細々と彫りつける

Concerning poetry,radioactivity,disability,and so on(詩、放射能汚染、障害などについて)

【詩作品】encounter

この世界の

終わることない騒がしさ

耳を塞いでいる僕ですが

それは聞こえ過ぎるからです

もっと聞こえ過ぎる人もいる

でしょうが

 

なんでこんなにうるさい

脳みそ自体が

さらにそこからカラダの中を刺激する

僕は苦しい

 

なぜなら君の声が聞こえなく

なるからです

雲が川面に映ります

川面はいつまでも揺れています

不安な始まりをうつします

 

僕の中には

細い糸しかありません

なんとか切れないように

守っていたいのですが

風や雨に

僕は削れていきます

 

僕は激しい風邪を引きます

産まれてもう中年に

なってしまったことを呪います

これからは

親も歳をとります

僕は

どのように

いきていけますか

 

 

僕のワガママや思いが

たくさんの人に

迷惑をかけている気がします

  

僕の思いを

生かそうと

ずうずうしく

生きてきました

本当に

僕の全身で

わずかな思いだけを

抱えてきました

 

生きることに

意味がなくても

生きるんだと

 

苦い苦い朝日に

僕はもう本当に

駄目だと

何度思ったでしょう

 

それでも

水が流れ

雪はきしんでいきます

流れるあたたかさに

沢を渡る

僕がいます

 

深い山を切り分けて

会いに来たのです

実際のもの

現象の奥にあるもの

 

光りがあるのです

葉が開き

光りを受ける時の

さわやかさです

 

僕や君が老いても

出会える美しさが

あるのです

 

『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』がヒットする安易な「復興」ではなく、事実に立った茨の道を切り開け。

昨年大ヒットした『シン・ゴジラ』と『この世界の片隅に』は、前者は放射能汚染からの楽観的復興、後者は戦争と原爆を加害者意識ではなく、災害として過ごし戦後を迎え復興を始める映画として、私は見ていて、徹底的に批判しているが、賛同者は少ない。

前者の官僚エリートからの災害管理の眼差しは目新しいが、日本社会が官僚エリートにしか支え切れぬものと居直って描かれた感しかない。

後者は、主人公が見合い結婚する女性で、さらに暮らしより絵にこだわりを持つ独自のペースの人、つまりマイノリティであるにも関わらず、主人公のつまずきは、すべて主人公の鈍臭さに帰責されほのぼの笑われるという多数派視点が鼻につかざるをえなかった。


復興を楽観的に描くのが嫌だとか、マイノリティや女性に対するしっかりした描写を求める点、私の見方は、厳しすぎると言われるかもしれない。

しかし戦後復興をその負の側面、見失ったものまで、見透さないかぎり、今後日本社会が原発をやめたり、戦争をせず、平和な社会であることは不可能である。
また、私は、この6年間徹底的に官僚主導の安全論による復興を批判してきた。
シン・ゴジラ』には、官僚に対する冷めた目はあるが、批判はない。
根底的な批判によって、放射能汚染に向かいあい、一人ひとりの権利の回復を求めたい私に取り『シン・ゴジラ』は、許して通せる映画ではなかった。

また、『この世界の片隅に』のすずの造形は、発達障害と診断され、マイペースに生きざるを得ない私からして、その微温性は不快ですらあった。

未曾有の破局と差別という今後私たちが向かい合わなければならない課題に、不十分な解答しか出せない映画が、大ヒットするのは、これが私たちの現状だとおもう。
私たちは今の現状に、鋭いメスを入れ、深層をえぐり出すより、良くも悪くも、破局の核心を見ることを避けている。
黒澤明今村昌平がエンターテイメントの中で放射能や原爆を辛辣に描いた到達点、はだしのゲンゴジラ映画の到達点を考えるなら、この大ヒット2作は映像的には丁寧で工夫があるとはいえ、哲学において、不足を感じるわけで、安易な激賞は、これまでの日本映画の到達を忘れた若干やりすぎなものを感じないわけにはいかない。

 

それに比べ、瀬戸内寂聴原作の『花芯』は、非常に優れているわけではないが、女性がパートナーを選べない見合い結婚の時代に、女性にとって、意に沿わない相手との性行為の苦痛、虚無を描いてあまりある。

