的な変化を経験した1つの細胞の増殖によるものであるという、以前に公表された仮説に適合することが示唆される。」

 

これはつまり、ひとつの細胞が放射線を浴びて変異してしまうと、ガンが起きる原因になるという仮説が1970年のスチュアートニール論文で、示唆されています。

このような事実はICRP勧告に大きな影響を与えている米国科学アカデミーBEIRによって確認され公表されています。

〝There is also compelling support for the linearity view of how cancers form. Studies in radiation biology show that “a single radiation track (resulting in the lowest exposure possible) traversing the nucleus of an appropriate target cell has a low but finite probability of damaging the cell’s DNA.”21 Subsets of this damage, such as ionization “spurs” that can cause multiple damage in a short length of DNA, may be difficult for the cell to repair or may be repaired incorrectly. The committee has concluded that there is no compelling evidence to indicate a dose threshold below which the risk of tumor induction is zero.

The BEIR VII committee concludes that current scientific evidence is consistent with the hypothesis that there is a linear dose-response relationship between exposure to ionizing radiation and the development of radiation-induced solid cancers in humans. The committee further judges it unlikely that a threshold exists for the induction of cancers but notes that the occurrence of radiation-induced cancers at low doses will be small. The committee maintains that other health effects (such as heart disease and stroke) occur at high radiation doses, but additional data must be gathered before an assessment can be made of any possible connection between low doses of radiation and noncancer health effects. 〟

https://www.nap.edu/read/11340/chapter/2#10

「どのようにして癌が形成されるかについての線形性の観点から魅力的な支持もある。

放射線生物学の研究では、「標的細胞の核を横切る単一の放射線軌道(可能な限り最も低い被ばく)が、細胞のDNAを損傷する可能性は低いが有限の確率を有する」ことが示されている。この損傷のサブセット、短い長さのDNAに複数の損傷を引き起こす可能性のある「電離の突出」は、細胞の修復が困難な場合があり、誤って修復される場合がある。委員会は、腫瘍の誘発リスクがゼロになる閾値を示す説得的な証拠はないと結論付けている。

BEIR Ⅶ委員会は、現在の科学的証拠は、電離放射線への暴露とヒトにおける放射線誘発性固形癌の発生との間に線量 - 反応関係があるという仮説と一致すると結論づけている。委員会はさらに、発がんの閾値が存在する可能性は非常に小さいと判断するが、低用量での放射線誘発性がんの発生は少ないと指摘する。

委員会は、高線量ではガン以外の健康影響(心臓病や脳卒中など)が発生するという主張を維持する。しかし低線量の放射線と非がんの健康影響との可能な関連性について評価する前に、追加的なデータの収拾が不可欠である」

 

低線量で、被害がないとは言えないのが今の科学の常識です。内部被ばく、非ガン影響に至ってはまだまだ未解明ですが、チェルノブイリ、原爆などで心配なデータもあります。

例えばブルラコワ

「一方、ロシアの放射線生物学者ブルラコーワは、放射線影響の現れ方について極めて興味深い説を提唱している(23)。彼女の説によると、低線量域と高線量域の被曝では、効果が現れるメカニズムが全く違っており、放射線被曝にともなう「線量―効果」の関係を図示すると、低線量(数一〇ミリシーベルト)でピークを示した後に、いったん減少して、それから再び効果が増加する(詳しくは山本定明氏の本号別稿参照)。つまり、低線量被曝の影響は、中間的な線量での被曝影響より、むしろずっと大きくなると主張している。ブルラコーワの考え方は、汚染地域の子供たちの健康悪化を被曝影響として説明する場合の重要な理論になりうるものであろう。」

http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/GN/GN9705.html

ベラルーシ国立科学アカデミーのミハイルマリコ博士やウクライナ放射線医学研究センターのステパノヴァ博士のICRP批判なども示唆的。

ベラルーシウクライナではさまざまな健康被害が少なからぬ専門家によって指摘されている。にもかかわらず、国連や国際放射線防護委員会(ICRP)が事実を認めないのはどのような理由によるのか。

マリコ氏はベラルーシを訪れたICRPの首脳から、「あなた方がどのような推計データを示しても私たちはエビデンスとして認めない」と言われたことを明らかにした。マリコ氏が理由を尋ねたところ、「(旧ソ連では)医学的な登録簿は存在しないとモスクワの保健省で言われたからだ」とICRP首脳は述べたという。
 