また、夫ではない、男性と恋に落ち、その性行為にも満たされぬものをかんじ、たぶん、自分とは何かの問いに立った女性の姿。

この題材を監督が選んだには、今の時代ですら、私たちは自由な人間的関係にたどり着いていないという直感があるわけで、そこに悪意や皮肉に見えるまでの監督の批判性の刃を感じた。

何より『シン・ゴジラ』や『この世界の片隅に』のように、見た後、疲れや満たされなさではない、不思議な爽やかさがあった。

 

映画は優れて、快楽を深めなければならないのだ。

毎日新聞日野記者が新年から8000ベクレル汚染土再利用問題で、環境省の過ちをスクープ連発

<規制庁>汚染土再利用、諮問認めず「環境省、説明不十分」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170109-00000007-mai-sctch #Yahooニュース
環境省は8000ベクレルの上限値などについて、放射線審議会への諮問を規制庁に打診。規制庁の担当者は、管理の終了時期や不法投棄の防止策など、具体的な管理方法の説明を求めた。その際、「管理せずに再利用するならクリアランスレベルを守るしかない」との原則を示した上で、「普通にそこら辺の家の庭に使われたりしないのか」との懸念も示したという。これに対し環境省が十分な説明をできなかったため、規制庁は審議会への諮問を認めなかった。」


新年早々、毎日新聞日野行介記者の、8000ベクレル汚染土再利用に関するスクープが相次いでいます。8000ベクレル再利用に不都合な議事録発言の削除が第一弾。

 

‪汚染土議事録:環境省、発言削除し開示 再利用誘導隠蔽か - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20170105/k00/00m/040/119000c
‪「削除したのは環境省が議論を誘導したと受け取れる発言。その発言から放射性セシウム1キロ当たり8000ベクレルを上限値とした汚染土再利用の方針決定につながっていた。」‬

 

今度は環境省が8000ベクレル汚染土再利用に関して、放射線審議会の諮問を原子力規制庁に働きかけたところ、「管理せずに再利用するならクリアランスレベルを守るしかない」と諮問を拒否したというのです。
つまり8000ベクレル拡散は放射線管理上認めがたいということです。一キロ100ベクレルまでしか不可能だと。

環境省は法律や政省令を見直してもらいたいです。
原子力規制庁環境省の外局で、一応見識を示したということになります。
しかし従来原子炉廃材の再利用は、コンクリや金属、ガラスなどに限られてましたし、再利用の実績はほとんどないわけです。
土壌はよいのか?
また、原子力規制庁放射線審議会は8000ベクレルまで焼却する現実をどう見ているのでしょう。
また、農水省は400ベクレルまで堆肥化することを認めていますが、いいのでしょうか?
農地はとうてい、放射線管理が不可能だと思いますが。

さらに汚泥など100ベクレルまで混ぜて薄めればセメントやコンクリートとして製造販売できてしまいます。この点もクリアランス基準の運用として疑問点があります。

 

放射線管理法令を、厳しい基準の方向で整理してほしい。

そして東京電力に賠償責任を負ってもらいたい。

払えないなら不動産、有価証券、施設を売却し、法的整理すべきです。
人びとを放射線管理上、健康上、慎重で厳しい基準の観点から、支援、移住権を与え、事故被害で不採算、事故隠しや、労基法違反の原子力事業者を解体し、所管の経済産業省を改組すべきです。
国が新たに廃炉放射線管理に特化した徹底管理すべきです。

 

正月三が日を過ぎて、昔ながらの古本屋で、その主との会話

今日は2〜3ヶ月に一度のペースで立ち寄る古書店へ。逡巡し、上田三四二『この世この生 西行 良寛 明恵 道元』をカウンターへ。
店の主人は年輩女性ここ四半世紀雰囲気の変わらぬ神秘的な方。「100円です」と言って

「この西行は…」

沈黙

「上田の西行は評判が良くない」

虚をつかれる。

そして私は「では西行は誰が良いですか」

主人「色んな人がいるわね」

奥のページを主人が明けると《売らない。私用》の走り書き

「あら私のだった」

私「いいんですか?」

主人「昔書いたの。いいわ」「上田の西行評は評判が良くない。だけど4人の歌人がいるし、入門としては」

私「西行の出家前の名、侍の時は?」

主人「西行はさとうよしきよ」

私「出家して近畿の山々を放浪して歌を詠んだんですよね」

主人「そうよ。小林秀雄が実朝と西行を書いたの」

私「高橋英夫西行を書いてましたか」

主人「あれは新書でね」

私「太宰は源実朝を書いた」

主人「源氏は悲惨ね」

私「平家がしぶといですね」

主人「源氏は一時は栄えたけど後は殺し合って…」「まあしかし、上田のは入門には、いいわ。あとは入ってから詳しく読めばいいわ。図書館にもたくさんある西行は」

私「いや詳しく勉強する気は無いんですが…僕は詩を書いていまして」

主人「発表してるの?」

私「同人誌に書いてましたが今はブログに」

主人「まあ」

私「で、詩を書いてるとたまに気になるんです和歌が」

主人「詩も難しいでしょう」

私「ですね」

主人「上田は歌人なのね」

私「作者は実作者の思い入れから作品を読んでしまいがちです」

主人「まあでも上田から入ったらいいわ、4人も論じてるし、うちの誰かを好きになって掘り下げればいいのよ」

私「ありがとうございます」

 

 

「福島を元どおりにしてください」の意味を考える

被害者の「元の福島にできますか」「福島を(住んでいた町を)元どおりにしてください」という問いや要請は、それぞれの発話者により、それぞれの切実さが込められていたはずだ。だから、以下に書くことは被災地域外の大阪に住んでいる筆者が原発事故に危機感を持ち、避難してきた人と話したり、被災地域にいる人とメールなどで話したり、被害者や支援者や研究者のお話を聞きにいったり、新聞や本で調べた話に基づいており、原発事故被害者の総意ではなく、私がそう捉えた、個人的な感慨である。

さて、まず本当に「元どおりに」してほしいということでもあるのだろうが、放射能汚染の広さや汚染した物財の量は途方もないものだ。

すると「元どおりに」は反語的な問いかけであった場合も多いのではないかと思えてくる。

 

福島県に建設予定の中間貯蔵施設への汚染された土壌や廃棄物の搬入量は、2000万立方メートルを超えている。

中間貯蔵施設はキロ当たり10万ベクレルの除染された土壌や廃棄物に限られ、それ以下の廃棄物、実際には汚染されているが、削りとれない山林や河川流域の木や土は、ちょっと想像がつかない。それが福島県にあるだけではなく、関東東北の広域に広がっている。

除染が物理的に可能なのは、街路や田畑の目立つところに限られている。

しかも除染した廃棄物は、どこかに処分しなければならず、焼却してよいのかという議論もあり、ならばと政府は、公共事業で堤防や建設の土台に汚染土壌を洗って使うのだといっているが、そんな再利用をしていいのかという反撥は私も含め当然ある。

 

ここまで来れば、「福島を、住んでいた町を完全には元に戻せない」となるのだが、政府は、東電はタダでは転ばない。

事故前までは原子力発電所の敷地の外側に年間1mSv以上の汚染をもたらしてはならないと決まっていた。

1mSvは高いので、年間50μSvや10μSvを業界の努力目標値にしていたが、これは法的には強制ではない。法的には1mSvが限度だ。

しかし、国は原子力非常事態宣言を布告し、年間20mSv以下なら人は安全に住めるのだと抗弁して、除染は「できたことにして」帰れるといい、今どんどん避難区域を解除している。

 

当然大丈夫なのか、とか、家や田畑が傷んでいるとか、店や街の賑わいが戻らないかもしれないので、辛い思いで帰らないと決めている人も多い。

すると政府は、帰らない人への支援はするつもりがない、なんなら東電は賠償を打ち切るつもりなことが明らかになり、紛糾している。

避難区域内からの避難者ですらそんな扱いなのに、避難区域外から避難した人には、自治体が公営住宅を無料で貸す以外の支援はなく、これから打ち切って追い出す地域もたくさんある。

 

ここで、「福島を元どおりに」の意味を再び考えるに、「償えないほどの被害」を「見よ」という要請や問いが含まれていたのではないか、そう思いあたる。

しかし政財界はその真実に向き合いたがらなかった。だから完全に救済されはしないことをぼやかし、放射能はそんなに体に悪くありませんといったり、責任を取りたくないために「元通りの福島にしてあげます」と空約束にすり替え除染し続けた。