 「ベラルーシ旧ソ連内の共和国で唯一、医学的な登録簿を整備していたことをICRP首脳は知らなかった」とマリコ氏は内幕を披露した。」

http://toyokeizai.net/articles/amp/9072?display=b&_event=read-body

裁判所が1ミリシーベルト以下には被害はない

と考えるのは自由なんですが、政治的社会的な都合と距離を取る科学ではそうではありません。

復興のためなら、瓦礫広域処理せねばならず、ならば低線量の影響は辛抱せねばならないかなり強い理由があるとすれば、その理由を示してほしいわけです。

しかし、そのような理由は私は国の復興予算のつけ方や、瓦礫量が当初見込みより非常に小さかったという事実があるため、難しいと思います。

すると、小さな被ばくを我慢させる理由はなくなると私は思いますが。

 

以上が私の個人的な見解です。

 

最高裁に原告の方々が上告あるいは上告受理申し立てをするかは、原告の方々の判断です。

最高裁は厳しい判断をするところですし、みなさん四年間の疲れもあるでしょう。

しかしどのような決意をされるとしても、尊重するつもりです。

これまで戦って来られた原告、弁護団、証人、支援してきた方々にお礼を申し上げます。

ご苦労様でした。

 

【詩作品】私は私に嘘をつくな

私は私に嘘をつくな

ごまかすな

存在しない希望を

ねつ造してはいけない

復興だって原発事故だって

どうにもならないと

そこから始めなくてはならないと

私は言っていたはずなのに

希望を求めてしまう

私は

単なる寂しさに耐えられない

肉体がある限り寂しいから

死に憧れた子どもの頃もあった

 

私はもう40年以上生きて

綺麗なものも綺麗なものがそうでないことも

綺麗と決めつける人間の罪深い悪習も

知ったから

死に憧れることができない

 

ただ生きたいと言ってみたんだ

それを愛したいと書いたら

誰かが褒めてくれたんだ

だから私は

生きたいと願おうと

生きたいは深いなって

生きたいはすぐ消えるこの命を

知っているから

それでもなお単なるマシーンかもしれない私が

生きていることに

意味を見つけようとしている

 

希望なのかな

 

近づこうとして

近づけないと

思う

公園は白い砂でできていた

どこに行っても

私は私であり

 

私は存在が牢獄だと思う

だけど

何もかも終わって

街が燃えていく前に

汚れた海が全てを覆う前に

あなたに会いたい

いつわりなく

優しさが単なる炎である

あなたに

【詩作品】無限のうちのひとつの日にち

確かな気持ちはない

確かな気持ちはなんだろ

それが311と関係あるかしらない

生きることから後ずさりして
わからないことばかりなのは
生まれつきか、あるいは弱気か
意思以外のものか

明日顔を見ないと、いや今空を
越えたいけど

 

今、空を越えられない
死んだものは帰らない

だから死ぬ前に会いたい
みんな死ぬ前の日だから
息が苦しくなり
飲み込まれる
全てが私には害悪である
毎日が確率的な死である

絵を見て涙を流す
声を聴いて震えている
確率的な死の前に立つと
空しさと強い気持ちが
50:50になる

 

飛び込まなければならない

後ずさりしてしまう
アスペルガーだからか
単に卑怯だからか
疲れたからか

僕には3歳の頃から
現実が押し寄せる波で、なんて
比喩を書いていいのか
とにかく決められなかった
決めることを強制されていた気分だ

 

だから

全ての決定のてまえにいるのか
明るい朝やけなのか
まぶしいからか
世界が終わったからか
終わってからも
確かめなければならない
あたたかさがあるのか

全てのねばならないが終わっている

いきている
ということが
即ち

いきているということが
あたたかい

僕には保証がない
困難しかないように
見える

全てから切り離されず
しかし全く1人で
さみしくて

いきていていきていて
誰も確かではなく
水玉のように
無限にふるえている

明日が
明日が来る
来てしまう
どうだろう

 

巨大な破滅の前に
委ねられている
鳥が春の日に鳴く
鳥が
すべてを覚ますように
知らせるように