しかし、実際には帰れないとする人が多い。

また、汚染をこうむった地域の人やそこからの避難者には、体調を崩すと、放射能汚染のせいではないかとか、本当はどんな影響があるのか、と心配する人ももちろんいる。

しかし、政府は、まともに被ばく量も計らず、小児甲状腺がんの限られた調査からも、多発が明らかなのに、よくわからないとしている。

こんな状況は当然原発事故前はなかったから、「元どおりにして」の意味は安心立命でなくなった世界にも向けられる。

みんな言いたかったのは「不可逆的な被害をもたらす原発が許せない」、だったのかもしれない。

しかも被害者には「なぜ私たちは原発を国にやらせ続けたか」という悔恨もあるはずなのだ。
私たちは放射能リスク論以前にこの叫びに向き合わなければならなかった。
それは私たちのあり方、日本の、人類の文明のあり方を問うものだから。
そして、その問いがチェルノブイリから二度繰り返されたことをアレクシェービッチは苦く見つめたはずだ。

【詩作品】割れやすい小さなコップとして

長い間が経った

私は少年からおじさんになった

幼馴染には

変わってないねと言われた

 

少年は

この程度しか出来ない自分を

憎んだ

この程度しか出来ない自分を

恥じた

この程度しか出来ない自分を

呪った

 

確かに不自由であった

小さな割れやすいコップみたいで

熱いものも

冷たいものも苦しいのだ

友達に熱いものを注がれて

ひび割れ

冷たくされて

さらに傷んだ

 

肉体と欲情は背伸びして

私の小さなコップから溢れて

この幼い私の全てを

抱きとめてと

静かな夜空に肉を散らばらせたが

私は気づかないまま

バラバラになっただけだった

 

私の肉片を拾い集め

私の血や望むものに泣いた

 

この程度と呪った時に

私は誰になろうとしていたのか

この程度しかと憎んだ時

私は誰になる夢を見ていたのか

 

この程度しか

と思う私が

いつも私として生きてきた

割れやすい小さなコップ

のままなんだろう

大事にして

大事にされて

最後まで使い切るに限る

そんな諦念は

なかなか

開かれない

 

私は生きることを愛し過ぎる

私は生きることを憎み過ぎる

私はいつも

過ぎた夢を見過ぎるからかもしれない

 

けれど、溢れていく夢の中で

私のコップだけは不思議に

その大きさを変えない

 

私はコップの割れやすさ

小ささを

信じることは

できるはず

 

【年頭に思う・社会を変えるとは】どこかに、あなたの支援を待っている被差別者がいるのではないのです。 私やあなたがある場合差別者で、別の場合被差別者なのです。

 

☆私が私であることそのものが価値であり抵抗

 

原発も戦争も弱者を殺すことも、それを駆動する国家の経済も、私たちが日々私が感じたことを否定し、自他を押し殺して適応しようとする営みそのものを根源に作動しているように見えます。
私たちは私個人が生きているということを認め、それを他者へと伸ばしていくことで対抗することが必要ではないか

 

 

国に殺されること、国が他者を、最後は自分を殺すことを肯定してしまうことと
自分の感情や事情を押し殺して、より大きなもののために、冷静に行動しようとすることにはつながりがある。
私がアスペであることを認め、話すのは、自分の感情を否定しない実践、自他を殺さない行動です。

 

もちろん、「私」は不安定であり、間違いうるものです。

しかし間違いから学ぶのもまた「私」をおいて他には無いのです。

これは危うい位置に見えますが、間違いうるものを見つめ、学ぶことで、私たちは自分の心の中に対話を取り入れ、心の中に民主主義を育てるしかないのです。

間違いない「聖典」「スローガン」「正解」に頼ることは他方で安心ですが他方では全体主義を生み出します。

 

 

 

☆支援や社会運動の出発点は「私」

 

どこかに、あなたの支援を待っている被差別者がいるのではないのです。
私やあなたがある場合差別者で、別の場合被差別者なのです。
私やあなたの勉強や就労や市民活動、家庭、友人関係が社会的な差別を促進したり、その影響を隠蔽する働きを持つならそれと距離を置いたり離れるのは自由な権利です。

繰り返しますが、あなたや私の中に人間を苦しめる、意識システム、行動システムが、学習やお付き合いにより、身につけられているのです。
それが自他に矛盾や葛藤を引き起こしているのです。
外部にある搾取システムは、私たちの意識や行動のシステムと接続され、私たちを効果的に統制しているのです

国家や企業などの制度群は、私たちが生命を維持し、離合集散を繰り返し、死ぬという営みから、養分を得て、人間の上に君臨し、人間に働きかけて、自分たちを維持しようとします。
国家や企業は、私たちの生き甲斐を糧に、私やあなたを分かち、生き甲斐を破壊してるとも言えるのです。

たぶんその国家や企業を構成する最小単位が家族です。
日本は世帯単位つまり、家族を基礎として人々を管理しデータ化し租税を徴収する仕組み。

現在結婚や家父長制による家族への疑問が高まっているのは、それが国家や経済と黙契を結んでいることが明らかになりつつあるからです。
政治家や官僚が家族を一人一人の福祉以上の意味づけに活用するときは、家族を通じて人々をコントロールし、より多くのものを徴収したい意思の表れでしょう。

家族というのをより砕いてパートナーとの関係性などから育つ小さなコミュニティと考えるなら1人で生きるのは辛いと思う人の心の寄せ場になり得、親密圏と呼ばれます。

他方人々のプライベートを抱える家族は、その性質上、毎年、様々な関係や心のもつれから暴力、性犯罪、搾取的な関係が現れてくることもよく指摘されます。

イジメなども、友人関係として機能していたものが、そのメンバーシップを狭め排除の性質を持つものになったとも言えるのです。
恋愛や友情は安息であるからこそ、人のアカラサマな本音、支配性、暴力性が現れてしまいやすいとも言えます。

 

☆311以降の社会運動の混迷

 

市民運動をやっていると、それに参加するには二層あり、組合だとかかねてから活動家としてそこに居場所がある人と、私のように一般社会そのものに居場所がない人がいて、私のようなタイプには自己肯定感が低い人が多い。そして運動でもトラブルに巻き込まれ自己肯定感を失っている人もいる。

この社会内と社会から疎外された層と二者が不思議に混在していると捉えた時、今の世界での運動の困難、社会の混迷も見えるだろう。

 

さらに時間軸でいうなら四つに分けうる。

 

かねてから学生運動や組合運動に関わってきた人、セクトに関わってきた人、学校を出たが就労就学などで躓き市民運動にきた人、311以降国の政治に不満を持って駆けつけた学生や市民。
この4者がそれぞれの関心に基づいて動くので、運動は混迷を極めました。多様性があるとも言えますが議論より

議論して何とか着地点を見出すのではなく、それぞれが持つ常識、当たり前で、互いを批判するのです。また、運動が対政府に対して身構えなければならず、議論自体も忙しくてできません。
さらにここに既成政党からの介入、互いの世代観、ジェンダー観などが絡んで非常に議論は膠着しました。

 

議論が膠着した中で、疲労に一番弱いのは、就労就学に躓いた中でもメンタルヘルスや持病の苦しみを抱える層です。次に持病のある高齢者や子どもとその母親などがいます。
しかしこれらの層の苦悩は、市民運動が戦闘文化であるため、表出しないか、無視されがちです
わたしはこのことを大変憂慮します

 

なぜなら、現在の人類の半数は人口爆発状況にありますが、日本や欧米諸国は少子高齢化です。
バリアフリーと自由な人々の連帯を通じて生きづらさを減らそうと歩んでいます。
しかし、それへの抵抗として保守層からの国家主義や家父長主義、マチズモが立ちはだかっています。

 

運動は勢力が弱まっており、保守や家族主義に接続して勢力を増やそうとします。

しかし、それでは、資本主義や国家が差別的な価値観を押し付けて戦争や原発を継続しようとすることとの違いがなくなってしまいます。

本来なくてはならない批判は国家や経済が死んで良い人々、負担を押し付けて良い人々と、利益を享受し蓄積するような人々を分け隔てる価値序列を作り出していることを制度的思想的に明らかにし、より人間が解放され、自由に関係しあえるようになることです。

私たちは近代の果てにおいて、解放が進んでいるわけではありません。

もし解放が進んでいるなら、障害者は恥ずことなく街を歩き、人間が生老病死を経験する豊かさをシェアしようとするでしょう。

 

しかし実際はこうです。

障害者が国家のためと虐殺され、原発事故被害者、避難者はわずかな支援や賠償を打ち切られ、20ミリシーベルトの地域に帰すことが復興と呼ばれているのです。

このような中でオリンピックや万博といったテクノロジー、資本主義、優生思想の温床のような国家的な祭典に多額の予算がつけられようとしています。